【魔王と暗殺者】私と彼女の人生は儘ならない。【[It's not]World's end】
一章【呉 理嘉 -転生-】
【落下】※文末に用語解説あり
「はぁっ……はぁっ…………ふっ」
ぐっ、と右手の人差し指と中指に力を入れて体を引っ張り次の手をホールドする。
「ねぇー、ねぇってばー。理嘉ちゃんってばぁー。……そろそろ帰ろうよぉ。日も暮れてきたし、それに……」
左手でカチ、右手はポケットに。
左足の爪先で石を蹴って跳び上がる。
右足を壁に滑らせるようにスメアさせる。
三角跳びの要領で地面と垂直な壁を蹴り、左手で狙いのガバ石を力任せに掴んだ。
ついさっきまで左手が掴んでいた出っ張った石は、今は私の休息所になっている。
汗が頬を伝う。
ドク、ドク、と血液が血管を駆け抜けるたびに感じる脈動が今はとても心地良い。
「ねぇーーもぉぉーー、理嘉ちゃーん、私の声聞こえてるーー??」
やっぱりボルダリングの醍醐味はヘンテコな態勢からちょっと無茶なランジでギリギリ届きそうにない石を掴む瞬間にあるよね。
それもとびきり高い場所のやつ。
まあ、コンペでこんなことやったら周りをハラハラさせるだけで、呆れられた眼差ししか向けられないだろうけど。
て言うかそもそも『ただ壁を高く登るだけ』みたいな課題はあまり興味がない。
でも良いんだ。別に私はお行儀の良いクライミングをやりたいんじゃないし、誰かに評価されたくてやってるんじゃない。
そして、真っ当に難易度の高い課題をクリアしたいって訳でもないんだ。
私は、私の限界を越えていきたい。
越え続けて行きたいんだ。
だから私は登るんだ。
高く。もっと高く。
「りーーかぁーーちゃーーん?? もしもぉーーし?」
昔からスポーツが好きだった。
たぶん、シンプルに体を動かすのが好きだったんだと思う。
だからクラブや部活で私が色んなスポーツに手を伸ばすのは自然なことだった。
でも。
そうやって色んなスポーツを試してみたけど、どれも私にはしっくりこなかった。
やれば出来る。
それも、まあ、人並み以上に。
そして、やれば出来ちゃう。
それが嫌だった。
ハッキリ言って、つまらなかった。
始めたばかりはすごく楽しい。
新しい知識と技術を取り込み、新しい挑戦をする。
「おぉーーい! りかすけーー?! 聞こえてるじゃろーー!! 聞こえたらおへんじしろーー!」
それは私をドキドキさせた。
でもすぐに上達してしまって、そのドキドキは薄れていく。
特に相手がいる競技はダメだった。
昨日まで私よりも上位だった者が、今日は私より下位にいる。
昨日まで楽しかったのに、今日は酷くつまらない。
その上、相手を傷付けてしまう。
そのことも堪らなく苦痛だった。
なぜなら私はただ純粋に楽しみたいだけだったのだから。
敵を作りたくない。
妬まれるのは鬱陶しい。
私は私がやりたい事をしたいだけだから。
「ねぇーー! もぉ私帰るよーー!?」
でも、ボルダリングは違った。
いつだったか忘れたけど、私がボルダリングに興味を持ったのは、高校に入学する前だったから半年かそこら前だと思う。
テレビで見たのだ。
CMだったかテレビ番組だったか、それも忘れちゃったけど。
最近ボルダリングが若い女性に人気らしい。
そんな、仕事帰りのOLがヨガ教室に通うかのごとき気軽さで私はボルダリングジムに足を運んだのだった。
そしてそれは運命の出逢いだった。
今日が楽しくても明日は苦痛になる。
ドキドキが続いてくれない。
どんなスポーツも、楽しい気持ちのままでいさせてくれない。
と、思っていた。
そんな私が、壁を登る。岩を登る。ただそれだけのことに、こんなに体を、心を熱くするなんて誰が想像できただろう。
使うものは体一つ。
細かく言うとシューズとかチョークとか諸々の備品はあるけど、それを言うのは野暮だから置いといて。
頼れるのは我が身だけ。
頭とフィジカル。
つまり自身の全てを使って登る。上る。昇る。
たったそれだけのことに私は熱中した。
