11066日目のブルー
10数年前、窓から海が見える式場で結婚式を行なった。
新郎、新婦席のうしろに広々とした大きな横長の窓が連なっていて、そこから海が見えた。澄み切った空と穏やかな水平線がひとつにつながっていた。
色々な結婚式場を見学したけれど、
「やっぱり、海が見えるところがいいよね」と、私と彼の意見が一致して決めた。
私は海が好きだ。
いつから好きになったのかは思い出せないけれど、おそらく、子供の頃の家族旅行がきっかけだと思う。
「ねえ、夏休み、どこかに遊びに行くの?」
小学生の頃、終業式の帰り道、私は友人によくそう尋ねられた。
「うちは海に旅行に行くんだ」
私はそうこたえた。
夏休みは田舎のおばあちゃんちに行くというのがクラスメイト達の定番だった。けれど、うちには遊びに行ける田舎はなかった。
夏休みは家族で海。
それが我が家の恒例行事にいつしかなっていた。
ある日、私は父に尋ねた。
「どこの海に行くの?」
「静岡県の伊豆、下田だよ。海がとってもきれいなんだ」
父は泳ぐ真似をした。伊豆の白浜大浜の海水浴場へ行くんだ。と、さらに詳しく説明してくれた。
伊豆・下田。
同級生に“下田”という苗字の子がいたので、私はその地名に親しみを覚えた。
「ねえ、もし海で泳いでいる時にクジラがやってきたらどうする? 友達になる?」
父がおかしなことを言い出した。
「クジラなんてやってくるわけないよ」
私は首を横に振る。
「来るかもよー。こーんなに大きなクジラが」
父はにやにやしながら両手を広げた。
「クジラなんてこないよ!」
私は少しムキになってこたえる。
父と私はそんな押し問答をしばらくの間、繰り返した。
旅の出発の日は、朝早く家を出た。
電車を乗り継いで数時間後、下田の駅に到着した。
宿泊するホテルのマイクロバスが駅まで迎えに来てくれていて、次々とバスに人が乗り込んでいく。
こんなに大勢の人が同じホテルに泊まるんだ。そうドキドキしながら、バスの真ん中あたりまで進むと私は窓側の席に、そしてその隣に母が座った。
バスが走っている間、私は窓から流れるように過ぎゆく景色を眺めていた。
走り始めて10分ほど経った頃だろうか。
「わぁ!!」
バスの乗客達から一斉に歓声があがった。
「海だ!」
私と母のうしろに座っていた父の興奮した声が聞こえた。
そこには、太陽の光を存分に浴びた海が、夏の輝きを放っていた。
それはまさに“ブルー”だった。
鮮やかで、力強い、ブルー!
海の色がまっすぐ私に飛び込んでくる。
柔らかな光とまぶしいくらいのきらめきを混ぜ合わせたエメラルドグリーンに近い浅瀬の色。
沖の方は青の粒子がぎゅっと詰まったどこまでも深い色。それらが内に秘めた光を携えている。
いくつものブルーが、そこにはあった。
ホテルに着くと、部屋のチェックインの時刻までまだだいぶ時間があった。
そのため、ひとまずフロントで大きな荷物を預けて、それから海へ出かけることにした。
水着に着替えようと、ホテルの更衣室に母と向かう。
中は、砂と日焼け止めクリームのにおいがして、早く海へ行きたい気持ちをより一層強くさせた。
父がホテルで空気入れを借りて、持参した浮き輪に空気を入れた。しゅこしゅこ空気が入っていって、徐々に浮き輪がふくらんでいくのと同じくらい、私の海への期待はどんどん高まっていった。
そして、念願の海はまっさらだった。
どこもかしこも新鮮で、なにもかもにドキドキした。
砂浜に近いところでは、透明な水が地面の白い砂を透かして見せてくれた。
波打ち際を踊る白い波に、包み込まれた瞬間のくすぐったい感覚を私に残したまま、波はまた海へと戻っていった。
すぐ次の波がおおいかぶさってきて、波の作り出した曲線が砂浜に描かれている。
波をジャンプして飛び越えようとして、父に私の手を引っ張り上げてもらって遊んでいると、そばで「キャーーー」と声をあげながら、母が打ち寄せる波から逃げ回っていた。母は波が怖いのだ。
「波打ち際だし、浅いから大丈夫だよ」
と、私と父は母を説得し、母の手を取って海の中に留まらせた。
先ほどより高い波が母にぶつかる。
「キャーーーー!」
母は悲鳴をあげて、砂浜の方に走っていってしまった。
「わたしはビーチパラソルの下で待ってるから、ふたりで楽しんできて!」
