2020年6月23日
「まだ面会できないんですか?」
「身体の痛みだけでなく,精神的な苦痛も和らげていただけると思っていたのに残念です」
毎日のように詰られる.
ホスピスのパンフレットを握りしめ皆,初診外来にやってくる.
「家族のケアも行います」
「付きそう家族が宿泊できる部屋があります」
「ボランティアによる行事の数々」
など,商業的な温かい写真とともに添えられた言葉たちが,パンフレットに虚ろに並んでいる.
ここに書いてあるのは嘘なんですね,と呆れられることもある.
私も「騙してごめんなさい.もう,どれもこれもありません.こんな馬鹿げた制限,やってられませんわ」と笑い飛ばすのが関の山.実際に,面会制限によって生じる,怒りや悲しみ,やりきれなさのエネルギーの塊を受け取り,制限を決めた「彼ら」に投げつけるくらいしか,私にはできない.
先週からは,県境越えが可能となったものだから,そのエネルギーはどんどん増幅されている.
このような制限は,会議室で決められる.
「病院がクラスターになったら大変だ」という「正しい」方針に異を唱える人はいない.しかし,ゼロリスクの追求に伴って生まれる有象無象のエネルギーを彼らは知らないのだろうか.
愛する家族との最期のひとときを奪われる,生業を壊され生活の糧を奪われる,学業を続けられなくなる・・・
エラい人々には,クーラーの効いた部屋で,悪疫に怯えながらゼロリスクの幻想を追い求めるのではなく,最前線に来て,彼らのエネルギーの塊を直に浴びてもらいたいものだ.