『最大の敵は己自身だ』なんてよく言うけど、実はこれがホントそれ。その通りだった。
今日このコースをクリアしたら、明日はあのコース。
明日あの石まで届いたら、明後日はその上の石。
際限が無かった。
終わりが見当たらなかった。
それが、堪らなく嬉しかった。
そうして私はボルダリングにどっぷりとハマったのだ。
てな訳で、本日私は学校の体育館にあるボルダリング部の壁にお邪魔しています。
壁を拝借しています。
いつもなら自宅のトレーニングルームに造ってもらった私専用の壁を登るんだけど、今日は特別。
むしろ今日から一週間がテスト勉強を頑張った私へのご褒美。
「おイコラーー! 理嘉ちゃんコノヤロぉーー! 聞けコラーー! 勝手に使っちゃダメなんだよぉ!!」
……むぅ。幸は何も分かってない。
さっきからウルサい幸の声にちょっとだけ反応して幸の方をチラ見した。
そうしないと幸はずっとああだ。
幸は何にも分かってない。ボルダリング部でもない部外者の私がこの壁を登れるのは部活禁止のテスト期間だけだと言うのに。
「それにマットも敷かないで危ないよーー。もう帰ろうよぉー。明日もテストなんだよー? 帰って勉強しなきゃだょー」
やれやれ。幸は本当に何も分かってない。
学校にある競技に使われるような壁じゃないと低いんだもん。私の家にあるのはあくまでトレーニング用の低いものだし。
その点さすがお金持ちも多く通う我が高校だ。
設備の充実っぷりが並みのものとは比べ物にならない。
何せ体育館の一角にボルダリング部専用の壁があって、高さもロープクライミングに使えるように20メートル以上ある。
ボルダリングを始めてからというもの、私はずっとこの壁を一人占めしてみたかったのだ。
そう、何を隠そう私はずっとこの時を狙っていた。
だからこれは特別なご褒美なのだ。
今日日JKの嗜みであるお高いカフェのラテに匹敵する、頑張った自分への甘い甘いご褒美なのだ。
甘い甘いご褒美が熱い熱い肉体酷使なのは我ながらストイックだと笑えるけど、今私が燃えられるのはボルダリングだけ。
幸が勧めてくれる少女漫画やライトな活字も確かに面白いけど、残念ながら冷めた私の心を震わす程ではなかった。
小さい頃に習っていたバレエ教室やピアノもバイオリンも。
礼儀作法を学ぶために通ったお茶やお花やお琴の稽古事も。
息抜きにと親が買ってくれたギターもドラムセットも。
遊ぶために買ったドラムマシンやサンプラーもターンテーブルも。
スポーツが好きなら色んなものを試してみればきっと、と始めた様々なスポーツや武術も。
誰にという訳でもないけど早めに始めた料理や裁縫など各種花嫁修業にいたるまで。
全部それなりに楽しめて、お偉い先生方も褒めてくれたりコンクールや大会で賞を獲ったりもしたけれど。
どれも私が熱中するものじゃなかった。
どれも私を変える力は持ってなかった。
こんな風に言うと、またぞろどこの誰だか知らないクラスメイトや大人達に高飛車だなんだと陰口を叩かれちゃうんだろうけど、それでも、そんなの仕方ないじゃんって思う。
だって、どれもやれば出来ちゃうし、皆様が私を高く評価してくださるんだもの。
私が悪い訳じゃないよね?
私が"良い"だけなんだよね?
なら仕方ない。仕方ないじゃん?
妬まれても、羨まれても、私にはどうしようもないじゃない。
そんなに言うなら、皆も私みたく頑張ってみてよ!
そしたら私みたく出来るようになるかもよ!?
やってもないのに、頑張ってもないのに陰口ばかり立派に叩かないでよ。迷惑なんだよ。
「…………ふぅ」
息と一緒に嫌な気持ちを吐き出す。
はい、終了! やめやめ!
愚痴を考えるなんて良くない! 口にするなんて以ての外! しないけど!
私は、私が嫌だと思うことはしないって決めてるんだ!
だから私の中のもやもやはこれにて解散! 散れ散れ! 霧散しろ!
集中しよ。集中!
目の前の壁を登るのだ!
一心不乱に!
なぜ登るのかって?
そこに壁があるからさ!
登ればきっと楽しいからさ!
ただそれだけ!
ただそれだけなのさ!