ついに母はそう言い残すと、海に背を向けて荷物を置いてきたビーチパラソルの元に戻っていった。
砂浜には、カラフルなビーチパラソルが所狭しと並んでいる。
残された私と父はもう少し沖の方まで行ってみることにした。
しばらく進むと、すぐに足が地面につかなくなった。私は浮き輪に体を預けたまま、水中で足を前後にゆらゆらさせながら父の腕につかまっていた。
ゆるやかな波が一定の間隔でやってきては私と父の体をゆっくりと押し上げた。
心地よい海水の揺らめきと、水面を照らす太陽の下、遥かに大きな船が見えて、船が進んでいるのは、遠い海の先なのか、それとも空のはしっこなのかわからなくなった。
海水浴を満喫したのち、父と私は海からあがった。
ビーチパラソルの下、体育座りをして海を眺めている母に向かって、私は大きく手を振った。
距離があるせいか、母はなかなか気がつかない。手を振りながらだんだんパラソルに近づいていく。
そしてある時、私たちに気がついて笑顔になった母が「海、どうだった?」と手を振り返しながら言った。
おなかが空いたので、お昼ご飯を食べるお店を探していると、
『あんぱん、クリームパンあります』
という女の人のアナウンスが砂浜に設置されているスピーカーから繰り返し流れてきた。
「暑いし、あんまりパンは食べたくないよね」
家族3人、歩きながらそう口々に言いつつも、結局毎回、海の家やレストランでラーメンやカレーライスを食べた。
あとから考えてみれば、暑い中あったかい料理を食べるなんてどうかしていると思う。
それでもあの時は、ラーメンにしてもカレーライスにしても、日差しを受け続けた体に染み渡り、いつもの何倍もおいしく感じた。
夕飯は、宴会場のお座敷に用意がされていた。
部屋ごとについたてで食事のスペースが仕切られている。
小さなひとり用の鍋のふたの隙間から、ぐつぐつという音と共に、泡が出たりひっこんだりしていた。
そのすぐそばの皿の上で、じっとしているカニの甲羅に入った食べ物が、煮えたぎる鍋とは対象的に思えた。
私はそれが“カニグラタン”というものだと、その時初めて知った。グラタンは大好きだったけれど、カニの甲羅がいつか動き出すのではないかと不安にかられて、自分の分を父にあげた。
「これ、すごくおいしいんだよ」
本当にいいの? と父は言いたげな顔をしながらも、私からカニグラタンを受け取った。
海での毎日はあっという間に過ぎていき、帰りは行きにも利用したマイクロバスに乗って下田の駅に向かった。
バスの中から次第に遠ざかる海に向かって、心の中で「またね……」と私は呟いた。
海が見えなくなるまで私は窓の外を見つめ続けた。
下田の駅から電車に乗る前に、駅でお茶と冷凍みかんを買った。
冷凍みかんはオレンジ色のネットに行儀よく縦に並んで収まっていた。
お茶と冷凍みかんを窓際に置くと、父が座席をくるっと回転させてボックス席を作った。
電車が駅に停車するたびに、駅名が珍しくて、駅名が記された看板に私が見入っていたら「旅行のこと、夏休みの自由研究にすればいいよ」
と目の前に座った父が私に提案した。
電車のドアがひらくと、どこか遠くの方から蝉の声が聞こえてきて、生ぬるい空気と午後の日差しが車内に滑り込む。
私は駅に乗り降りする人の数をなんとなく数えていた。すると、父と母もおもしろがって一緒に数え始めた。
さっきの駅は降りた人が7人。乗ってきた人が5人。
今の駅では、降りた人が3人。乗ってきた人が2人。
あれ、降りた人、3人だっけ? 2人だっけ?
私たちのいる車両に限定したものだったけれど、とても盛り上がった。
窓際に置かれた冷凍みかんが溶けかけた頃、ひとりひとつずつ、みかんを手に取った。うすい氷の膜に包まれて、なにかもっと特別な“果物”に見える。
爪の中にじゅわっと冷えたみかんの皮が入り込んで、うっすらオレンジの色に染まる。うまく皮がむけなくて、隣にいる母にむくのを手伝ってもらった。
みかんを1房、口に入れると、果実の溶けている部分と、しゃりっと凍っている部分が混ざり合い、少しすっぱい。冷たさがじんわり口の中でほどけていく。
ひとりひとつずつみかんを食べおわると、窓辺にもうひとつだけ、みかんが残っていた。
「わたしはもういいよ」
母は自分の顔の前で手を横に振った。
「私、食べたい!」
「お父さんも絶対に食べたい!」
じゃんけん、ぽん!
