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コロナ禍日記

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コロナ禍と出会い直すためにあの頃の日記を載せていきます. ひとりで戦い続けた,面会制限解除までの道のり.
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#コロナ禍

2020年12月30日

当直明けの眠い眼をこすりながら病棟へ向かうと,師長が誰かに電話をしていた.同じ内容を複数の相手にかけ続けている. 話の内容が耳に入ってくる. 「明日の12/31から年明け1/3まで,当病棟は完全に面会禁止となりました」 当地ではクラスターの発生の報道は殆どない.一体誰が,どのようなプロセスを踏んでこのような決定をしたのだろうか. 私の担当患者にとってはこれが100%最期の正月だ.正月を迎えることを目標にして頑張っている患者もいる.本人家族ともにそれを承知し,いろいろ「準

2020年12月2日

何気なく流れてきた某教授のつぶやきを読み,半年あまり,自分が何に対して怒り,失望,やるせなさを感じていたのか気づいた. 最近,ホスピスに入院しているある女性に何気なく問いかけられたことがある. 患:「私がコロナに感染したら,どうなりますか?」 私:「60代で基礎疾患があるから・・・数%で重症化して亡くなるかもしれませんね・・・」 患:「私は正月は迎えられないと言われているのです.それまでにこの制限は解除されて東京の息子や孫に会うことが出来ますか?」 私:「・・・・・

2020年11月5日

私は非科学的、非論理的なことを強制されることを蛇蝎の如く嫌う。バカな決まりに従うくらいなら死んだ方がマシだ。 しかし、当職場では、皆が「お上の決めたこと」には盲従し、思考停止している。お上に楯突いたら当地では生きていけないらしい。 しかし、ある決まりを制定したなら、決めた者は常にその根拠を明らかにし、状況が変わったり、矛盾が生まれれば決まりを見直すことは当然だろう。決まりからの逸脱事例が生じれば、私は決して放置せず、とことん追求する。 当院では県外の人間を「県外者」と呼び

2020年9月29日

10月から,当地から首都圏などとの往来制限が緩和されるらしい. とはいっても,病院での面会制限は緩和される見込みはなく,むしろ,会えなくて当然,仕方のないこととなっている. 少し前なら,家族から何とか会わせてほしいと懇願されることがしばしばであったが,最近はあまりなくなった.みんな我慢しているんだからと,最初から諦めている様子さえ感じる. 「どうせ逢わせてもらえないんでしょ」という表情からは,ケアに対しても何も期待していないようにも受け取れる. これまで,悪疫により普通の

2020年9月8日

悪疫がほとんど発生していない田舎では,「落ち着いてきた感」がある.それは決して望ましい落ち着きではない.諦めと排他主義が行き着くところまで行き着いた結果だ. 「面会は県内在住の家族の中からあらかじめ登録した3名まで.病室へは同時に2名までが入室でき,滞在は15分まで.その3名も,2週間以内に県外へ出かけておらず,県外からの来訪者と過ごしていないことが条件」 「県外からの家族の面会は禁止.面会を希望する場合には,当地に来てから,他の家族に接触せずに14日間経過したら,面会が

2020年8月28日

コロナ禍が始まる数ヶ月前から入院している患者が,まもなく最期を迎える. 彼女には近くに住む娘と,遠く関東に住む息子がいる. 娘は面会制限の規則を遵守しながら会いに来る一方で,息子は県外者の面会が禁じられてから数ヶ月間会えていない. まもなく最期を迎えるであろう一報を聞き,息子は会えないとわかっていても居ても立ってもいられず,当地へ来てしまった. 当地では,県境を越えて14日間は「汚物」のように穢れの対象となるのだが,禊の14日間が過ぎると,キレイな県内の人と認定される.

