伊庭みゆこ
今までのエッセイです。
息子のたいようがメロンソーダを飲み始めたのはいつからだっただろう。 それは去年の秋だったか、それとも今年の春だったか、思い出せない。 頻繁にメロンソーダを飲みたがるので、うちの冷蔵庫の中にはメロンソーダが並んでいる。 たいようには知的な遅れ、そして自閉症という障害がある。 そのため、話しをすることができない。 1年前の発達検査の結果、現時点でおそらく2歳ぐらいであろうとのことだった。 そんなたいようが、最近、自分の鼻を私の鼻に、ちょん、と重ねてくることが何度かあった
私は空を飛べない。 鳥ではないので翼を持っているわけでもなく、パイロットでもないので、飛行機を操縦して空を駆け抜けることもできない。 昔はいくらでも空を飛ぶことができたというのに……。 子どもの頃、私はよく自分が魔法使いになって、ほうきに乗って空を飛ぶことを空想していた。 おそらく、本かアニメの影響だったかと思う。空を飛ぶことを頭の中で思い描いている間、私は晴れ渡った青い空の近くを、いくらでも飛びまわり、楽しむことができた。 そう考えると、空想とは、とてつもないもの
最近とてもめまぐるしい 風呂場の換気扇が落下してきたり、子は相変わらずどったんばったん。夫は夜中に呪文を唱えてる(勉強中の呟きがそう聞こえる)自身の持病悪化で皆さんの記事を読みに行けず💦読むの楽しみなのにー 涙。けどこういう時もあるよね…と、たゆたいながら過ごしているのでした😌
スーパーに並ぶ茶碗蒸しを見ていたら、おばあちゃんのことを思い出した。 私の父方のおばあちゃんがもし生きていたら今年で100歳になる。 おばあちゃんはいつもすとんとしたワンピースを着て、紫色をこよなく愛し、台所ではよく鼻歌まじりに料理をしていた。 具沢山のお味噌汁、ほうれん草のお浸し、きゅうりのぬか漬け。おばあちゃんが作るごはんはどれもおいしかったけれど、中でも茶碗蒸しが私のお気に入りだった。 ある時、私はおばあちゃんに、なにも具が入っていない茶碗蒸しを作ってほし
「帰りに、肉まんでも買おうか」 8歳の息子、たいよう(仮名)の診察が終わると私はそう言った。 たいようは「うっ!」と応えて頷く。 たいようには自閉症という障害がある。話すことができなかったり、人とコミュニケーションを取るのが苦手だ。 たいようは近頃、聴覚過敏がひどい。外出時に周りの音にさらされて、辛そうにしているときも多い。 病院を出ると私達はタクシーに乗った。 静かな病院内では、使う必要がなかった防音イヤーマフを、いつでも使えるように私は鞄から取り出す。 途中、い
どうして? と聞かれても好きなのだからしょうがない。 幼い時、大好きなサイダーの入ったコップを部屋のテーブルの上に置いて、私はよく中をのぞき込んだ。 サイダーの泡がはずむコップ越しに見えるのは、いつもの家の、変わらない風景。 泡は、どうしてまるいのだろうと、不思議だった。 サイダーをコップにそそいでいくと、たくさんの泡が現れて、透明だったサイダーの表面が、つややかな白い泡で隠された。 白い泡は寄せては返す波のように、瞬く間にどこかへいってしまった。 ふと、泡の
こんにちは。 先程、はじめて ↓ のようなものが届きました。 『11066日目のブルー』 (8/15投稿• 家族の旅と結婚式のエッセイ)についてです。 お読み頂いた皆様、どうもありがとうございます✨ 『11066日目のブルー』 https://note.com/ranran_miyu5/n/n3f1fa04c87f4
子どもが夏休みに入り、家の中でバタバタ。 夫も在宅ワークの日にはうろうろ。 子どもと夫に挟まれる私。 (ふたりに挟まれると、だいたい厄介なことになるんです。) 数ヶ月前に、noteさんを始めて、最近″お題企画″というものを発見! このような催しを開催しているなんて、noteさんすごい‼️ ) なんかちょっとおもしろそう。 そして #忘れられない旅 のお題記事に初挑戦!! 夏休み、読書感想文の宿題ってあったよなぁ。と、子どもの頃のことを思い出したりしつつ、毎日楽しみな
