昔、SM雑誌で読んだ記事

今から50年近く前にSMコレクターという雑誌で読んだ記事の話です。詳細は忘れてしまいましたが、概ねこんな内容だったかと思います。当時はD/sや主従関係といった表現はなく、しかしながら調教という言葉はしっかり書かれていました。以下はその概要です。

「先日、映画館で洋画を見た。内容は第二次世界大戦中のドイツのスパイ養成所の話だった。養成所には身寄りのない子供が集められ、スパイとして必要な全てのことを叩き込まれる。生活面は国家が保証、衣食住何不自由なく与えられるが、スパイとしての素養がないと判断されると養成所から強制的に退所させられる。
※戦時下で養成所を追い出されることは死を意味します。
身寄りがないので食べていけませんし、寝泊まりする場所も自分で確保しなければなりませんから。

主人公は女の子、10代前半くらいだろうか。小学校高学年か中学1年か、と言ったところ。映画では子供たちが結束して、脱落者を出さないように時には厳しく、時には友情を以って支えあうシーンがスクリーンに映し出される。その中で特にスパイによって重要な任務「拷問に遭っても自白しない」の訓練のシーンになる。
この訓練内容が非常に過酷で、殴る蹴るは当たり前。女性として耐え難い屈辱を伴う拷問や水槽に頭を突っ込まされて溺死するような拷問のシーンが次々を映し出される。
この拷問を担当する教官が見るからに冷酷・冷徹な表情で訓練生を見ているのだが、訓練生の限界が近くなると見るや現場に降り立って訓練生にこう声をかける。

「大丈夫かい?無理だったら、耐えられなかったらそう言っていいんだよ。強制退所を考えなくてもいいんだ」
それまで映し出されていた冷酷・冷徹な表情から一変。
とても慈悲深く優しい表情とトーンで訓練生にそう告げる。
これを見聞きした主人公の訓練生は「大丈夫です。もう少し頑張ります。」と言って自らまた厳しい拷問に耐える訓練に戻っていく。
こうした訓練を全てクリアした子供たちは晴れて一人前のスパイとして活動するべく、養成所を後にして街に出ていく。
主人公の少女は冷徹な表情で養成所を振り返り、他の仲間とともにその姿を消していく。」

この映画の話のあと、執筆者はこう切り出します。
「思うに、調教とはこういうものではないだろうか。限界ギリギリを見極め、耐えられないだろうと判断した時に叱咤や檄を飛ばず、出来ないことをなじるのでは無く、自ら進んでやろうとするように導く。出来ないことでさらなる仕置きをすることも、甘やかさないためには大事だと思うが、この教官のような手法もまた有効ではないかと考えさせられた。」

個人的には、「何のための調教であるのか」を常に考えていて、出来ないこと、理解できないことを出来るようにするための手段としての総称が「調教」だと思っています。
そして「調教」の果て、結果に何があるのか。ということをしっかり調教の受け手に伝え、理解させられないと意味がないよなぁと思う次第です。
サディストであれば調教が目的化することを否定はしませんが、D/s、主従であればこれが曖昧になるのはいかがなものかと思います。
何かの参考になれば幸いです。

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