2020年7月2日

かなり前になるが,北穂小屋を建設した小山義治さんのドキュメンタリーを見ていたときのこと. 北穂に登りながら彼が「最近は小鳥の声が減った.本当に減った」と述べていたことが今でも頭に残っている.偉大な画家としても知られる彼の一言からは,この過酷な登山中も「小鳥の声」を聴く心と体の余裕があるのだと気付かされた. 職場ではいろいろな音が耳に入る.けたたましいアラームの音,スタッフや家族たちの話し声. 悪疫が来てからというもの,ある音が聞こえなくなったことに気づいた. 回診で病室

2020年7月1日

悪疫は,辺境にある当地にとっては遠雷のようである. しかし,当地でも相変わらず,面会制限が続いている. この地にこれからも住み続けざるを得ないスタッフは,上が決めたことに盲従するしかない.盲従するうちに,判断力を奪われ,何が正しいのか次第にわからなくなっていく. 現場では,看護師たちが,死にゆく患者に一目だけでも会いたいと縋ってくる家族たちを,門番のように追い返す役割を担わされている. 家族とともに最期のケアを紡いできた彼女たちにそのような苦役を強いるのはとんでもないこと

2020年6月23日

「まだ面会できないんですか?」 「身体の痛みだけでなく,精神的な苦痛も和らげていただけると思っていたのに残念です」 毎日のように詰られる. ホスピスのパンフレットを握りしめ皆,初診外来にやってくる. 「家族のケアも行います」 「付きそう家族が宿泊できる部屋があります」 「ボランティアによる行事の数々」 など,商業的な温かい写真とともに添えられた言葉たちが,パンフレットに虚ろに並んでいる. ここに書いてあるのは嘘なんですね,と呆れられることもある. 私も「騙してごめんな

2020年6月17日

ホスピスではゆったりとした時間が流れる中,自分は症状だけにしか目を向けなくなっていた. 痛み,呼吸困難,せん妄・・・ 朝昼のカンファレンスでも,私の口からは薬の話だけ.オピオイドの話,眠剤や抗精神病薬の話,鎮静の話. 「〇〇さん,自宅に帰りたいと行っています」 「そうですか・・・」(こんな時期に無理でしょう.そういえば家族の顔も思い浮かばないな) 「△△さん,ここに来てから全然良くならないって言っています」 「そうですか・・・」(△△さんの病状認識はどうだったっけ・

2020年6月13日

緩和ケアは市場原理渦巻く病院という組織とは相反するもので,このアイデンティを掲げて病院では生きてはいけないのだろう. 「私は,もう,この件であなたたちと話し合う気はありません」 当地に来て,2回,カンファレンスの場で私の口から出た言葉.一度目は長生きしている患者を,診療報酬上の理由でホスピスから退院させる施策に基づく話し合い.二度目は今回の面会禁止について. 現場のスタッフ間で「面会制限」に関して討議するのは,私にとっては醜悪であり,ホスピスケアを嬲り殺しているようにし

2020年5月13日

悪疫の影響で,個人的な生活の満足度は高くなっているが,ナリワイについては,マズい方向へ流れている. 私のナリワイは,最期までの「美しき流れ」を整えることだと思っている. 外来で初対面の(患者と)家族に出会った瞬間に,相手の間合いに飛び込んで信頼を獲得し,関係性を築くことが業務上のMustである.ことばだけでなく,表情や佇まい,醸し出す雰囲気も「武器」であり,その妨げにしかならないマスクを悪疫以前は忌避していた.かつて属していた診療科ではあり得ない程の長い時間を対話に充て,相

2020年5月10日

GW明けあたりから,当地では「町中の個人洋品店(普段,ほとんど客がいない)」の店先にサージカルマスクが積み上げられ始めている. 価格は一箱2500-3500円くらい. その横には「ファッションマスク」という名の新商品が並んでいる.いわゆる手づくり布マスクのようだ. 当地では,街を歩くヒトのほとんどが何らかのマスクをしている.幕末の土壇場で新政府軍に寝返った土地柄もあってか,お上のご意向には絶対服従の模範的な社会なのだろう. 私にはマスクを手に入れる術がない.ドラッグストア

2020年4月8日

悪疫で最期を迎えた方の物語を報道で知ると胸が苦しくなる. 感染拡大を防ぐために、愛する家族すら患者本人に近づくことさえ許されない.液晶越しに別れを告げられればまだ良い方で,入院した後,最期まで会えぬまま,国によっては遺灰すら戻ってこないという. 私の職場でも感染拡大が日々深刻化するにつれ,「原則面会禁止」の「原則」が「鉄則」になりつつある. そして,私の目の前では,当然のごとく普段と変わらぬひとつひとつの死がある. この悪疫に対する考え方は,事ここに至っても個人差がかな