読み人知らず

東京のとある所に住んでいる「いい年」をしたおぢさんです。SMについて思ったところを垂れ流し風に書いていこうと思っています。垂れ流し風なので考察の度合いは浅いです。w

読み人知らず

東京のとある所に住んでいる「いい年」をしたおぢさんです。SMについて思ったところを垂れ流し風に書いていこうと思っています。垂れ流し風なので考察の度合いは浅いです。w

マガジン

  • 主にSMに関連した考えの垂れ流し

    マガジンタイトル通り、SMに関して思うところの垂れ流しです。プレイや下世話な内容はほとんど出てこないので期待しないで下さい。 他人の考えや思うところに触れるのが好きない人にはいいかもです。

最近の記事

呼称から想像するD/s、主従についての考察深度

今は鎮静化したように思いますが、ここ数日の間主(あるじ)をご主、又はごしゅと表現することの是非について物議を醸していたようです。 かく言う私もかなり硬質な引用リツイートを投稿いたしました。ここには埋めきれない深い溝、越えられない大きな壁があると思っています。 さて。コトバンクによれば「主従:1 主となるものと従となるもの。2 主人と従者。主君と家来」とあります。「主君と家来」という表記がある以上、上下関係がそこには存在することは明白と考えます。 これを前提に主(あるじ)を下

    • SM哲学カフェにまた参加してきました。

      昨日、XのSM哲学カフェに参加させて頂きました。 テーマは「SMから見るDom/Sub」。 最近、TLでSMと主従をごっちゃにしている、あまり深みのない考えのポストを見てはモヤモヤしていた私にとってはタイムリーかつ、興味深いテーマだったこともあってどういう意見、考えが出てくるのか非常に楽しみでした。 会の進行は全部で3クォーター制になっていて、全体討論 → 個別討論(全体討論後、その時の発言で興味を持った人と討論する。小グループ的な感じ)→全体討論(個別討論後に新たに沸き起こ

      • 考察を重ね、過去を振り返る事の大切さ

        人は弱いものですし、過去の記憶も朧になります。時間が経過するほどそれは顕著になります。 Xで知り合ったとある方は、主さんとの関係や自分の考え、 思いについて壁にぶち当たっていました。 そうした行為はあっても、そこには精神的な何かがあるはず。 その精神性とはなんだろう。 こうしたポストに私がレスポンスしたことで、やり取りが 始まります。 DMを頂いて、その内容からじっくりと解き明かす必要がある。 回答ミスは許されない。いつにもましてそう感じていました。 何かが足りない、わから

        • 「縛り」についてモノ申してみようと思います。

          SMプレイという好きな言い方ではありませんが、 その中に「緊縛・拘束」の占める割合は多いと思います。 勝手な見解ですが、緊縛>拘束、麻縄>綿ロープ>拘束用テープという傾向が見えるように思っています。麻縄も自分で仕込んだ>仕込み済みを買った。という序列が見え隠れします。 麻縄を仕込める技量があることと、手間暇かける「マニア」ですよ。という誰に対してなのか判らない、心理的マウントを取りたいのかなぁ。と個人的には思っています。 ※拘束具も、革製>合皮・ビニールではないでしょうか。こ

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        • 主にSMに関連した考えの垂れ流し
          25本

        記事

          口にすることが過ぎることで重厚さが失われていくことについて

          免責事項 後半かなり批判的です。脊髄反射的な批判をされる方は読むことを避けた方が良いかと思います。 聖書に「汝、濫りに神の名前を口にすること無かれ」という一節があります。色々な解釈がありますが、私が一番しっくりするものは「しょっちゅう口にしているとありがたみがなくなる」というものです。謝罪を何度も重ねると、本当に反省しているのか?と反ってその真意に疑念を持たれるのと似たものがあります。 D/sや主従、SM界隈では「ご主人様」に関するノロケや不満をよく目にします。私はこの状

          口にすることが過ぎることで重厚さが失われていくことについて

          BDSMテストやってみた

          noteのフォロワーさんがやっていたのをアップされていたので 私もやってみました。 テストサイトはこちらです。結構時間が掛かります。 https://bdsmtest.org/select-mode 本人としては、誰彼構わず甚振ってやろうとか、虐げてやろうとは思ってないんです。ただ、年のせいなのか特に最近は黒い感情が沸き上がり、それに頭が支配されそうになることが多くなっています。Xに「危ない危ない」とポストした時は大体、そう言う時です。 よみさんのnoteに各項目が丁寧に

          BDSMテストやってみた

          SM哲学カフェで上がっていた疑問?質問?について

          昨日、XのSM哲学カフェに参加させて頂きました。 テーマは「SMとエゴイズム」。 エゴイズム=利己主義という一般的な考えの他に心理学で使われるエゴ(傷ついた心)というような意味もあり、なかなかに興味深い展開を見せておりました。この他にも「エゴマゾとはどのようなものか、発祥は」といったテーマの広がりもあり、「エゴマゾの対義語に似非サド(えせ、悪意を持って本物ではないのに本物のように見せかける事)がある」といった一部の方には高評価の話も出て、本当に面白い(英語的には intere

          SM哲学カフェで上がっていた疑問?質問?について

          やりきれないフェチの話。

          これもまた昔話です。今から30年近く前、デパートメントHが渋谷のOn Air Westで開催されていた頃です。 いつもは有名な縄師さんのお手伝いで参加していましたが、この日は誰かから頼まれて緊縛ショーではなく、ラバーフェチイベントのお手伝いとして参加していました。 まぁもう目のやり場に困るようなラバーの衣装。衣装はピッチピチだし女性の身体の線は出るし、下着無しで直接身にまとっているので諸々透けてというか、まぁ見えちゃうわけです。 そんな刺激的な会場の中、明らかに風情が違う方

          やりきれないフェチの話。

          昔話・MTFの方からの依頼(プレイの描写は有りません!)

