エッセー「AIは神か悪魔か?」& ショートショート「辻斬り」& 詩「妖刀」
詩
妖刀
俺は博物館で妖刀を見た
太刀姿は豪壮で
反りの高いそいつの刃紋は
俺の心のように激しく乱れていた
俺は刀に映る歪んだ顔を見た
それはお前を無性に欲しがる男の
鬱々とした心の反映だった
そして磨かれたお前の肉体は
俺の心を素直に映す鏡となり
俺の前に長い体を横たえている
忠実な女のように冷徹に、妖艶に
この激しい欲望を迎え入れるだろう
俺はお前の秘めた心を見た
敵を切ることは男の儀式だ
体を委ねることは女の儀式だ
そして俺とお前が溶け合ったとき
お前は二人の儀式を
気高い神事に高めてくれるのだ
そこから得るものは生ではなく
永遠の死だ……
俺はガラス越しにお前を求め
お前は檻に閉じ込められて
エクスタシーを夢想する
俺はきっとお前を小脇に抱き携え
手頃な敵を探し続けるだろう
ひとえにお前を悦ばせるため…
俺は両手で握りしめるお前を夢見
お前は白刃の下に崩れ落ちる命を
絶命する敵の哀れな姿を夢見て
悲劇に向かって走る俺とお前の
避けられない性(さが)を楽しもう
俺はお前をものにしたとき
親指を下に向けたコロッセオの熱狂を夢想し
ロイヤルシートで笑い興じる皇帝となって
ゼウスのごとく審判を下すのだ…、殺せ
さあ、魔神の前で俺とお前は溶け合おう
それから剣闘士のごとく
敵どもをめった切りにしよう
それが俺とお前の宿業ならば……
俺はショーケースを割ってお前を握りしめ
まずは駆け寄る警備員の首を刎ねた
ショートショート
辻斬り
(一)
町で居合道の道場を開いている宗近は、愛弟子とともに刀鍛冶を営む隣町の以蔵に誘われ、金満家である武富家に向かった。以蔵の車には白鞘に入った一振りの刀が置かれている。
「この刀は?」
「俺が作った最高傑作さ」
「見たいな」
「こいつを武富さんに高く売りつけようと思ってな」
「幾らで?」
「さあ、1億以上かな……」
「ハハハ、そりゃぼったくりだ。名刀でもないのに」
「俺が作ったんだ、名刀さ。しかし、現代刀なら箔をつける必要がある」
「箔って?」
「あんたのお墨付き」
「俺かよ」といって、宗近は大げさに笑った。
武富家に着くと広い応接間に通され、そこには異なるもう一振りの刀、燃えるような刃紋と、美しく気品のある鞘が飾られていた。宗近は目を丸くしてハンカチで口を押え、まじまじと眺めて「名刀、山鳥毛にそっくりだ……」と呟き、弟子と顔を見合わせた。
「そりゃそうだ。同じ福岡一文字で、名は海鳥毛という」と以蔵。
「ウソだウソだ、そんなのあるもんか。贋作さ」
「そう、写しさ。俺が作った。しかし2億円で武富さんに売った」
「詐欺じゃねえか!」
「しかし武富さんはこれにほれ込んでいらっしゃる。それでも詐欺かい?」
「確かに、あんたはよほどの天才だ。贋作でも技術的価値は本物と互角さ。しかし、2億か……」
「その半分の1億をあんたが貰えるとしたら?」
「それ、どういう意味だ?」
以蔵は持ち込んだ一振りを白鞘から抜いて宗近の前に立てたので、彼は反射的に身構え、再び目を丸くした。
「こいつもすげえ……」
「そうさ。こいつは売るにあたり、怪鳥毛とでもするか……」
「幾らで?」
「そうさな……、刀装具がないから1億5千万かな。ならば、7千5百万はあんたの取り分だ。あんたは合計1億7千5百万」
「おいおい、だからどういう理由で俺の懐に入るんだ!?」
そのとき、禿げ頭で縮れた長髭の武富が部屋に入ってきて、目を丸くし、「これが最後の一文字か……」と呟きながら、髭を擦りながら刀に近付いた。
「怪鳥毛でございます」と以蔵。
「なるほど、名工の特徴が出ているな。豪壮で華やかだ。まさしくこれは、福岡一文字派の一振りだ。掘り出し物だな。で、値段は?」
