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自分の『心の声』がわからない。

幼少期、学童期から、
ずっとずっと、他の子とシコし何かが違うような気がして、
他の子達が楽しそうにしていることが
自分は嫌で仕方なかったり、
友達にいじめられたりしたわけじゃないけど、
学校はいつも大嫌いで。
でも、その嫌なこと、全部嫌だ、やらなくていい。
で、大人になれるわけもない。

だから。
基本的には、今まで全部嫌なことを、
大人の言う通り、みんながするように、
決まっている通りに、
何とか底辺くっついて、必死に生きてきた、かな。

やりたい、と思ってやったこと、
すぐに思い浮かぶことがない。
自分に選択権や決定権はなかったから。

そんな生き方をしていたら、
自分で「決める」ということ
つまり、自分の気持ちや希望、考えを自分で察知して、
周囲の状況や現実等と照らし合わせて
判断する
そんな能力が欠落してしまっているような気がする。

それでも仕事をしていた時は
周囲の状況から自分が今何をすべきか。
ということは、おそらく判断できていたのだと思う。

だけど、そこには肝心の、
自分の「気持ち」「希望」は、まるでなかった。
ないのが当たり前、それが仕事。
そんな方もたくさんいらっしゃると思います。
自分もそう思っていました。

体調が悪いから今日は休みたい、とか、
いつは休暇を入れたい、とか、
今日の残業はそろそろ身体がつらい、とか。
そんなこと、一ミリでも考慮して仕事を切り上げるなんて
社会人としてあり得ない。
そう思って、必死に働いていた。ら。

突然こころとカラダが崩壊した。

どうやら生き方を間違えていたみたい。

そしていま。
休職して2年間。
約1年は引きこもり。
自分が回復傾向にあるのか、悪化しているのか
不変なのか。
療養中にしては、気分の波やパプニングが多すぎるのか。
自分の状態すら、客観的に把握することが難しい。
そして。
基本スタイルは
無気力。無感情。無関心。(希死念慮)。

復職、社会復帰して、自立して生きていかなければ
いけない。
それはわかっている。
そのために、
何か行動しなくてはいけない、
少しでも努力しないといけない。
そればかりが
頭をぐるぐるして、
自分の気持ち、自分の心の声がわからない。

そんな自分は
きょうも無駄な時間を過ごしてしまった。
焦りは募るばかり。
🌻


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