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2020年7月2日

かなり前になるが,北穂小屋を建設した小山義治さんのドキュメンタリーを見ていたときのこと.
北穂に登りながら彼が「最近は小鳥の声が減った.本当に減った」と述べていたことが今でも頭に残っている.偉大な画家としても知られる彼の一言からは,この過酷な登山中も「小鳥の声」を聴く心と体の余裕があるのだと気付かされた.

職場ではいろいろな音が耳に入る.けたたましいアラームの音,スタッフや家族たちの話し声.

悪疫が来てからというもの,ある音が聞こえなくなったことに気づいた.

回診で病室を訪れると,子どもがクレヨンで描いたと思われる絵が貼ってあり,「おばあちゃん,がんばってながいきしてね」と添えられている.

そうか,この方には孫がいたんだなと初めて気づいた.と同時に,子どもの声や泣き声がホスピスから消えたことにも気づいた.面会制限が布かれてから,家族と「他の家族」についての話をするのは自然と避けるようになっていた.

日々の業務の中で,「看取りの文化」が社会から消え失せようとしていると肌身で感じている.

全室個室のホスピスでは,かつては土日になれば多くの家族が入れ代わり立ち代わり訪れていた.悪疫以前は1日合計65人も面会者が訪れた日もあった.平日の静謐さとは異なり,休日のホスピスは賑わいを見せていた.

小さな子どもたちも来棟し,病棟内を走り回っていた.時に転んで泣き叫ぶ「アクシデント」もあったり.

平日でも最期が近くなれば,東京などから子や孫が駆けつけ,小さな個室は人で溢れていた.死の意味もわからぬ小さな子どもたちはしきりに患者へ声をかけたりもしていた.それを見て,他の家族が涙を流したり.
やや独善的だが,死亡診断の際は小さな子どもたちを部屋から追い出すことなく,むしろ近くに呼び寄せて行っていた.

診断の後,「おばあちゃん,死んじゃったの?」と,無邪気な台詞が子供から飛び出すこともあった.周りにいる年長の親戚がその子にわかりやすく,温かく説明してくれたりもした.その場がほっこり和んで,患者自身にも笑顔が浮かんでいるような気も.
邪魔者はさっさと退散して,看取りは終わった.

悪疫が来てからというもの,病棟から何故か18歳未満の人間は例外なくシャットアウトされている.ネコやイヌは入棟を許されているが・・・首相が勝手に学校を一斉休校にするくらいの国であるから,己の職場の決定に一片の期待もしていない.愚かな・・・とニヒルに徹するしかない.もう何を話しても無駄だ.

われわれが看取りの文化を完膚なきまでに叩きのめすことに加担している事実は自覚すべきだ.人道上の罪といっても過言でないような,とんでもないことをわれわれはしている.後世の人々に断罪されて然るべきだと思う.今から謝りたい気持ちだ.

きっと通夜や葬式にも参列出来ず,あの似顔絵を描いた子どもは,祖母の消滅に何を思うのだろうか.

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