かなえたい夢。休職の期限が迫るいま。こんな自分がかなえたいことは…。
前投稿に、
最近の、最近の、状況を
書いた。
こんないま。
いまのじぶんが、かなえたい夢。
わからない。
(思い返せば、はるか昔、まだ現実が見えていなかった頃、
自分は、「なりたい自分」についてこんなことを書いていた、らしい。)
はたまた。
自分で志し、夢かなったこと、
「自分で選んでよかったこと」として、
その仕事、「保健師」について
こんなことも
現実を見ることなく、書いていた過去の自分。
いまの自分。
全然わからない。見えない。
もしかすると、
もう過去も未来も、何も見たくないのかもしれない。
きっと、多分、そう。
いまは考えも気持ちも
全てがぐちゃぐちゃ。
そのぐちゃぐちゃは到底ここには書ききれない。
自分の夢。かなえた。
けど、その渦中、自分を壊してお休みする事になった。
無期限活動休止。で、その権利だけ持ち続けることは
現実には、できない。
いつでも待ってるね。で、じぶんが元々いた場所を
いつまでも空けておいてくれる。
なんて、そんなことはない。
たとえその間にどのようなことがあろうとも(例外的な場合もあると思うが)、特に目に見えないことなどに関してはより一層、その原因や背景一切問うことなく、自分の問題として処理される。自己責任。当然だ。
なんともいえぬ、複雑な思い、入り乱れた感情、
もどかしい気持ち、
ここにはいま書くことはよろしくない、実に複雑かつその被害はとてつもなく甚大、深刻な出来事、もある。
そして、独りよがりな思い、自分の希望、戻りたいから。またその仕事したいから。そんな理由だけで戻れるわけはない。
まだ先のこと。
いよいよ、今年中に。となって
真剣に向き合った時、もう遅かったのかもしれない。
まだ先のことではあるけど。
かなえたい夢。の具体的なこと、
これ。と言えるものはいまの自分にはない。
わからない。見つけられない。
本読んで、音楽聴いて、
たくさんのこと知って学んで考えて。
じぶんが興味があること、色々深めていく…
それじゃだめ…?自分としては有意義だけど、
そんな人生は許されない…?
なんて。
逃げて開き直ったようなことを思ってしまうじぶん。
人間として生きていく。
大人。成人。自立。社会人。
多くの人がふつうと思ってこなしたり、
過ごしたりしていること、その日々は
ふつうではない。
当然、苦しみに苦しみながら、生きるため、守るべき存在のために必死に生きている人もたくさんたくさんいると思う。
じぶんがやりたい事、興味があること
じぶんの特性、適性、能力
そして心身の健康状態
じぶんが、お仕事としてできること。
これが全て揃って、お仕事ができて
生活も自分でできる。
健康管理も自分でできる。
これはそんな簡単なことじゃない。
何も見えない、わからないいまのじぶんが
唯一言えることがあるとするならば、
もうそろそろ終わりだよ、というお迎えが来た時に
これまでの自分の人生、いいことも悪いことも
ぜんぶ、経験できてよかった、
ここまで生きてこられてよかった、と
じぶん自身が納得し、感謝できる事。
そして何より、
これまでの人生での全ての出逢いに
こころから感謝の気持ちをもって
人生を締めくくれること。
これが、
いまのじぶんが言える
唯一のかなえたい夢、だと思う。
夢がかなうかどうかは、
お迎えがくる、最期のとき。
そのとき、夢がかなうよう、
地道に
一歩。一歩。じぶんができることを
積み重ねていこうと思う。
時にはまた止まるかもしれない。
それでもいい。
「少し」 「止まる」 と書いて
「歩」く、だから。
じぶんは、そう生きることを
その願いをこめて
生まれた時に授けられていた。
そう気づいた。そう思った。