#83 自分にやさしく
より分かりやすい文章を書けるようになりたい。
図書館司書として、より多くの知識を得たい。
今まで以上に、noteの活動に力を注ぎたい。
構想している小説を執筆したい。
もっともっと本を読みたい。
30代になった今、人生で一番向上心を持っているかもしれない。
今までも目標を立てて、向上心を持って行動をしてきた自負はある。
けれど、過去の向上心と今のそれとは少し様相が異なる。
その違いは明白。
自分に優しくできているかどうかである。
自己否定から生まれた向上心
ダイエットをしたり、内面を変えるために自己啓発本を読んだり……
「自分を変えたい」という向上心が比較的強い。
だが20代の僕が思っていた「自分を変えたい」という思いは——
「こんな自分は大嫌いだ。だから、変えたい」
という、自己否定から生まれたものだった。
ダイエットをしていたときはそれが顕著で、「死んでもいいから無理してでも痩せる」くらいの気持ちを持っていた。
結果的に具合が悪くなったり、過去の記事で書いた熱中症になってしまったりと、無理なダイエットの副作用に襲われていた。
自己否定は、確かに自分を変えるための強い燃料にはなる。
けれど、努力して変わった後の自分を肯定できるかというと、僕は全てを肯定することができなかった。
自己否定をスタート地点にすると、変わっても変わっても悪い自分を見つけては変える努力を続けていく。
結果的に、ゴール地点がわからなくなってしまったのである。
「自分にやさしくしてあげて」
ダイエットをはじめ、小さいながらも成功体験を積んできた20代。
そのどれもが自己否定を燃料にしていたので、いくら成功体験を積んでも自己肯定感が高まることはなかった。
そして、図書館司書の仕事にもメスを入れることになる。
心から楽しめて、心から打ち込めるこの仕事……。
以前も書いたが欠点としては、薄給であることだ。
そこで、僕は思った。
「お金を稼げない自分のままじゃダメだ。転職しなくては」
やはり自己否定を燃料に行動を起こしたのだった。
転職することはできたものの、結果的に環境が全く合わずメンタルダウン。またしても早期退職を余儀なくされた。
そして、僕は当然ながら、自分を強く否定した。
もうおしまいだ。自分は社会に必要とされていない。
こんな自分じゃダメだ。こんな自分は嫌いだ。
そのときに、転職前の図書館で一緒に働いていた先輩と食事に行く機会があった。
先輩と働いていた時間はとても楽しく、尊敬するメンターのような存在。
転職の意向を最初にお伝えしたのもその先輩だった。
居酒屋に入って最初に、僕は先輩に謝った。
「すみません。転職したいと豪語しておいて、こんなに早く最悪な結果になってしまって。転職活動でお休みもいただいて迷惑ばかりかけたのに」
なんとか口角を上げてそうは言ったけれど、口を閉じている時間は強く奥歯を噛み締めていた。
そうでないと、悔し涙が出そうだったからだ。
そんな僕に、とても優しい声で先輩は言った。
「立竹君はさ、凄く意欲的だよね。いつも何かにチャレンジして、いつも何かを頑張ってる。それは凄く尊敬するところだよ。
だけど、もうちょっと自分にやさしくしてあげてもいいんじゃないかな」
先輩の目から映る僕は、努力している反面、とても苦しそうだったという。
いくら変えても見えないゴール。
もう血を吐きそうなほど息切れしているのに、まだ足りない、まだ走れと自分は自分に言う。
本当になりたい自分がわからない。
暗中模索。
それは、確かにとても苦しいものだった。
そのとき、初めて僕は自分の気持ちを理解することに努めたのだった。
おのずと答えが出た。
ただただ図書館で楽しく働いていたい。
そして、文章を書くことにチャレンジしていきたい。
あとは、今いる親友達と末永く楽しく過ごせればそれでいい。
自分に極力やさしくした結果、本当に持っていた僕の目標はただただ素朴なものに過ぎなかったのだった。
今の自分を認めつつ高めていきたい
図書館で多少の文句を言いながらも楽しく働いている自分。
noteや小説を書いている自分。
読書をしている自分。
それらが、一番人生を謳歌している自分だと気が付いた。
今も、自分自身を変えたいという気持ちがないわけではない。
しかし、変えたいというより「高めたい」という気持ちの方が強い。
今の自分でも十分楽しい。
だけど一度きりの人生なのだから、もっと楽しむための努力をしたい。
それが自分にやさしくした結果、得られた希望である。
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今日から9月。
うまい具合に体が動かないという人もいるかもしれません。
でもそれは当然のことなので、まずは自分の体の声を聴いてあげて下さい。
動けないのは決してわがままではないと思います。
こういう時期だからこそ、自分にやさしくすることが大切なんじゃないかなと思います。