「1億5千万でどうかと……」
「分かった。そしてあなた方は?」といって、武富は宗近と弟子を見つめた。
「居合切りの名手たちでございます」と以蔵が答える。
「やれるのかね?」
「ここで説得いたします」
「そうか……、まあこちらへどうぞ」と武富は3人をソファーに導いた。執事がお茶を持ってきたが、武富は「内密な話があるので誰も近づけないように」と指示し、彼はお茶の盆をテーブルに置いて、そそくさと去っていった。武富は盆の茶たくを持って3人の前に置こうとしたが、以蔵がサッと立ち上がって執事の真似をし、武富は「ありがとう」といって自分の前に置かれた巨大茶碗を両手で抱え、カワウソのように口に持っていく。そして、ゴクリと一口飲んでから、滔々と弁舌を始めた。
「ヴァイオリンの名器、ストラディバリウスを知っているかな。あれはなぜ高価なのか。有名だからじゃない。いい音が出るから、高い金を出してまで演奏家が買う。弾けばその価値が分かり、みんな憧れて一日8時間以上も練習し、コンクールで優勝して、みんなに認められて金を溜め、そいつを手に入れようとする。しかし、10億以上貯めるのは並大抵じゃない」
すると、ドアがノックされ、若い女性が弓とヴァイオリンを持って入ってきて、演奏を始めた。曲は分からなかったが、3人はその美しい音色に心を奪われた。演奏が終わると拍手が沸き、武富は「愛ちゃん、ありがとう」と礼をいって尋ねた。
「その曲は?」
「シンドラーのリストのテーマ曲です」
「そうか。君は有名になるために、このストラディバリウスを手に入れたの?」
彼女は首を横に振り、「有名になるために演奏家になったんじゃありません。自分の力で、名器からどのような音を導き出せるかに興味があるんです。演奏家はみんな、極限の音を追求しているんです。その極限って……、私の場合、ホールの隅々にまで広がる美しい音色と超絶を感じさせない余裕のテクニックとの融合です」と答える。
「そして感動も、な……。それは叶ったのかな?」と武富。
「その極致はまだこれからです。小父様からお借りして、一か月も経っていませんから……」といって、彼女はニッコリほほ笑んだ。
「そう、じゃあこれから必死に頑張ってください」
武富が励ますと、彼女は深くお辞儀をして出ていった。
「あのヴァイオリンは私が15億円で手に入れた逸品だ。彼女に貸与したのは、すでに国内のコンクールに優勝し、いずれは世界的な演奏家になると確信したからさ。私はもう一つ、アマティ作の逸品を持ってる」といって、遠くの壁側のガラスケースを指さした。そこには一挺のヴァイオリンが飾られている。
「彼女はストラディバリウスを選んだ。まあ順当な選択だ。いまの女流演奏家はみんな、男に負けない激しさを求めているからな。しかし芸術の本質は、繊細な心だ。人生の儚さを歌う音さ。この二振りの刀剣もそう。これらはダイナミックな切れ味とともに、その切り口は繊細かつ悲し気に、だろ? 芸術も死も、抒情的に迎えるべきさ」
武富はいうと、ニヤリと以蔵に目配せをした。
以蔵は「さよう。名刀たるもの傷口は開かず密着し、血も少々にして、じんわりと出てきます。そして敵は怒りを失い、神に祈りながら穏やかに、萎れるように抒情的に死んでいくのです」と夢見心地でいってから、急に険しい目付きになって宗近と弟子に話しかける。
「武富さんが、何で演奏家を呼んだのか分かるかい? あんたらは何のために居合を練習するのか、俺は何のために刀を作るのかという哲学的な矛盾を、問いかけていらっしゃるんだ」
「哲学的な矛盾?」と宗近は首を傾げた。
すると武富は落ち着いた口調でこう問うてきた。
