Wanderer

放浪しながら,小さな声を上げていきます.

Wanderer

放浪しながら,小さな声を上げていきます.

マガジン

  • コロナ禍日記

    コロナ禍と出会い直すためにあの頃の日記を載せていきます. ひとりで戦い続けた,面会制限解除までの道のり.

最近の記事

2020年7月2日

かなり前になるが,北穂小屋を建設した小山義治さんのドキュメンタリーを見ていたときのこと. 北穂に登りながら彼が「最近は小鳥の声が減った.本当に減った」と述べていたことが今でも頭に残っている.偉大な画家としても知られる彼の一言からは,この過酷な登山中も「小鳥の声」を聴く心と体の余裕があるのだと気付かされた. 職場ではいろいろな音が耳に入る.けたたましいアラームの音,スタッフや家族たちの話し声. 悪疫が来てからというもの,ある音が聞こえなくなったことに気づいた. 回診で病室

    • 2020年7月1日

      悪疫は,辺境にある当地にとっては遠雷のようである. しかし,当地でも相変わらず,面会制限が続いている. この地にこれからも住み続けざるを得ないスタッフは,上が決めたことに盲従するしかない.盲従するうちに,判断力を奪われ,何が正しいのか次第にわからなくなっていく. 現場では,看護師たちが,死にゆく患者に一目だけでも会いたいと縋ってくる家族たちを,門番のように追い返す役割を担わされている. 家族とともに最期のケアを紡いできた彼女たちにそのような苦役を強いるのはとんでもないこと

      • 2020年6月23日

        「まだ面会できないんですか?」 「身体の痛みだけでなく,精神的な苦痛も和らげていただけると思っていたのに残念です」 毎日のように詰られる. ホスピスのパンフレットを握りしめ皆,初診外来にやってくる. 「家族のケアも行います」 「付きそう家族が宿泊できる部屋があります」 「ボランティアによる行事の数々」 など,商業的な温かい写真とともに添えられた言葉たちが,パンフレットに虚ろに並んでいる. ここに書いてあるのは嘘なんですね,と呆れられることもある. 私も「騙してごめんな

        • 2020年6月17日

          ホスピスではゆったりとした時間が流れる中,自分は症状だけにしか目を向けなくなっていた. 痛み,呼吸困難,せん妄・・・ 朝昼のカンファレンスでも,私の口からは薬の話だけ.オピオイドの話,眠剤や抗精神病薬の話,鎮静の話. 「〇〇さん,自宅に帰りたいと行っています」 「そうですか・・・」(こんな時期に無理でしょう.そういえば家族の顔も思い浮かばないな) 「△△さん,ここに来てから全然良くならないって言っています」 「そうですか・・・」(△△さんの病状認識はどうだったっけ・

        2020年7月2日

        マガジン

        • コロナ禍日記
          11本

        記事

          2020年6月13日

          緩和ケアは市場原理渦巻く病院という組織とは相反するもので,このアイデンティを掲げて病院では生きてはいけないのだろう. 「私は,もう,この件であなたたちと話し合う気はありません」 当地に来て,2回,カンファレンスの場で私の口から出た言葉.一度目は長生きしている患者を,診療報酬上の理由でホスピスから退院させる施策に基づく話し合い.二度目は今回の面会禁止について. 現場のスタッフ間で「面会制限」に関して討議するのは,私にとっては醜悪であり,ホスピスケアを嬲り殺しているようにし

          2020年6月13日

          2020年5月13日

          悪疫の影響で,個人的な生活の満足度は高くなっているが,ナリワイについては,マズい方向へ流れている. 私のナリワイは,最期までの「美しき流れ」を整えることだと思っている. 外来で初対面の(患者と)家族に出会った瞬間に,相手の間合いに飛び込んで信頼を獲得し,関係性を築くことが業務上のMustである.ことばだけでなく,表情や佇まい,醸し出す雰囲気も「武器」であり,その妨げにしかならないマスクを悪疫以前は忌避していた.かつて属していた診療科ではあり得ない程の長い時間を対話に充て,相

          2020年5月13日

          2020年5月10日

          GW明けあたりから,当地では「町中の個人洋品店(普段,ほとんど客がいない)」の店先にサージカルマスクが積み上げられ始めている. 価格は一箱2500-3500円くらい. その横には「ファッションマスク」という名の新商品が並んでいる.いわゆる手づくり布マスクのようだ. 当地では,街を歩くヒトのほとんどが何らかのマスクをしている.幕末の土壇場で新政府軍に寝返った土地柄もあってか,お上のご意向には絶対服従の模範的な社会なのだろう. 私にはマスクを手に入れる術がない.ドラッグストア

          2020年5月10日

          2020年4月25日

          エラい人たちが「10万円」について喧々諤々の議論をしている. 己のために使うのが後ろめたいのであれば,己の「推し」のために使うことを提案したい. 悪疫で激烈な影響を受けた業界がある一方で,私のナリワイは影響を受けていない.以前は帰り道に小料理屋やBarへ繰り出したり,休日に野山を彷徨していたが,それらがテイクアウトやお取り寄せに,自宅での映画鑑賞や読書に変わった程度だ. 幼い頃,聖書で「ノアの方舟」を読んだ際,自分たちだけが生き残って,マンガもテレビもない世界で,生きてい

