人生の苦悩に光を当てる、キルケゴールの『死に至る病』
セーレン・キルケゴールは、19世紀デンマークの哲学者、神学者であり、「実存主義の父」とも呼ばれています。
彼の思想は、人間の存在、自由、選択、そして信仰といった問題に深く切り込み、現代においても多くの思想家、作家、そして一般の人々に影響を与え続けています。
その中でも、『死に至る病』は、キルケゴールの主著の一つとして、人間の存在の根源的な問題である「絶望」を深く考察した作品です。
1849年に出版されたこの本は、副題に「教化と覚醒のためのキリスト教的、心理学的論述」とあるように、キリスト教的な視点から人間の心理を分析し、絶望の克服、そして信仰による救済の可能性を提示しています。ですが、宗教本ではないのでご安心を。
死に至る病とは?
キルケゴールはこの著作で、「死に至る病とは絶望のことである」と述べています。
ここでいう「死」は肉体的な死ではなく、魂の死、つまり精神的な死を意味します。
そして、「絶望」とは、自己との不一致、自己を喪失した状態、あるいは自己でありたくないという状態を指します。
キルケゴールは、人間は自己を意識する存在であるがゆえに、絶望に陥る可能性を常に抱えていると主張します。
自己を意識するということは、自己と向き合い、自己を規定し、自己を選択することを意味しますが、それは同時に、自己を失う可能性、自己を否定する可能性、自己から逃れようとする可能性を孕んでいるからです。
絶望の様々な形態
『死に至る病』では、絶望の様々な形態が分析されています。
自己を意識しない絶望: これは、自分が絶望していることに気づいていない状態です。多くの人は、日々の生活に追われ、自己と向き合うことなく、この状態に留まっているとキルケゴールは指摘します。
自己でありたくないという絶望: これは、自己を否定し、自己から逃れようとする絶望です。自己に欠陥や罪悪感を感じ、そこから逃れるために、快楽や享楽に耽溺したり、他者に依存したりする状態がこれに当たります。
自己であろうとする絶望: これは、自己を絶対化し、自己に固執する絶望です。自己の能力や才能を過信し、他者を軽視したり、支配しようとしたりする状態がこれに当たります。
キルケゴールは、これらの絶望の形態は、程度の差こそあれ、すべての人が経験する可能性のあるものであると述べています。
そして、真の自己に目覚め、神との関係において自己を理解することによってのみ、絶望から解放されることができると主張します。
信仰による救済
ここが好き嫌いが分かれるところなのですが、キルケゴールは、『死に至る病』において、絶望からの救済の可能性をキリスト教信仰に見出しています。
彼は、人間は有限な存在であり、自己の力だけでは真の自己に到達することはできないと述べます。
真の自己は、神との関係においてのみ見出されるものであり、信仰によってのみ、人間は自己の限界を超え、永遠の生命へと至ることができるのだという結論を出しています。
現代における意義
『死に至る病』は、現代社会においても重要な意味を持つ著作です。
現代社会は、物質的な豊かさや情報過多の中で、人々が自己を見失い、絶望に陥りやすい状況にあります。
キルケゴールの思想は、そのような現代人に、自己と向き合い、真の自己を求めることの重要性を改めて問いかけるものです。
また、キルケゴールは、個人の内面的な葛藤や苦悩に焦点を当て、人間の存在の深淵を描き出しました。
彼の思想は、現代の心理学、精神医学、そして文学にも大きな影響を与えており、人間の心の理解を深める上で欠かせないものとなっています。
『死に至る病』は、難解な部分もありますが、人間の存在の本質に迫る、深い洞察に満ちた作品です。
現代社会を生きる私たちにとっても、多くの「生きるヒント」を与えてくれる古典と言えるでしょう。
【編集後記】
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