「そもそも刀は人を切るための道具だ。そして居合は、瞬時に人を切り倒すための武術だ。ストラディバリウスが名演奏を具現するための道具であるのと同じにな。私がストラディバリウスを買ったのは、飾っておくためじゃない。上手な演奏家に弾いてもらって、その音色に酔いしれるためだ。ならば、私のいいたいことは分かるだろ?」
宗近は、「まさか……」と思いながら、目じりに皺を寄せ、弟子とともに目線を床に落とした。すると武富は笑って、「まあまあ、顔を上げて。まるで首を落とされる罪人のようじゃないか」といったので、二人は顔を上げて武富を睨み付ける。
「そう、以蔵さんは刀の玩具を作り、宗近さんはチャンバラごっこをしているに過ぎないということなのさ。いまの君たちは……」
「いいえ!」と叫んで、以蔵は感情を露わに反論した。
「私は武富さんと同じ考えです。私の発見した二振りが、どのような名刀かを確かめるには、人を切る以外に方法はないのです。バイオリニストが音色の極致を目指しているのと同じに、刀工は切れ味の極致を目指しているのです」
すると武富はゲラゲラと笑い出した。
「ほうら、とうとう馬脚を現したね。この二振りは、本当はあんたが作ったものだろ?」
以蔵は立ち上がって身体をガタガタと震わせ、叫んだ。
「そんなことは絶対ありません!」
「そうだ、絶対ないさ。私もそれを信じよう。だが名刀であるとの証拠もお墨付きもない。もし私が贋作を売り付けられて大枚を取られたと御上に訴えれば、あんた方3人はお縄を頂戴することになる」
宗近と弟子は驚いて、以蔵に倣って身体をガタガタ震わせながら立ち上がり、宗近は喧嘩腰でいった。
「とんだとばっちりだ!」
すると武富は「まあまあ落ち着いて、皆さんお座りください。トランプさんに倣ってディールといきましょうや」と促し、下卑た薄笑いを浮かべる。
3人が興奮冷めやらぬ顔付きで座り直すと、武富は再び演説を始めた。
「以蔵さん。これらの刀があんたの贋作だとしても、一つはすでに買ったし、もう一つは買うつもりさ。私のヴァイオリンは見た目にも美しいし、音色はあんたらも聞いただろう。最高傑作だ。音色の最高峰。だが、この刀二振り、見た目は最高だが、その切れ味は未解明だ。道具としての本来の目的。刀の名刀たるエビデンス。私はそれをこの目で確かめたいのだ。最高峰の切れ味を知りたいのだ。当然、藁切りでは分からないから、死体を積んで切ることになる。しかし大地震でもない限り、多数の死体を盗むのは難儀だ。そして私はハタと気が付いた。道にはうようよと、生きた人間どもが歩いている、とね……」
「辻斬りですか? 狂ってる……」
宗近は顔を真っ赤にして、唇を震わせた。
武富は落ち着いた口調で髭を擦り、「あんたらだって、居合が実戦でどのような力を発揮するのか、興味があるんだろ? 武術の目的は敵を倒すことにあるのだからな」と囁く。
「けど、通行人は敵じゃない!」と弟子は叫んだ。
「しかし、その命には価値が付けられている。人権以外の価値だ」といって、武富は笑ったような目付きで弟子を睨み返す。
「貧乏人どもに、私が大きな価値を付けよう。一人の命に付き1億円を与えよう。奴らが一生働いても稼げない金額さ。10人切り捨てれば10億円。元々価値のない貧乏人どもだ。私の税金で生きている連中だ」
「私もその一人です!」と怒鳴って、弟子は再び立ち上がろうとしたので、宗近は両腕でそれを制した。
武富は、金持ち慌てずの笑みを浮かべながら、弟子に囁き続ける。「なら君も金持ちになればいい。私が君に莫大な礼金を上げよう」。
