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才能が発見されるしくみ

 自分は学生の時に哲学の先生から哲学の才能を見出されてそれをきっかけとして哲学のブログを始めました。そして、先生曰く才能には既に高いレベルにいたタイプと授業を通してレベルを上げていったタイプの二つがあると言っていて、先生から見たら自分は前者、既に高いレベルにいたらしく自分は先生によって才能を発掘された感じだそうです。
 才能が見出されていると才能を見出すというのは一心同体のような関係で、両者がセットで存在しないと発見はされないでしょう。つまり、自分の才能を見出される人間が先生と出会う以前に自分の周りに存在していれば、自分はもっと前に哲学の才能があるとわかったわけです。

         この文は12字から成る。

これを自己言及文だと判定するには、自己言及文と判定される候補と自己言及文であることを見破るだけの人物が必要です。
 論理の法則も論理の法則と判定される概念とその論理の法則を見出した天才たちがいたからこそ、今までの論理の法則が開拓されてきたということですね。中には擬人法を用いて、人間でないものを人間として評価するだけの論理学者がいたわけですね。
 個人的には、もっと早く自分の適性がわかったなら、ブログの開始も早くなったり、投稿数も増えていたのではとタラレバ妄想にふけっていたりしています。しかし、今、哲学について学び、こうして文章を書きnoteに投稿しているのは個人的にとても楽しいことですし、才能を見出してくれた先生と出会った時期はまだ暇があった時期なので、先生と哲学についての議論なども交わしましたし、メールなどで哲学についてのやり取りもして、先生も自分についての理解度を深められたし、自分も時間がある時期に哲学について触れられたので、こうして投稿ができたので、もしも前の段階で発見されても忙しい時期なら最悪埋もれていたかもしれません。だからこそ、自分はその先生は非常に尊敬していますし、先生と出会った幸運に感謝しながらnoteへの投稿を続けていきたいと思います。


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