考察を重ね、過去を振り返る事の大切さ

人は弱いものですし、過去の記憶も朧になります。時間が経過するほどそれは顕著になります。
Xで知り合ったとある方は、主さんとの関係や自分の考え、
思いについて壁にぶち当たっていました。
そうした行為はあっても、そこには精神的な何かがあるはず。
その精神性とはなんだろう。
こうしたポストに私がレスポンスしたことで、やり取りが
始まります。

DMを頂いて、その内容からじっくりと解き明かす必要がある。
回答ミスは許されない。いつにもましてそう感じていました。
何かが足りない、わからないということが垣間見えたので
私はこう問いました。「どうして今の方を主としたのですか。
そしてそのスタートは『従にしてくださいor従になれ』の
どちらだったのでしょうか。『従にしてください』が
スタートであれば、従いたくなる強烈な何かがあったはずで、
それは私の経験上でいうならブレない、揺るがない「矜持」の
ようなものなのです。まず、これを思い出してみてください。
思い出せたなら今の躓きは解消されます。」
結果、この方は振り返って何を主さんに求めていたのか、
そして今はどうであるのかをご自身で理解し当たっていた
壁からは抜けられたようでした。

私の返信はきっかけでしかなく、この方が冷静に自分のことや関係を持った時を思い返し、そして何を求めていたのか、求めていたものは今、どうであるのか等を判断し、自ら回答を導き出せたことが全てだと思います。
人は考察を重ねることよりも感情的に発言することを取りがちです。なぜならその方が楽ですし何より嫌なことをしなくて済むからです。
過去を振り返ることは、時に最もしたくないことだと思います。
未熟であったり幼稚であったりしたその時の自分を思い出さなくてはいけませんし、今、多少なりとも成長している自分であるなら、過去は恥でしかないと思いがちです。

ですが、過去の自分や過去に有った状況を思い出すことで今の状況が恵まれていることを理解でき、「それに比べれば今は」と思うことで、より冷静に現状を把握することもできると私は思っています。「失ってわかる大事なもの」は間違いなくあります。
ですが、その大事なものは失ってからじゃないと分からないものなのです。多くのケースは失ってしまうと取り返しがつかず後悔の中で生きていかねばなりません。

求めるものが入手できず、心が荒らくれることは理解できます。
でも、よく考えてみて欲しいのです。
過去の全く何もなく、行く道も見えなかったあの時に戻ることが本当に良いことなのですか。
感情的になる前に、自分に向き合い、過去を振り返って、今の状況を考えてみましたか。
自分の内面と向き合い、考察を重ねることで内省し、関係が壊れる、無くなることが無いとするなら考察を重ねることは大切であると思うのです。

ともすると長い関係性の中で主である、従であることを忘れがちで、場合によっては立場が逆転してしまう方々もいるでしょう。
主側においては、どうか従者の確認やお試し行為、ともすると我儘などに動じたり、忖度することなく泰然自若としていて頂きたいし、理不尽なものにはノーを突き付けて欲しいと思います。
従者側においては、今の状況が当然であると思わないよう、かつての自分の状況がどうであったのか、それに比べたら今はどうであるのか等、冷静に判断して欲しいと思います。

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