SM哲学カフェにまた参加してきました。

昨日、XのSM哲学カフェに参加させて頂きました。
テーマは「SMから見るDom/Sub」。
最近、TLでSMと主従をごっちゃにしている、あまり深みのない考えのポストを見てはモヤモヤしていた私にとってはタイムリーかつ、興味深いテーマだったこともあってどういう意見、考えが出てくるのか非常に楽しみでした。
会の進行は全部で3クォーター制になっていて、全体討論 → 個別討論(全体討論後、その時の発言で興味を持った人と討論する。小グループ的な感じ)→全体討論(個別討論後に新たに沸き起こったテーマをみんなで考える)という流れ。今回noteで取り上げたのは前後半の全体討論の中で出てきた意見です。

ロールプレイングなD/sと性癖としてのD/s


D/sの役割を決めて、その中でロールプレイングとしてのD/sを楽しむ人たちと性癖としてのD/sを楽しむ人たちに分けられると思う。
Dom役、Sub役を決めて、その中でD/s的な関係を楽しむ。こうした関係はX界隈でも多く見られるが、一方で性癖としてのD/sは少数だが支配することで性的興奮を覚える、服従することで性的興奮を覚える人もいる。この人たちは支配・服従することで興奮するから行為的な何かがMustではない。
※これはどっちがどうという良し悪しの話ではなく、そうした関係性が実際にあるよね。という話です。

服従と依存の境目は?

服従と依存の境目を見極めるのは難しい。服従の体で依存を高めてきたらどこまで対応を見るべきなのかという意見がありました。
これに対して「支配者から見ると、服従者の依存が高まることは望ましいと言える。依存して、依存して、全てに対応すると
従者はもう、支配者から離れられなくなる。そうしたらもう、こちらのもの。支配者であれば依存してくる従者が面倒くさいとは言ってはいけない」また「支配者と服従者間の共依存がベストと考えている。」という意見も出されていました。
理由は失念しましたが支配側、服従側が互いを必要として依存しあう事でより関係性が深まり、心理的距離も適度に保たれる。という主張だったかと思います。
※失念してるのでニュアンス、内容が違っていたらごめんなさいw

House wife submissiveという表現

個別自由討論の時に海外の方とお話をする機会がありました。
海外の方でも「主従」という言葉をご存じだったこと、海外のD/sと日本のD/sは微妙に違うという話をされていて、戦国時代の主従関係についてお話して、日本のD/s・主従の根底におそらくそうした考えがあるのではないかと私がお伝えしたところ得心がいかれたようでした。
Submissiveという単語についての話から、1970年代前半くらいまで「House wife submissive(日本で言う専業主婦に近いニュアンス)」という言葉があり、Husbandは外に出て仕事をしWifeは家の中で育児、家事をするという風潮が強かった。
しかしこれがWomanLive運動(feminism)によって女性も釈迦に出るべきだ!という風潮が高まりそれまで良いイメージだったHouse wife submissive」が一転して悪いイメージになってしまった。しかし最近では「私がHouse wife submissive選択したのだから批判しないで」という風潮に代わってきているそうです
※日本でも「多様化云々」と言い出して久しいですが、どうもこれは世界的な風潮の様です。

今回の哲学カフェが終わってから前回の哲学カフェでご一緒して意気投合した方々と近くのカラオケボックスで延長戦に入りましたw
延長戦だけで3時間40分強!いろんな話が出来てこれまた楽しい時間を過ごせました。
将棋のタイトル戦後じゃないですが、感想戦は楽しいです^^

と、いうことで今回も楽しかったSM哲学カフェ。ご興味がありましたら是非ご参加いただければと思います。
※と、今回も頼まれていないのに宣伝して終わるwww

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?