#79 自信は後からついてくるもの
僕は絶望的に、自分に自信がない。
けれど、世の中をよりよく生きる上では、自信を持つことが必要不可欠なんだろうとも思う。
上に立つ人は堂々としているように見えるし、
表舞台に立っている人も自信を持っているように見える。
そんな人たちを見ると、時折嫉妬してしまうこともある。
これも自信のなさゆえである。
何かにチャレンジするときも自信がなくて、腰が重くなる。
誰かに話しかけることも自信がなくて、緊張する。
異性なんてもってのほかだ。未だに恋愛に対して自信がない。
だけど、それらを楽しめるような人間になりたい。
そのためには、自信を身につけなくては。
そう思いながら、どうやって自分に自信が持てるのだろうと試行錯誤を繰り返してきた。
自信の明確なつけ方はわからない。
けれど、一つの結論が見えたような気がする。
それは、自信はつけるものではなく、ついてくるものだという結論だ。
ダイエットから学んだ自信の正体
僕が自分に自信を持つために、最初に行ったのはダイエットだった。
かつて僕は125キロの巨漢で、クリーチャーのような見た目をしていた。
そんな自分の外見が嫌いで嫌いでたまらなかったのだ。
自分に自信をもつためには、まずこの外見を変えなくては……。
そう思ったものの、まずその行動へ起こすための自信がなかった。
自分のようなダメ人間が痩せられるだろうか……。
どうせ自分なんて痩せられないんじゃないか……。
そうぐるぐる考えて、なかなか行動に移すことはできなかった。
だが、結果的に減量に成功した。
とはいえ、それで外見に自信を持てたかと言うと……頷けない。
けれど、確実に「自分は痩せられるという自信」は身につけられた。
行動を起こす前に、自信がある必要はないのだ。
自信がなくても行動はできる。行動をすれば試行錯誤する。
成功することもあれば、失敗することもある。
しかし、自分はチャレンジしたという結果は必ず残る。
このとき、自信の正体が少し見えた気がした。
自信はつけるものではなく、ついてくるものなのだと。
本当の自信になる瞬間は
僕にとっては、自信というのはつけるものではなかった。
何かにチャレンジしたり、何かを経験したりしたことによって、後からついてくるものだったのである。
noteだって、始める前は全く自信がなかった。
書く自信も、続ける自信も、ましてや読まれる自信なんて皆無である。
毎日noteを書き続けて来て、当然ながら全ての自信をつけることができたかというと、そういうわけではない。
未だに読まれる自信はないし、これから先続けられる自信はない。
しかし、そもそも最近、noteに対して自信という意識を持たなくなった。
書いているときは一心不乱。
自分の考えを読みやすくするにはどうすればいいかの試行錯誤。
そして、出来上がっていくときの快感。
「公開に進む」を押す緊張感と、書き上げたという達成感。
それらで頭がいっぱいになり、とても自信のことを考えていられない。
だけど、そのときに思うのだ。
自信のことを考えなくなったときこそ、本当の自信がついた瞬間なのではないかと。