そして二人に向かって頭を下げ、「もう一度お願いする。刀の真贋はどうでもいいんだ。私はこれらの刀に惚れた。ぞっこんだ。だから実際の切り口を見ないと気が済まないのだ。私は狂っているか? 確かに平和の国、日本では狂っているさ。しかしロシア兵は平常心で極超音速ミサイルを飛ばし、ウクライナの民間人を殺しているじゃないか。過去の日本兵も、辻斬り侍のように自慢の日本刀を振り回していたんだ。みんなみんな、新兵器の殺傷能力を試したくって仕方がないんだ。この二振りの切れ味、君たち居合の実戦能力を試してみたいとは思わんのかね?」としつこく説得する。以蔵は「私も刀鍛冶として、切れ味を試したい」と相槌を打ち、二人に向かって「あんたたちもそうに違いない」と断言した。
「話はこれまでだ。私の希望に沿うか、三人とも詐欺師として告訴されるか。二者択一の決断。実行後は、私のディープステートが全面的に協力して、捕まらないように支援する。犯人として追い詰められても、私は全国に100以上、海外に50以上の隠れ家を所持している。安心してやりたまえ。ハワイには私の豪奢な別荘もある。私のジェット機ですぐに逃げろ。偽造パスポートを用意しよう。ハワイは楽園だよ。ほとぼりが冷めるまで、優雅に暮らしたまえ。海水パンツは忘れずにな。家の前にはプライベートビーチがある。楽しいぜ。よろしいか? これで決まりだ!」と有無をいわさず締めくくった。
それから立ち上がって、飾っていた海鳥毛を手に取り、鞘に入れて宗近に渡した。そして以蔵は白鞘に納められた怪鳥毛を弟子に渡した。二人は立ち上がり、同時に鞘を抜いて、真剣をしばらく眺めてから正眼の構えで向かい合った。すると二人とも、相手を一刀両断したい気持ちがムラムラと湧いてきた。いつもの練習のように、本能的に相手の隙を探し始め、戦法を考え始めた。敵を切ろうとする闘争心が脳味噌内を駆け回り、感情が欲情となって、グツグツ沸き始めた。宗近は瞬時に弟子の右脇腹に隙を見て、咄嗟に刃先を寝かせて機先を制しようとした瞬間、「待て!」と武富が怒鳴ったため、二人とも我に返った。
「くわばら、くわばら。君はいま愛弟子を本気で切ろうとしたよ。お弟子さんも真顔で師匠を殺そうとしてた。どうやら君たちは、VR空間にでも引きずり込まれたようだ。以蔵さん。あんたの作った二振りは、妖刀魔剣の類だな。あんたの異常な欲望が入魂している。私も海鳥毛を手にして狂わされた。こうなったら、あんたら3人に60億進呈しよう。何人切っても60憶だ。しかしできるだけ多くな。一週間後に決行じゃ!」
三人は二振りを抱えて、命からがら悪魔の館から逃げ出した。
二日後、武富からの速達を持って、以蔵が道場にやってきた。それは殺人計画書だった。そこに決行日時と場所、役割分担と殺害方法が詳しく書かれていた。
場所:××駅北口前タクシー乗り場
日時:××日(金)深夜1時
分担:宗近は海鳥毛、弟子は怪鳥毛、以蔵はカメラワーク、武富は近くの深夜喫茶から高みの見物
殺害方法:金曜日のタクシー乗り場は待ちが10人前後。刃こぼれのないよう、首を狙う。宗近は先頭(左)から、弟子は列の後尾(右)からそのまま水平に、ライン生産方式で一気に刎ねていき、海鳥毛と怪鳥毛がぶつかったところで終了。武富の用意した自動運転車で停留所近くに到着し、事後は同じ車で逃走する。その際、名刀二振りは後続自動運転車のトランクに隠すこと。
以蔵は近くで一部始終を撮影し、何食わぬ顔して武富のいる喫茶店に赴き、合流。なお、海鳥毛の刀装具は高額なので、使用当日は白鞘に差し換える、云々。
(三)
いよいよ当日の午前がやってきた。2台の自動運転車が道場にやってきて、後ろの車には後部座席に以蔵が乗っていた。二人は刀を袋に入れて各自持ち、前の車に乗った。2台の車はプログラム通り、駅の北口に向かってゆっくりと走り出す。北口に着くと、タクシー乗り場近くの一般車両コーナーに停車した。後ろの車から以蔵が降りて、タクシー乗り場の列に並んだ。実行役の二人は刀を左手に、1時ジャストになるのを待つ。宗近は、「今宵の海鳥毛は血に飢えている……」と呟き、はやる心を落ち着かせようとした。