「もぉ……また自分の世界に入ってるし。はぁ…………理嘉ちゃんはホント自由だなぁ。何でも出来て、ズルいよ。私もそんな風に生きてみたいょ……」
幸の声が聞こえた。
聞こえないように言ったつもりだったんだろう。
私が集中して、聞こえないと思ったんだろうな。
聞こえてるよ。
ちゃんと、聞こえてる。
周りのこと見えてるよ。
自分のことばっかりじゃないよ。私。
幸のことだって、ちゃんと見てる。
幸の声、ちゃんと届いてる。
幸は私の唯一の友達だから。
ただ一人の親友だから。
小さい頃から、ずっと仲良しで。
高校だって二人で頑張って勉強して一緒に入学して。
学校のクラス替えで一度も離れたことがないの、私の秘密の自慢なんだよ。
私が誰かに嫌われた時も側に居てくれた。
好き勝手先に進んじゃう私だけど、必ず付いてきてくれた。
振り返えったら幸が居てくれて、いつでも私を安心させてくれる。
だから私も安心して前を見て進むことが出来る。
誰かに嫌われても。
誰かに疎まれても。
誰かが私を蔑んでも。
誰かが私を憎んでも。
ちゃんと幸が私を見て笑ってくれるから、私は振り返って笑い返せるんだよ。
だから、幸にだけはそういうこと言ってほしくなかったな。
そう思われてるって知ってても。
目を瞑って息を整える。
火照った身体はまだちっとも冷めなくて。
汗が額を濡らす。
壁は残り3メートル程度。
ここから先は難易度がぐっと上がる。
初めて登るから、全体感はばっくりとしか分かってない。
それでも登る前にオブザベーションはしたからどのコースが楽しそうか分かってる。
どの手順で登るのが難しくて、どの石が掴みにくいものなのか分かってる。
挑戦のし甲斐があるのか、それが分かってる。
見ててね。幸。
ズルい。羨ましい。の、その先を見せてあげる。
私が幸を連れてってあげる。
私が見てる景色がある場所に。
きっと、幸なら解ってくれるから。
右手を斜め上に大きく伸ばし、小さな石にタンデュさせる。
指先だけの力で体を持ち上げ、右手を離し、即座に次の石を掴む。
足場すら無くても腕の力だけで登り進めることが出来るのも面白い。
自分の持つ能力だけを頼りに進む。
ただ力があれば良いんじゃない。
技術があれば良いんじゃない。
体躯に恵まれていれば簡単な訳でもない。
自分の持てるスペックの全てを使ってひたすらゴールを目指す。
こんなに熱くなれるものは他にない。
楽しい……!
「理嘉ちゃん、そんな急いで登らなくても……! ……理嘉ちゃん危ないよ。マット、私持ってくるから!」
「大丈夫大丈夫! 見てて、幸。私、スゴいんだから!」
「知ってるけど、で、でも、そんな高い所まで登って……」
あと少しだから。
もう少しだけ、私を見ていて。
小さな石を足場に右足だけで体を支える。
両手の人差し指は私の目の高さにあるスポットに収まっている。
今私の体は両人差し指と右足だけで壁に張り付いている。
少しランジすれば安定感のある石に手が届きそう。
でも、それじゃ挑戦じゃない。
その一手先。
私の頭から1メートルあるかないかのギリギリ届きそうな距離に小さなスポットがある。その右下にはカチも。
1メートル。
私の身長が160センチ弱だから、腕の長さはだいたい80センチくらい。高校生女子の垂直跳び平均は40センチくらいだから、これは軽々届く距離だ。
ここが地面であればの話だけれど。
でも、もし万が一スポットに届かなくても、安定した右下のカチさえ掴めば問題ない。
いける。
大丈夫、大丈夫。
だから、今は私だけを見ていて。幸。
人差し指をスポットに差し込んだまま、ゆっくりと体を上下に振る。
目指すは二手先の石。
見ててね、私のダブルダイノ。
強く、確りと両人指し指をスポットに食い込ませる。
そして私は大きく体を振ってーー。
「ふぅっ。ふぅっ。…………んんっ……だあっ……!」
跳ぶ。
両手を離し、宙を翔ぶ。
ほんの1メートル先。
その、僅かな、遥か先へ。
スポットに左手の中指が入った。
「よっしっ……ぃっ!?」
ずるっ、と指が滑る。
何だコレ!? 何でこんな滑るの!
まさか埃が溜まってる?!
っざけんな! 手入れはどんなスポーツでも基本中の基本だろ!?
「んぐっ」
右手を伸ばす。
カチを掴もうと目一杯。
汗が、目に入った。
「んぃぃっ!?」
汗がしみて思わず目を瞑る。
カチを掴み損なう。
横滑りしたような態勢で私の頭が段々右へ右へと傾いていく。
「へっ? あっ」
呆気に取られたような声。
そんな間の抜けた幸の声が聞こえた。
そして私は無様に落下した。
______________________
続き
【用語解説】
□カチ(カチホールド)=カチっと掴めるかかりのいいホールド(石)
□ポケット=穴の空いたホールド。指を差し込んだり足の爪先を引っ掛けたりする
□スメア(スメアリング)=足場のない壁に足を擦らせ足場のように使う。靴がすぐ磨り減る
□ランジ(ダイノ)=普通は届かないホールドへ手を飛ばすこと。跳躍のこと。大概のボルダラーは好き
□ガバ(ホールド)=ガバっと持てるでかいホールド
□オブザベーション=登る手順を考えること
□タンデュ=指の第一関節を引っ掛け指を伸ばして持つ持ち方。ポケットで多用する
■ダブルダイノ=両手を飛ばすランジ
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