          2020年4月25日

          2020年4月8日

          悪疫で最期を迎えた方の物語を報道で知ると胸が苦しくなる. 感染拡大を防ぐために、愛する家族すら患者本人に近づくことさえ許されない.液晶越しに別れを告げられればまだ良い方で,入院した後,最期まで会えぬまま,国によっては遺灰すら戻ってこないという. 私の職場でも感染拡大が日々深刻化するにつれ,「原則面会禁止」の「原則」が「鉄則」になりつつある. そして,私の目の前では,当然のごとく普段と変わらぬひとつひとつの死がある. この悪疫に対する考え方は,事ここに至っても個人差がかな

          2020年4月8日

          2020年3月13日

          悪疫の流行により,「無観客〇〇」を目にしない日はない.昨晩もニュース番組で,ラグビー元日本代表の方が自身の無観客試合の経験を語っており,「トライしてもホイッスルのみで,歓声がないこと」へのやりきれなさを語っていた.  プロスポーツにとっての「観客」とはいかなる存在なのか,考えるうちに自身が向き合う問題との相似を感じていた.  当地で悪疫の知らせが舞い込んだ途端に,黒船来航の如く?,街はパニックとなった.そんな姿に苦笑するしかないのだが,各病院は,面会禁止令を出し始めた.ホ

          2020年3月13日

          2020年3月1日

          日記を遡って,コロナ禍が初めて現れた日. 仙台へ行ってきたとわかると、「新幹線乗ったんですか」と悪いことをしたかのように冷たい目で言われる。 乗っちゃダメなの?と返すも、「怖くないんですか?テレビでこんなに騒いでいるのに」と、鼻頭をマスクから出しながら鼻息が荒い。 職場でもマスクをしていない私への冷たい視線も尚一層厳しくなり、その同調圧力に耐えかね、マスクを付けるようになった。 街ではデマに踊らされた市民によりトイレットペーパーが買い占められているらしい。 海外に住む

          2020年3月1日

          あしたから出版社

          一昨日、「夏葉社日記」を読みながら、咄嗟に注文した「長い読書」が、実は「師匠」の書いた本であり、そこに今読み終えようとしている本のあとがきが書かれているという、鳥肌の立つ偶然を味わった。 文中に度々登場する師匠の著書「あしたから出版社」を、どうしてもすぐに読みたくなり、文庫版をAmazonで購入し読み終えた。 文庫本はAmazonで買うことに抵抗はないものの、単行本は、デザインや手触りを味わうため、本屋に注文して買うことにしている。 注文してから手元に届くまで数週間はかか

          あしたから出版社

          内なる治療医との対話

           「ご本人は病気のことをどのように捉えていますか?」「ホスピスへ移ることについて、ご本人はどう考えておられますか?」私がホスピス外来で、来院した家族に必ず投げかける問いである。 「どうって言われても・・・」「本人にはまだホスピスのことを話していません」、多くの方がそう答える。紹介状や、外来での家族との対話の中から、患者本人の意思は見えてこない。多くの場合、「抗がん治療をしない患者はウチではこれ以上診られない」と言われ、かといって、すまいへの退院もできず、仕方なくホスピスへやっ

          内なる治療医との対話

          わすれられない患者さん

          第二次ベビーブームの頃、子宝に恵まれない若い夫婦がいた。当時は不妊治療の黎明期。妻は丸一日溜めた尿を検査容器に入れて、毎週、満員電車で「お茶の水医大病院」へ通った。その甲斐あってか、男の子が誕生した。 その時の担当医であったA先生を、「もうひとりの父」として母から刷り込まれて育ったその男の子は、後に医師を志し、お茶の水医大を目指した。 男の子は念願叶い入学したものの、大学内にA先生を知る人はすでにおらず、その足跡をたどることは出来なかった。それでも彼は、臨床実習で産科を回っ

          わすれられない患者さん

          ともに歳を重ねに〜越後村上

          師走を迎える頃になると、 必ず思い浮かべる街がある。 16年前、 何もかもが嫌になり、 仕事を放り出してその足で東京駅へ向かい、 目についた電車に飛び乗った。 年の瀬も押し迫りどこか慌ただしい雰囲気の車内で、 鉛色の空と荒れ狂う冬の日本海がふと心に浮かんだ。 何かに導かれるように、 羽越本線に乗り換え、 さらに北へ。 辿り着いた終着駅の名前に覚えがあった。 少し前の新幹線車内誌の記事が甦る。 ふだん大して読まない車内誌なのに、 「鮭の街」が特集されていたその記事はなぜか

          ともに歳を重ねに〜越後村上

          夏葉社日記

          本というよりは書店が好きで,中学時代に初めて訪れた「神田古書店街」がこの世の楽園に思えた. そのため,茨城県から神田に行きやすい高校,古書店街に最も近いお茶ノ水の公立大学に通い,勤務中に古書店街へ通える職場を選んだ. このようなものだから,大学時代,同級生と昼食を共にすることはなく,昼休みはほぼ毎日古書店街を彷徨い,そのまま講義に戻らない日も多かった. その後,各地を転々とする中でも,その街の書店を歩き回り,好みの書店を見つけては,休日ぶらり訪れるのが何よりの楽しみだった.

          夏葉社日記