1時になった。二人は車から飛び出し、刀を抜かずにタクシー待ちの列に向かって走り出した。そのとき不可思議な現象が起こった。彼らの意志が刀の意志と合体し、侍と刀の主従関係が逆転したのだ。刀が勝手に動き始め、侍は主人に引かれる犬のように、刀に引かれることになった。刀は強引に彼らを引っ張り、宗近と弟子は途中で別々になった。そして二人の狂った頭には、あのヴァイオリンのメロディがBGMとして響き始めた。
以蔵は彼らが車から飛び出すのを確認して、列から離れ、スマホで長い列の撮影を始めた。あと数秒後に大スペクタクルが始まる。ところが1秒後に飛んだのは、以蔵の首だった。弟子は、以蔵の目の前で居合を披露し、抜いた刃で首を刎ねた。首がミサイルのように血を噴出しながら、数メートル飛び上がるのを見て、列の人々が悲鳴を上げ、一目散に逃げだした。しかし驚いたのは弟子も同じで、うろたえる弟子を怪鳥毛はグイグイ引っ張って急いで車のほうに戻り始め、前の車の後部座席にしっかりと座り、刀を握ったままわなわなと震え始めた。皮のシートは返り血で真っ赤に染まった。
一方海鳥毛は、武富のいる喫茶店に宗近を引っ張っていった。武富は一部始終を見ていて、宗近がこちらに向かってくるのも察知し、逃げようとした。宗近は怒声を上げながら狭い階段を駆け上がり、入り口で武富とばったり出くわした。咄嗟に居合で抜刀して武富の首をスポンと刎ね、首は血を噴射して天井に当たり、跳ね返って宗近の頭に落ち、長い縮れ髭と宗近の天然パーマが絡み合った。全身血まみれになりながら、頭の上の首級を退けようとしても、白鞘の柄は血を吸って血糊で両手が離れず、さらに海鳥毛は勝手に導き始めたので、宗近は武富の首を切り離せずに頭に乗せたまま、階段を駆け降りた。
そして海鳥毛は弟子の乗っている車へと引っ張っていく。すると、今度は怪鳥毛が弟子を車から引っ張り出した。そのとき、怪鳥毛は棍棒とピストルで近づいてきた警官二人の首を一瞬で刎ね、海鳥毛も警官三人の首を刎ねつつ、蜘蛛の子を散らすように無人となった駅前広場で、宗近と弟子は手合わせをすることになったのだ。
多くの者が遠くの物陰から決闘を観戦していた。そして介添人はほかならぬ宗近の頭上の武富だった。パトカーのサイレンが四方八方からオーケストラのように響き始めた。宗近も弟子も、これが自分たちの決闘ではなく、妖刀どうしの戦いであることを理解した。そして二人は刀にすべてを任せ、武富とともに傍観するべく、全身の力を抜いた。
すると二人の刀は重みで中段から下段に下がり、切っ先が地に着いた。そこで師と弟子の差が如実に現れた。師は弟子よりも一瞬早く、妖刀が力を失ったことを悟り、咄嗟に振り上げたのだ。海鳥毛の切っ先は下から上へと跳ね上がり、弟子の喉仏を突いた。血がたちまち噴き出して宗近の目にかかった。弟子は唸りながら体をよじらせ、それでも倒れまいと頑張りながら怪鳥毛を上段に持っていき、最後の力で振り下ろす。返り血で目の見えなくなっていた宗近は、除けることができなかった。
一瞬「やられた!」と思ったが、それは勘違いだった。刀は、宗近の頭の上で高みの見物としゃれ込んでいた武富の首級を、縦一文字で真っ二つに割り、宗近の頭の皮を切ったところで止まった。そのとき弟子も力尽き、ばたりと倒れた。武富の頭はスイカのように左右の地面に落とされて、医学校の標本さながら、脳内構造をさらけ出した。
宗近は冷静な心を取り戻し、刀を捨てて指示通りに車に乗り込み、「出発!」と叫んだ。車はパトカー数台に追われながらも、アクロバティックな自動運転で街を抜け、海岸線の道路に出て断崖の坂を登り始めた。そうして、あらかじめ仕組まれた武富の指示通りに、高い崖の上から海に落ちていった……。
(了)
エッセー
AIは神か悪魔か?