じゃんけんに勝った人がみかんをもらえるルールになっていたけれど、結局、最後のひとつはみんなで分けて食べた。
でも、私が1番多く食べた気がする。
家に帰ってから、自由研究用に、小ぶりのスケッチブックに写真を貼り、海での出来事をまとめた。
もちろん、帰りの電車で乗り降りした人の数も記しておいた。
砂浜で拾った海藻をセロテープで張り付けていると、海藻から潮の香りがして、目の前に海の風景が現れた。
それから何年か経って、そのスケッチブックをひらいてみると、海藻がひと回り小さくなり、指で触るとバリバリいってところどころ欠けてしまった。海のにおいはもうしなかった。
結婚式の日まで、私は家族で行った海のことなどを思い返したりしながら過ごした。
当日は、季節はすっかり秋のはずなのに、蒸し暑く、どんより厚い雲が空を覆っい、朝からうす暗かった。
私たち家族は結婚式に備えて、式の前日からホテルに泊まっていた。
「だめだ! 使いにくい」
早朝、白い便せんとなぜか電卓を手に持った父がホテルの部屋でそんなことを言い出した。
おそらくその白い便せんには、今日の式で父が話しをする“なにか”が書かれているのだろう。
結婚式を行うにあたって、式の中で少しだけ話をさせてほしいと、ある日、父が言った。
そこで新郎とそのご家族の承諾を得て、私から両親への手紙を読む前に、私の父が話をするという段取りになっていた。
それから父は部屋の電話機からフロントへ電話をかけた。
「フロントの人が今から大きな電卓を持ってきてくれるって」
電話を切った父が言った。
「電卓を借りたの?」
私は父に怪訝な顔を向けた。
「そうそう。小さい電卓をうちから持ってきたんだけど、どうも使いにくくて」
父はとぼけた声を出し、わざと変な顔を作っている。
「ホテルの人に持ってきてもらうなんて申し訳ないよ。そんなに電卓が必要なら、自分でフロントまで行くべきだよ」
「電卓なら1階の売店で買ってくればいいじゃない」
ふざけた様子の父に向って、私と母が一斉に責めたてる。
ただでさえ結婚式当日の朝は忙しい。それなのにどうしてこんな時に。私はそう思った。
木の枝が強い風と共にしなり、葉が反り返りながらも振り落とされまいとしているのがちょうど窓から見えていた。
電卓が届くと、父は机の前の椅子に腰かけて、急いで電卓を打ち始めた。
「そんなに大事なことなの?」
「うん、すごく大事」
父は朗らかにそうこたえると、電卓を打つことに集中し始めた。
その日の結婚式は、強風とあいにくな空模様なこと以外は、円滑に進んでいった。
次第に雨も降り始め、新郎、新婦席のうしろには、青々とつややかな空や海の姿はなく、灰色がかって濁った海とくすんだ空が窓ガラス越しに映し出されていた。
披露宴も後半に差しかかった頃、
「それでは、新婦みゆこさんのお父様のお話です」
司会の女性の声が会場内に響いた。
父が話をする番がやってきた。
「新婦、みゆこの父でございます」
父は運ばれてきたマイクを受け取ると、自分の席の前に立った。今朝見かけた便せんはどこにもなかった。
「大変、異例ではございますが、皆様のお許しをいただけたとのことで、一言、述べさせていただきたいと思います」
父はそう静かに告げた。
「みゆこが生まれたのは、朝8時30分。2780gの小さな女の子でした。そして、みゆこの誕生から今日この日までを数えましたら、11065日目でございます。10000を超えるような日をほとんど3人一緒に暮らしてきました」
父に、いつもの陽気さは見られなかった。それからいつも家族3人で行動を共にしてきたことや、印象に残った思い出などをゆっくりと語り始めた。
その時私は、ホテルの部屋で父が慌ただしく電卓を打っていた姿を思い出した。
今朝、父は、私の生まれた日から今日までの日数を数えていたのだ。
語り続ける父は終始落ち着き払った様子だった。
「ふつつかな娘ですがどうぞ、よろしくお願いいたします」
話の途中で父は、新郎そしてそのご家族に向かって深く頭を下げた。
そして最後に
「皆様、今日からまた今まで通り、2人を暖かく見守ってやってください。披露宴で、新婦の父親が話をするという、非常にわがままなお願いだったと思いますけれども、私、そしてうちの家内も含めて、10000日以上一緒に暮らした、娘の父親ということで、どうかお許しください。足元が悪い中、集ってくださり、ありがとうございます」
そう言うと、再び父は深々と頭を下げた。
父の話しのあとは、私の番だった。父と母に宛てた手紙をこの場で読まなければならない。
大丈夫。用意した手紙を読めばいいのだから。
なにもむずかしいことなんてない。
それなのに、私は声を出すことができなくなってしまった。会場内を満たす、優しいメロディが耳のあたりで渦巻く。
