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茶碗蒸しの夜

 スーパーに並ぶ茶碗蒸しを見ていたら、おばあちゃんのことを思い出した。
 
私の父方のおばあちゃんがもし生きていたら今年で100歳になる。

おばあちゃんはいつもすとんとしたワンピースを着て、紫色をこよなく愛し、台所ではよく鼻歌まじりに料理をしていた。

具沢山のお味噌汁、ほうれん草のお浸し、きゅうりのぬか漬け。おばあちゃんが作るごはんはどれもおいしかったけれど、中でも茶碗蒸しが私のお気に入りだった。

 ある時、私はおばあちゃんに、なにも具が入っていない茶碗蒸しを作ってほしいと頼んだ。
「本当になにも入ってなくていいのかい?」
「うん、なにも入ってないのがいいの」
「じゃあ、こしらえてみようかね」
 おばあちゃんは少し驚いていたけれど、だしと卵で蒸されたつるんとしたところが私はなにより好きなのだ。

 そして私の目の前に出された茶碗蒸しは、なめらかで、ほんのり味が染みていて、おばあちゃんの手のように温かかった。

 あれから月日は経ち、私は主婦となり母となった。

今晩は小学生の息子が好きなトマトのクリームシチューと、スーパーで買った茶碗蒸しも食卓に添えた。
「わぁ!」と息子から嬉しそうな声が聞こえ、そのまま踊り始めた。
脳の障害で話すことができない息子の嬉しい時の表現だ。

思わず私も息子と一緒になって踊った。するとだんだん楽しくなってきた。
「私のおばあちゃんね、100歳だって。すごいよね」
 そう言うと息子の手を取り、2人してその場でくるくる回った。
 息子はテンションが上がったのか、私から離れると、笑いながら勢いよく部屋の窓のカーテンを開いたり閉じたりし始めた。そして飽きると走って別の部屋に行ってしまった。

開いたままのカーテンを閉じようと、私が窓辺に立った時、ひとつ、夜空に星が瞬いて、おばあちゃんのことを思った。

おばあちゃん。
100歳、おめでとう。

 いつの間にか食卓に戻った息子は、シチューと茶碗蒸しを幸せそうに頬張っていた。

 おばあちゃんのごはんが私の心と体の1部になったように、私の作ったごはんが息子の1部になり、そのエネルギーが明日への1歩となって未来へ繋がって行く。
そう思うと、この瞬間がキラキラして見え始めた。

息子に、ごはんを作る。
それは、未来を作ること。

私も茶碗蒸しを一口、食べる。

やっぱり、おいしいや。

 おばあちゃんがこの場にいたら、きっと淡い紫色のワンピースを着て、にこにこ笑っていることだろう。

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