首輪はシンボルかファッションか。
かなり久しぶりの投稿です。
あまり「界隈」の情報に触れていなかったので
書くものが思いつかなっただけではありますが。
で、本題です。
先日、「自撮り100人首輪展」という写真展を見に行ってきました。
可愛らしい女性が首輪をした自撮りをパネルにして展示されておりましたがファンション性を考えてなのかピンクやブルーといったパステルカラーのものが目を引きました。
ちょっと違和感が有ったのはボンデージ風の衣装に身を包み「女王様風」の表情でありながら首輪を誇示するポーズがあったことと明るくにこやかな表情(に見える)で写っているものがあった事です。
古めかしいSM、D/sの価値観を持っている爺としましては首輪は隷属の証であり、従える側と思える人が首輪はしませんし、従う側は首輪をしてにこやかな表情を浮かべるというのも覚悟が無いように思えてしまいます。
私事で恐縮ですが、かつて長く主従の関係を持っていた女性(既婚者)は首輪に対する羨望、渇望とそれが叶ったのちに訪れる畏怖、恐怖の間で揺れている人でした。
最終的に、彼女は首輪をすることを拒否しました。理由は「首輪をしたら、普段の生活、世界に戻れなくなる」という事でした。
本当に渇望したものが手に入ったら、誰でも手放したくなくなります。それが望んでいる以上に甘美なものであることが分かっていればなおさらです。
そして彼女はこのSMの世界と完全に決別しました。拒否はしたものの羨望と渇望が強くなり制御できなくなると判断したからです。
この世界から完全に決別すれば渇きは無くなる。そう考えたのです。(小さなお子さんがいたことが決別を強くさせました。)
人の考えは様々ですので、ファッションと捉えることに嫌悪はありません。また、SMやD/sの考えもポピュラー化に伴って様々になっていますから私の様な昔ながらの価値観の持ち主は少数派であろうことも理解はしています。
首輪の色によって、階級が決まっていた時代が必ずしも良いわけではありませんが、ファッションだけでは片付けられない、語りつくせない「思いや覚悟」というのものは無くならないで欲しいと思います。
想いの深さや覚悟の有無故に、新たに手に入れられる深みがあると私は思います。
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