先にあんな話をするなんて、ずるいよ。
ずるいよ、お父さん。
家族で過ごしたこれまでが、私に向かって打ち寄せてきて、どうしようもないくらい今までの思いが溢れ出す。
手紙を読もうとすればするほど、流れ出る涙が邪魔をする。涙はあごの先からしずくとなって落ち、私はなすすべもなく、しばらくそれを繰り返した。
隣にいた新郎がそっとハンカチを差し出してくれた。私はそれを受け取ると、目元や頬をぬぐい、身体にぐっと力を入れる。
文字を目で追い、ただそこに書かれていたことを声に出していただけで、手紙はほぼ棒読みになってしまった。手紙には家族で行った伊豆の思い出などが書かれていた。
どうにか手紙を読み終えると、新郎と私は司会の女性に促されるまま、会場のドアの近くで待っている両家の両親の元へ向かった。
私が父に近づくと、
「スマイル」
と言って父が笑った。
少し寂しげな顔をしていた。
どうしてそんな顔をするの。
いつもみたいにおどけた感じで、おもしろいことを言ってよ。
両家の両親に花束の贈呈が済むと、招待客に見えるようにして、出入り口の扉付近に両家が横一列に並ぶ。
横長の窓から海が見えて、先の方にうっすらと水平線が見えた気がした。
私たちは退場するために後方の扉に向かって進んだ。
少し先を歩く父と母の背中が揺れていた。
子供の頃はつま先立ちをして手を伸ばさなければ届かなかったふたりの背中を、いつの間にか、こんなにも近くで感じることができるようになっていた。
私は言わないよ。
今までお世話になりました。
なんて、絶対に言わない。
まるでこれでおしまい、みたいな。
遠く離れ離れになってしまう雰囲気はいやだから。
でもね、いつも一緒にいてくれた。
たくさん思い出を作ってくれた。
だから、心からありがとう。そう思っているよ。
翌日、朝、目を覚ますと、昨日とはうってかわって、とても静かな朝だった。
私は2人分の荷物を自分のそばに置くと、ホテルのフロント近くのソファーに座り、夫がチェックアウトの手続きを終えるのを待っていた。
ソファーからほど近いところに、ホテルの正面玄関があって、そこの自動ドアが開閉するたびに外の景色がのぞく。
停車していた1台の白い車から若い男女が降りてきて、車のトランクから荷物を取り出していた。
白い車の先に、青いインクを一気にハケで塗り上げたような空が広がっていて、ちょうど自動ドアの四角いフレームに切り取られて、1枚の絵のようだった。
外は風もなく、ゆるやかに時が流れている。
気がつくと、チェックアウトを済ませた夫が私のぞばに立っていた。
さあ、行こう。
荷物を持つと私は夫と並んで歩いた。これから夫との日々が始まってゆく。
夫は私の隣で昨日の結婚式のことをにこやかに話し始めた。
教会で、父と私が1歩1歩、バージンロードを進んでいく最中、並々ならぬ厳かなオーラを父がまとっていて圧倒されたことや、実は挙式の結婚指輪の交換で、私が上下逆に夫の指に指輪をはめていたことなど。
昨日、父が結婚式で話していた時の顔が私の頭に浮かんだ。
私たちの前で、自動ドアがひらいた。
11066日目の今日、どこまでも、どこまででもつながっているみたいな、空があった。
私は思わずその場に立ち止まってしまった。
おんなじだ。お父さん、お母さん。
伊豆の海のブルーの水面と一対となる、はてしない空。今、目の前の大きな空とそっと重なる。
ホテルの部屋に用意されていた伊豆のニューサマーオレンジを使った和菓子がおいしくて、母と顔を見合わせながら食べた。
ふくらませたばかりの浮き輪をホテルの玄関に置いて、その上に私が座ってピースをしているところを写真に撮ってもらった。
海で遊んでいたら、入道雲からの突然の雨に、急いで母の待つビーチパラソルに父と一緒に駆け込んだ。
大きな雨粒が、ビーチパラソルから出した私の手の平を打ちつけてきて、とてもワクワクした。
カニグラタンがおいしいことにある時気がついて、今まで父にあげてきたことをちょっと後悔した。
「1度海に連れて行ったらね。みゆこがすごくよろこんだから、それから毎年、伊豆の海へ行くようになったのよ」
私がおとなになってから、ある日、母がそう教えてくれた。
懐かしい景色や愛おしい思い出が、とめどなく溢れ出す。
ほんとう、家族みんな、いつも一緒だった。
「待って」
私は少し先を行く夫の元へ急いだ。
「どうかしたの?」
夫が不思議そうな顔をした。
私は夫に家族で行った海での出来事を話し始めた。
ふと、思い出すことがある。
あのブルーの海のことを。
そして思い出の中、私は再び旅をする。
もう一度、行けるかな。行きたいな。
お父さん、お母さん。
伊豆の海、また、みんなで行こうね。