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星野廉
2024年2月18日 07:46
本日、二月十八日は古井由吉(1937-2020)の命日です。 樹の下に陽が沈み、長い夜がはじまる。机に向かい鉛筆を握る。目の前には白い紙だけがある。深い谷を想い、底にかかる圧力を軀に感じ取り、睿い耳を澄ませながら白を黒で埋めていく。 目を瞑ると、そうやって夜明けを待つ人の背中が見えます。 合掌。※ヘッダーの写真はもときさんからお借りしました。 #古井由吉 #杳子 #夜明け
2024年10月28日 08:08
「「物に立たれて」(「物に立たれて」を読む・01)」の続きです。古井由吉の『仮往生伝試文』にある「物に立たれて」という章を少しずつ読んでいきます。以下は古井由吉の作品の感想文などを集めたマガジンです。 * 引用にさいしては、古井由吉作の『仮往生伝試文』(講談社文芸文庫)を使用します。 * まず、前回の記事をまとめます。 では、今回の記事を始めます。*引用
2023年11月4日 07:46
「彼」にとっての石ころ『杳子』の「一」では、たぶん「石」という言葉が出てくるのは、二箇所だけです。見落としがあったら、ごめんなさい。 これは「一」では「岩」という言葉が頻出するのと対照的です。 かたくなにと言いたくなるほど、「岩」が多く「石」が少ないのですから、裏に何かあるのではないかと勘ぐりたくなるのが人情ではないでしょうか。 小説を読むことは謎解きではないにしてもです。
2023年11月8日 09:35
始まり、途中、終わり『杳子』では、たとえば「左」「右」「上」「下」のように方向をあらわす言葉が、くどいくらいにくり返し出てきます。そうであれば、方向にこだわってみましょう。 小説は文字で書かれています。しかも、小説の文字列は線上に進んでいて、始まりと途中と終わりがあります。つまり、進行方向があるわけです。 私は小説の始まりと終わりだけを読むことがよくあります。これは癖と言うべきかもしれ
2023年11月22日 08:50
謎解き 小説を読むさいに、何らかの見立てを設ける場合があります。見立てなんて言うと、もっともらしく響きますが、図式的な先入観をもって読書に臨むことでしょう。 ようするに決めつけて読むわけです。 たとえば、謎解きです。ジャンルがミステリーの小説であれば、謎解きがテーマなはずですから、「正しく」謎を設定して、「正しく」解いていけば、「正しい」解にたどり着けるでしょう。 *
2023年12月24日 07:53
「僕」 小学生になっても自分のことを「僕」とは言えない子でした。母親はそうとう心配したようですが、それを薄々感じながらも――いやいまになって思うとそう感じていたからこそ――わざと言わなかったのかもしれません。本名を短くした「Jちゃん」を「ぼく」とか「おれ」の代わりにつかっていました。 さすがに学校では自分を「Jちゃん」とは言っていませんでした。恥ずかしいことだとは、ちゃんと分かっていたよう
2023年12月25日 08:06
吉田修一の『元職員』の読書感想文です。小説の書き方という点でとてもスリリングな作品です。「 」「・」「 」 たとえば、私が持っている新潮文庫の古井由吉の『杳子・妻隠』(1979年刊)に見える「・」ですが、河出書房新社の単行本では『杳子 妻隠』(1971年刊)らしいのです。 らしいと書いたのは、現物を見たことがないからです。ネットで検索して写真で見ただけです。 私は「・」がなかったり