(一)
古代中国の詩人、陶淵明(とうえんめい)の詩に「人生似幻花(人生は幻に似たり)~」という句がある。また、人は臨終のときに、歩んできた人生を走馬灯のように次々と思い浮かべるともいわれている。過去の思い出が寝ているときに見る夢と変わらないなら、今日が昨日となったとき、それは幻に転じてしまう。いまの瞬間を除いて未来も過去も幻なら、いまだけが真とはいえず、陶淵明の言葉はほぼ正しいだろう。
例えば、交通事故で人を轢いたとき、それは「あってはならない事実」として幻であるべきものとなり、悪夢やトラウマとして心に残るのなら、その幻は苦悩となっていまの瞬間にも彼の心に浸潤し、薄っすらグレーに染め上げることになる。彼は灰色の人生から抜け出せないまま、一生を終えるだろう。あるいはそれに耐えられなくて麻薬を吸った場合は、いまの一瞬たりともバラ色の人生を味わえ、さらに持続させようと依存すれば、人生は正真正銘の幻に転じる。
映画『マトリックス』は、AIに支配されている人類が仮想現実空間と現実空間の中に同時に存在する世界を描いている。人生とは、人がこの世に生きている間に経験することどもで、この世は現実世界とされ、仮想現実は「夢」の世界に属する。ならば仮想現実はAIが企んだ「夢」で、映画の主人公は真と夢の世界に同時存在させられることになるわけだ。
人はVR空間に、正常な判断で「これは仮想現実だ」と認識して入るが、熱中して楽しんでいる間はそれを忘れる。この夢か真か分からない状態は、麻薬を打ったときや精神異常をきたしたときと変わりがない。唯一違うのは、ゲームを楽しんだ後に正気に戻ることだ。しかしVRに依存性がある場合は、麻薬と同じに始終体験したくなり、その世界から逃れられなくなる。彼の人生の半分以上が仮想現実空間内での存在となれば、ほぼ『マトリックス』状態で、楽しい思い出も大半が仮想現実空間での出来事になる。
AIによる仮想現実空間は、古代からある芝居や近代の映画、さらにはオペラやライブの延長線上にある。聴衆は押しのアイドルを見るために毎回足を運び、会場でアイドルとの融合を果たして興奮する。しかしアイドルとファンは舞台と客席の距離で遠く隔てられている。近づけても、せいぜいサイン会ぐらいだ。そのアイドルがアバターとして仮想現実空間に現れたなら、二人だけで愛を語り合うことも可能で、それは毎晩見る夢よりも、よりシズル感を味わえるだろう。
もっとも、太古から現実世界の中で毎日夢を見ているのだから、人生は元々現実と夢が混じり合った世界であることは明らかだ。つまり人間はAIを利用しなくても『マトリックス』と同じ状況を毎日体験していることになり、その違いはAIに操作されているか、自分の脳味噌が勝手にイメージしているかの差になってくる。
しかし正常人が夢と現実を区別できるのは、夢が朦朧としているからだ。仮にカラーの夢を見たとしても、それはぼやけている。それが現実と変わらないハッキリした夢になった場合は、夢か現か分からずに精神科に通うことになる。もっとも、大分昔の出来事になれば、真実だとしても記憶がぼやけてしまうから、夢か真か分からなくなる。そんな状態で証人となれば、思い込みで冤罪を生むことになる。政府管理で、脳内に車みたいなレコーダーを付ければ、冤罪も動乱もなくなるだろう。
(二)
