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2020年9月29日

10月から,当地から首都圏などとの往来制限が緩和されるらしい.
とはいっても,病院での面会制限は緩和される見込みはなく,むしろ,会えなくて当然,仕方のないこととなっている.

少し前なら,家族から何とか会わせてほしいと懇願されることがしばしばであったが,最近はあまりなくなった.みんな我慢しているんだからと,最初から諦めている様子さえ感じる.
「どうせ逢わせてもらえないんでしょ」という表情からは,ケアに対しても何も期待していないようにも受け取れる.

これまで,悪疫により普通の死が粗末に扱われていると感じてきたが,最近は「生」すらも粗雑に扱われ始めている.

本人の意志の軽視.本人が病とどう向き合ってきたか,現状をどう理解しているのか,これからどこで誰とどのように生きていきたいのか・・・
そういうことについて丁寧に対話することが緩和ケアの本質だと考えてきたが,初診外来での家族との対話の中で,それらを話題にできなくなってきた.

先日の学会でも報告したが,当地は超高齢化先進県.入院患者の2割以上が90歳以上の超高齢者だ.がんと診断されても治療は行わず,そのままホスピスへ紹介されることも少なくない.

悪疫による面会制限で,家族は入院以来,本人に会えぬまま,ホスピスへの紹介状だけを渡されて私の前に現れることも増えてきた.家族に何を問うても,「入院以来,本人に会えていないからわかりません」の返事.

今,痛みがあるのか? 
食べているのか? 歩けているのか? 
自分が癌であることを知っているのか?
治療を受けないことに納得しているのか?
ホスピスへ転院することをどう感じているのか?
家で暮らそうとは考えていないのか?

このような問いに対して何も答えられない家族を責めるつもりはない.ただ,90年以上生きてきた人間を,ドナドナの如くホスピスへ連れてきてよいはずはない.

「じゃあ,どうすればいいでしょうか」と家族に問われば,とにかく,本人に会って,きちんと話し合うようにとお願いする.そして,紹介状の返事にも,本人の意志確認のために,本人と家族とを会わせてほしいと書きつける.その後,紹介元から何の音沙汰もないことも珍しくない.

別に,本人が病気を理解する必要はない.
ホスピスが何なのか,わからなくていい.
治療について,アレコレ考えなくていい.

とにかく,本人と家族が納得した上で,「ココ」に来てほしい.もはやココはホスピスでもなんでもない.ヒトが最期まで,多少窮屈ではあるが,安心して暮らせる場所でありたい.

悪疫で大変なのは理解できる.死を粗末に扱うことも仕方がないと思う.ただ,生を粗雑に扱うことだけは許してはならないと信じている.

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