          もう30年近く前の話です。道玄坂再開発前は袋小路の路地が多く、また人通りも少なくて雰囲気が良いとは言えない場所でした。 その袋小路の突き当りにSMクラブの女王様が経営していたSMというよりはセクシャルマイノリティが集まるスナックがありました。 確か名前はたんぽぽか、ひまわりのどちらかだったと思います。 当時はSM、ゲイ・レズ、ピアスマニア、MTF、FTM(どちらもの方もホルモン治療中)など性癖を含めて少数派の人間が集まっては色んなことを話して楽しんでいました。 ちょうど離婚

          昔話・MTFの方からの依頼(プレイの描写は有りません!)

          昔、SM雑誌で読んだ記事

          今から50年近く前にSMコレクターという雑誌で読んだ記事の話です。詳細は忘れてしまいましたが、概ねこんな内容だったかと思います。当時はD/sや主従関係といった表現はなく、しかしながら調教という言葉はしっかり書かれていました。以下はその概要です。 「先日、映画館で洋画を見た。内容は第二次世界大戦中のドイツのスパイ養成所の話だった。養成所には身寄りのない子供が集められ、スパイとして必要な全てのことを叩き込まれる。生活面は国家が保証、衣食住何不自由なく与えられるが、スパイとしての

          昔、SM雑誌で読んだ記事

          登山ルートとガイド、調教に至るプロセスと主またはMasterの行動は似ている(と思う)

          リアルでお目にかかった方には直接お話したことがありますので 「ああ、私、聴いたわ」と思われた方は途中離脱をお勧めします。 その方が時間を有効に使えますので。 さてどういう話かと申しますと、登山ルートの決定と登山のガイドの役割と調教に至るプロセスと主またはMasterの行動は似ているなぁという話です。 初めて山に登る人は装備、手続き、心構えなど分からないことだらけです。 登る山にガイドがいることが分かればガイドをお願いすることだと思います。ガイドはその山について詳しいですから

          登山ルートとガイド、調教に至るプロセスと主またはMasterの行動は似ている(と思う)

          飼い主のパターンと飼われたい側の欲求について考えてみる

          飼う。飼いたい。という言葉を界隈でよく目にします。 具体的に「飼う」とはどの程度の行為を現すのでしょう。 そのパターンを考えてみます ※ここでは飼われる側の心持などは考えておりませんので、 悪しからずご了承ください。 1.生活まるっと面倒見ます! 経済力バツグンの人が「衣食住、全て面倒見るよ。その代わり行動の自由は無いよ」という中世ヨーロッパの貴族のようなパワーで飼うパターン。 飼われる方は衣食住の面倒を見てもらう代償として、行動制限など自由の大半を失うリスクがあります。

          飼い主のパターンと飼われたい側の欲求について考えてみる

          「管理したい」と「管理できる」は違いますよ。

          結論から申し上げますと「管理したい」=「管理できる」ではありません。 「管理したい」は特定の誰かなのか、不特定多数に向けてなのか。によってもモチベーションと具体性の有無が変わってきます。 特定の誰かに向けての「管理したい」の場合、その要望を向けられた人がOKであれば問題なく「管理する・される」の関係がスタートします。後のことはお互いが決めれば良いでしょう 不特定多数が対象の「管理したい」には、その理由が見えづらいです。どうして管理したいのか(動機)、どのように管理するのか(

          「管理したい」と「管理できる」は違いますよ。

          首輪はシンボルかファッションか。

          かなり久しぶりの投稿です。 あまり「界隈」の情報に触れていなかったので 書くものが思いつかなっただけではありますが。 で、本題です。 先日、「自撮り100人首輪展」という写真展を見に行ってきました。 可愛らしい女性が首輪をした自撮りをパネルにして展示されておりましたがファンション性を考えてなのかピンクやブルーといったパステルカラーのものが目を引きました。 ちょっと違和感が有ったのはボンデージ風の衣装に身を包み「女王様風」の表情でありながら首輪を誇示するポーズがあったことと明

          首輪はシンボルかファッションか。

          サディストの視点

          サディスティックな感覚、実践経験がある方なら ご理解頂けるのではないかと思います。 マゾヒストを縛る、鞭打つ、スパンキング等する時、 妙に冷静なもう一人の自分を感じないでしょうか。 そういう時もちろん、性的な興奮はあるのです。 しかしそういった本能的な興奮の他に変化するマゾヒストの表情、 声、身体の反応、動きを冷静に(言い方を変えれば冷たく)見ている自分。 そこに「背中が腫れてきたからここで止めようか」とか 「青あざになってきたから止めよう」等の判断の為では無いのです。 「

          サディストの視点

          本当に有ったのかは定かではないですが・・・

          昔に聞いた話を思い出したので書いてみようと思いました。 太平洋戦争が終わった数年後、食糧配給では追いつかず 闇市では値段が高くて買い物が出来ず、お金も無いので 「交換してくれそうなもの」を持って農村に出向き、 農作物との物々交換を農家にお願いしていた頃の話です。 それまで農村・農家は都会の人間から下に見られていたそうです。 それが戦争が終わって、食べるものを初めとする物品がが無く 特に食料は圧倒的に不足していたので自前で農作物を作って、 保存しているため、今まで下に見られて

          本当に有ったのかは定かではないですが・・・