10数年前、窓から海が見える式場で結婚式を行なった。 新郎、新婦席のうしろに広々とした大きな横長の窓が連なっていて、そこから海が見えた。澄み切った空と穏やかな水平線がひとつにつながっていた。 色々な結婚式場を見学したけれど、 「やっぱり、海が見えるところがいいよね」と、私と彼の意見が一致して決めた。 私は海が好きだ。 いつから好きになったのかは思い出せないけれど、おそらく、子供の頃の家族旅行がきっかけだと思う。 「ねえ、夏休み、どこかに遊びに行くの?」 小学生の
「もう、立ち直れない」 仕事から帰宅した夫のM太が玄関口で唐突にそんな言葉を言い放った。 はつらつとした横に幅のある体格とは逆に、その目はどこか虚で悲しみさえをまとっているようかのようにも見えた。 手にはスーパーのビニール袋と、仕事用の四角い黒いかばんを持っている。 「おかえり。どうかしたの?」 私はM太のそばに駆け寄る。 「ネギ、落とした」 「えっ?」 私は一瞬、聞き間違えたのではないかと思い、黙ったまましばしの間考え込んだ。 「ネギ、落とした」
座薬を、自分で、自分の尻に挿入する……。 なんということだ。 これは当時、30代前半だった私の、座薬にまつわる話である。 その日、私は婦人科の検査を目前にして驚き、そして戸惑っていた。 今日まで検査自体におっかなびっくりしていたが、もうそれどころではない。 検査はしばらくじっと耐えていればいつか終わるものだけれど、その検査を受けるためには、まず座薬というものを自分で入れなければならないという。 処置室というこじんまりした部屋のこぶりなデスクの前に、看護師さんと
スタートな日(自己紹介)記事の内容を一部更新 & 投稿エッセイの短いあらすじを(少し長いエッセイもあるので) 自己紹介記事の下の方に載せさせていただきました。 よかったらご覧くださいね(^^) よろしくお願いします! 自己紹介記事 https://note.com/ranran_miyu5/n/n09cd402a31c5
「ハイハイを教えてくださる先生がいらっしゃるのですが、ぜひ参加されてみませんか?」 数年前の冬のある日、私の息子、たいようの担当の保健師Aさんからそう電話がかかってきた。 ハイハイをし始める目安の時期を過ぎても、まだハイハイができない子どもを対象に声をかけているのだという。 「うちの子にハイハイのやり方を教えてくださるということでしょうか」 「はい、そうです」 「その方はハイハイの、プロの方なんですね?」 「おっしゃる通りです」 Aさんからのお誘いに、私の心は踊った。
私には小学生の息子がいる。 息子には障害があって、人とコミュニケーションを取るのが苦手だったり、お話ができなかったりする。 息子との出会いは、数年前のことだった。 私は出産を終え、分娩室で休んでいると、横づけされていたベビーベッドに息子がやってきた。助産師さんが抱っこして連れてきてくれたのだ。 黒目がちな目で、息子は私のことをじっと見つめていた。 その少し潤んだような目元を見ていたら、私の中で、なにかがあふれてきて、涙がこぼれそうになった。 不妊治療を経て授かった
常に私の心を虜にし続ける食べ物がある。 ふと思い出すというレベルではなく、いつだってそれは私の心の中にいる。 それは、チョコ! チョコレート! 時にはスウィート、たまにビターと気分によって味を食べわけたりしながら、食べている間中がなんか幸せ。 しかもチョコレートの茶色の色はあらゆる物の茶色とはちょっと違う。どこかほんのりと温かみのあるステキな茶色だと思う。そんな食べ物がほかにあるだろうか。 しかしある日を境に、私はチョコレートが食べられなくなってしまった。 「チョコ
私は今まで生きてきて、全力を使って真剣に走る人を見るのは、運動会の徒競走だったり、体育の授業のマラソンくらいだと思っていた。 しかしあの日、それは完全に私の思い込みであったこと。そしてそれがどれほどまでのパワーを持つのか、思い知らされたのだった。 10年以上前、私は男友達のM太と、とあるテーマパークに遊びに行った。少し汗ばむぐらいの陽気だったが、もともと汗かきで恰幅のよいM太は 「あつい、あつい」 としきりにタオルで腕や首筋に光る粒をぬぐっていた。気がつけばM太の