ファンタジーのとなり
私は空を飛べない。
鳥ではないので翼を持っているわけでもなく、パイロットでもないので、飛行機を操縦して空を駆け抜けることもできない。
昔はいくらでも空を飛ぶことができたというのに……。
子どもの頃、私はよく自分が魔法使いになって、ほうきに乗って空を飛ぶことを空想していた。
おそらく、本かアニメの影響だったかと思う。空を飛ぶことを頭の中で思い描いている間、私は晴れ渡った青い空の近くを、いくらでも飛びまわり、楽しむことができた。
そう考えると、空想とは、とてつもないものである。
頭の中でたくさんのワクワクするようなことを自由に考えられるのだから。
ただそれは、いいことばかりではなかった。
私が小学2年生の頃のことである。
私は算数が苦手だった。
そのため、学校での毎日の算数の授業が憂鬱で仕方がなかった。
どうして憂鬱なのかというと、単純に教科書に載っている算数の問題が解けないからである。
教室で、クラスメイトたちがノートにすらすらと鉛筆を走らせていく音を聞きながら、いつだって私は目の前の教科書をじっと見つめたまま、焦っていた。
そして、これで合っている! 間違いない!
という確信を感じられぬまま、ノートの上には迷いながら記した数式や数字が並んでいるだけだった。
それからしばらくすると、先生がクラスの誰かを指名していく。
あてられた人は、前へ出てチョークで黒板に答えを書かなければならない。
どうか、あてられませんように……。
ハラハラと不安ばかりがうずまく気持ちを抱えて、私は教室の中にいた。
そんな時間が、いやだった。
だからだろうか、とりわけ算数の授業になるといつの間にか、話ができる動物が現れたり、ほうきで空を飛びながら町を見降ろしたり、教室の黒板の向こう側には、別の世界とつながっていて……。
と、自分で勝手にあれやこれや作って遊び、空想の世界に入り浸っていた。
「はい、じゃあ、みなさん。18ページの問3をやってみてください」
そう言う先生の声で、私は、はっと我に返る。
そしてある時、気がついた。
私は空想中、先生の声がまったく聞こえていなかったということに。
おそらく、先生が問題の解き方を説明してくれている間なども、ずっと。
その日を境に、私は授業中に空想しないように努めた。すると授業の内容を以前よりもスムーズに理解できるようになった。
そして年齢が上がるにつれ、空想を楽しむ時間はどんどん減っていった。
大人になってからも、いろいろと頭の中で思いを巡らせ、その先を考えてみたりすることは好きだけれど、子どもの頃みたく、延々と続く集中力のようなものはすっかりどこかへいってしまった。
決して夢見る心を忘れたわけではなかったはずなのに、私はいつの間にか、子どもの頃の空想の楽しみ方を、すっかり忘れてしまっていた。
ふと、おとなになってから起きた、とある出来事について私は思い出した。
ずっと心の中で、ひっかかっているあの時のこと。
もし、子ども時代の私だったら、その時どうしただろう。
ある日の夜、となりで寝ている幼い息子が寝返りを打って私の方に転がってきた。そしてその拍子に私は目が覚めた。
ぼんやりした頭で、ふと見つめた窓辺のカーテンの隙間から、黄色に輝く光がにじんでいるかのように見えた。
窓枠にそって、その光は迷いのない、混じりけのない、しっかりしたまばゆさを放っていた。
こんな光、見たことがない。
とじていたカーテンをひらこうと、指先を近づけていく。
しかしカーテンの布地に手が届く寸前でためらう。
カーテンをひらいたら、その光で息子が起きてしまうかもしれないと思ったからだ。寝つきの悪い息子は一度起きたら、すんなりもう一度眠ってくれるかわからない。
そしてその時、疲れもたまっていた私はそのまま布団に横になると、ふたたび眠りについたのだった。
それから数年後のこと。
幼稚園からの帰り道、息子と手をつないで歩いていたら、雨が降り始めた。
まわりにいた人たちは、突然のまとまった雨の中、ぬれない場所を求めて足早にどこかへ行ってしまった。
私は息子の手をひき、転ばない程度に駆け足で家へと急いだ。
その時、一戸建ての玄関先で外の様子をうかがっていたおばあさんと目が合った。
するとおばあさんが、
「これ、使って!」
と言って傘を広げると、私たちにすっと差し出してくれた。
私と息子に傘を貸そうと、少なからず雨にぬれながら、懸命に腕を突き出すおばあさんの立ち姿は、メリーポピンズを思い起こさせた。
よくこのあたりの道を通るけれど、おばあさんと話をしたのはこれが初めてだった。
おばあさんの瞬時の優しさに対し
「家までもうすぐなので、大丈夫です。ありがとうございます」
とっさに私はそうこたえた。
実際、自宅まではあと十数メートルだったし、ご迷惑をおかけしては申し訳ないという気持ちがあったからだ。
今になって、思うことがある。
もし、子どもの頃、授業中ではなく、別の時間を使って空想を続けていたとしたら。
深夜なのか明け方なのかもわからぬまま、カーテンの隙間からあふれるようにして輝いていた光に、手を伸ばしかけた夜、そのカーテンをひらいていたならば。
あの日、広げた傘を私と息子に差し出してくれたおばあさんの気持ちを、受けとっていたとしたら。
もしかしたら、すてきなストーリーが、始まっていたかもしれない。
思いがけない場所や、ふとしたところに、気持ちが高まってわくわくして弾けだしそうな、なにか、に出会えることがあるのかもしれないと思うと、急に目の前の世界が彩りを帯び始めた。
もう昔のように、空想の世界にどっぷりつかることはできなくなってしまったけれど、もし、願いが叶うなら、また、空を飛んでみたい。