見出し画像

ボタニカル哲学(後集83)悟りの心と迷いの心

本性が澄みきっていれば、たとえ飲まず喰わずの状態にあっても、心身を安心な状態に保てていないということは無い。一方、本性が暗く迷っていれば、たとえ禅について語り、禅心のあるべき姿を示す偈頌(げじゅ)を読み味わおうとも、それは心の無駄使いということになっている。

つまり、悟りの境地にいたる禅道は、心と生活実践であり、頭(知識)と趣味(形式)ではないということ。

言換えれば、達人は禅の修業により、禅の文化的な形式ではなく、実態的生活を体現して悟りの境地を得るのですよということ。

   ↓↓↓↓↓ オンライン勉強会(無料)を開催しております ↓↓↓↓↓
          https://surirekigaku.com/botanical/

   ↓↓↓運命学happinessマイセラピーをご希望の方はこちら↓↓↓


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集