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ドローンが変える戦争の倫理:グレゴワール・シャマユー『ドローンの哲学』を読む
昔、ドローンは単なる『娯楽』でした。
まさか軍事、商業、娯楽など、様々な分野で活用されるテクノロジーとなるなんて、誰も思っていませんでした。
特に軍事利用においては、その存在感が増しており、戦争の様相を大きく変えつつあります。
ということで、今日紹介するグレゴワール・シャマユー『ドローンの哲学』は、ドローン、とりわけ無人戦闘機の登場がもたらす倫理的、法的、政治的な問題を深く考察した書籍です。
現代という混迷の時代に対する警告の書として、ドローンがもたらす帰結を「哲学」的に考察しています。
フランスで2013年に刊行され、英訳版は「大学教授が考えるすべての学生が読むべき7冊」に選出されるなど、国際的に高い評価を得ており、各国で翻訳されています。
ドローンとは何か?
シャマユーは、本書で扱うドローンを、9.11以降、2000年代以降のテロとの戦いにおいて実用化が加速した無人戦闘機に限定しています。
ドローンは、遠隔操作によって飛行し、偵察、監視、攻撃などの任務を遂行することができます。
その特徴は、有人戦闘機と比べて、操縦者が危険にさらされるリスクが低く、長時間の飛行が可能である点にあります。
ドローンがもたらす倫理的問題
ドローンの利用は、従来の戦争倫理に大きな変化をもたらします。
これまでの戦争では、兵士は自らの生命を危険にさらしながら戦っていました。
しかし、ドローンを用いることで、操縦者は安全な場所から敵を攻撃することが可能になります。
米国は、かねてより「戦死者」を出さない戦争を模索しており、その結果としてドローンが開発され、進化してきました。
このような遠隔操作による殺害は、兵士の心理にどのような影響を与えるのでしょうか?
また、従来の戦争における「正当な殺害」の概念は、ドローンによってどのように変容するのでしょうか?
シャマユーは、ドローン兵器が戦争における殺し=殺される、傷つけ=傷つけられるという相称性、対称性を決定的に変質させてしまう点を指摘しています。
シャマユーは、ドローン操縦者の心理的な葛藤について、デーヴ・グロスマンの『戦争における「人殺し」の心理学』を引用しながら論じています。
グロスマンは、殺人への抵抗感は、攻撃者と被害者の距離に反比例すると述べています。
つまり、近距離での殺害は強い抵抗感を伴う一方、遠距離からの攻撃は心理的な負担が軽減されるというのです。
しかし、ドローンの場合は、操縦者は物理的には遠くにいるものの、高性能カメラを通して、攻撃対象を鮮明に捉えることができます。
このような「遠さ」と「近さ」の両極端の合流は、従来の戦争倫理では想定されていなかった新たな問題を提起します。
ドローンと「死倫理学」
シャマユーは、ドローンによって生じる倫理的問題を、「死倫理学」という概念を用いて分析しています。
これは、個々人の死の価値を比較衡量し、より少ない犠牲でより多くの敵を殺害することを正当化する考え方です。
ドローンは、まさにこの「死倫理学」に基づいた兵器と言えるでしょう。
シャマユーは、ドローン技術によって、戦争の倫理は「いかに善く生きるか」から「いかに善く殺すか」へと焦点が移行すると指摘しています。
さらに、ドローン戦争は、個々人の死の価値を天秤にかけるという問題を提起します。
ドローンが変える法と政治
倫理的なジレンマに加えて、ドローンの使用は国際法および政治情勢にも大きな影響を与えます。
ドローンの利用は、戦争に関する法体系にも影響を与えます。
従来の国際法では、国家間で宣戦布告が行われた場合にのみ、武力行使が認められていました。
しかし、ドローンは、宣戦布告のない状態でも、他国の領空に侵入し、攻撃を行うことが可能です。
このような現状は、国際法の再解釈を迫るものと言えるでしょう。
シャマユーは、カール・シュミットの議論を引用し、ドローンによって戦争が国家間の対立から、国家によるテロリストに対する警察活動へと変容しつつあると指摘しています。
さらに、シャマユーは、ドローンが政治のあり方をも変容させると指摘します。
ドローンは、国家が自国民を危険にさらすことなく、戦争を行うことを可能にします。
これは、民主主義国家において、戦争に対する国民の抵抗感を弱め、結果として「民主主義的軍国主義」を招く可能性があります。
シャマユーの哲学的考察
シャマユーは、本書で、ドローンをめぐる様々な議論を、哲学的な視点から分析しています。
彼は、既存の哲学的概念や議論を参照しながら、ドローンがもたらす新たな問題を浮き彫りにし、読者に深い思考を促します。
特に、カール・シュミットの政治哲学や、ミシェル・フーコーの生政治論は、シャマユーの議論を理解する上で重要な役割を果たしています。
シャマユーは、フーコーの議論を踏まえ、ドローン戦争が国家による新たな統治手法として機能する可能性を指摘しています。
また、シャマユーは、無人化が進む現代社会において、人間の身体はどのように位置づけられるのかという問題も提起しています。
彼は、自身の著作『人間狩り』で展開した議論を踏まえ、ドローン戦争が人間の身体に対する新たな暴力の形態を生み出す可能性を論じています。
ある意味恐ろしい
『ドローンの哲学』は、ドローンという現代のテクノロジーが、戦争の倫理、法、政治にどのような影響を与えるのかを深く考察した書籍です。
シャマユーの鋭い分析は、ドローンだけでなく、AI、ビッグデータ、自律型ロボットなど、現代社会における様々な技術的問題を考える上でも重要な示唆を与えてくれます。
本書は、これからの社会を生きる上で、避けては通れない問題を提起するもので、見てられない部分を書いていると言えます。つまり恐ろしい本でもある。
結論
『ドローンの哲学』は、ドローン技術が戦争にもたらす倫理的、法的、政治的な影響を深く考察した重要な著作です。
無人戦闘機の登場は、戦争における人間の役割、倫理、そして政治のあり方そのものを変容させつつあります。
本書は、これらの変化を理解し、未来の戦争と社会について考えるための必読書と言えるでしょう。
シャマユーの提起する問題は、現代社会における技術と人間の関わりについて、深く考えるきっかけを与えてくれます。
ぜひ手に取り、ドローン戦争が突きつける課題と向き合ってみてください。
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