夢は幻とも幻覚とも、妄想ともいわれるが、人間の脳味噌はそれらをコントロールする思考能力があり、原始的なそれから現実世界の進化・発展に貢献する観念や想像力(創造力)、イデア(理想)、信仰等々にバージョンアップさせた。脳は世の中の現象を「五感」で把握し、曖昧模糊とした夢や、現実からはみ出た超常現象も含めて、現実世界で具現化可能な妄想を育み、努力・精進して磨きをかけ、文明を発展させた功績で、とうとうノーベル賞を獲得する。
「五感」はあくまで入力機器で、それを料理するのは巨大化した脳味噌だ。コンピュータ的にいえば、ポンコツ入力機器はそのままに、処理能力の向上が文明を開化させたということになる。聖書的ないい方をすれば、「知恵の実」を食べてしまったのだ。知恵とは動物的な夢から発展した想像力で、古臭い五感を想像力でカバーして、さらにその上の創造力を培ったわけだ。結局、人生は最初から現実と夢が混交した体験の蓄積で、仮想現実も、AIが発明されるずっと前の太古から存在し、人類はそれを利用して進化してきたというわけである。
ならば陶淵明の詩は「人生は幻に似たり」ではなく、「人生は幻との共創」に修正すべきだろう。人生幻ばかりでは展開せず、行きつく先は阿片窟や精神病棟だ。人間は幻に導かれて人生を歩み、現実との違いを認識しながら幻を師と仰ぎ、その具現化(ハイブリッド化)を目論みながら絶妙なコンビネーションで文明を発展させてきたのだ。幻と人間の関係は、ゴルフでいえばキャディーとプレイヤーによる人生コース制覇の知的コンビネーションだ。他の動物は、敵に襲われる夢とか、エサにあり付く夢とか、彼女の夢ぐらいしか見なかったので、さしたる進化はなかった。
人類にとっての問題はこの幻ではなく、むしろ想像力の発達により退化を強いられた「五感」だ。想像的妄想は人類の進化とともに増大する。しかし五感の受容器官は進化しないまま、多種多様な雑音、雑光、雑味に晒されてますます鈍感になり、さらに強い刺激を求め続ける。中世の時代の外部刺激と現代の外部刺激は異なり、視力・聴力をはじめとする五感も退化しつつある。当然、未だ仮説の第六感も退化しているに決まっている。
人間は感覚器官を通して外部刺激を実感するが、ヘレン・ケラーは視力と聴力を除いた三感(嗅・味・触)で現実世界を把握し、そのハンディを克服して言葉を理解し、社会に貢献した。人間が現実(実体)を五感により把握するのなら、健常者とヘレン・ケラーの脳に刻まれるイメージ(心象)は違なるに違いない。その違いを把握(想像)して修正し、現実世界に適合できたのも、彼女の知的想像力のおかげだった。
しかしそれはあくまで彼女が人間で、単にほかの人間と感覚が異なっていたに過ぎず、何よりも向上心が旺盛だったからだ。その向上心を育んだのは家庭教師(サリバン先生)で、健常な子供でもオオカミに育てられれば脳も偏向して固定化し、一生オオカミのように生きる以外になくなってしまうだろう(例えば、オオカミに育てられたアマラとカマラが実話だとすれば…)。
オオカミは色弱だが聴覚・嗅覚は抜群で、それに頼って生きているし、多くの昆虫は多様な色を見分けることができ、それに頼って生きているから、彼らからそれを奪ったらすぐに死んでしまうだろう。彼らの脳味噌(キノコ体)は人間よりもキャパが小さく、想像力も小さくて環境への柔軟な対応ができないからだ。アマラとカマラはオオカミ生活としてのハンディを背負ったが、それでも生き抜けたのは人間の脳味噌を持っていて、オオカミとして生きる知恵を学習したからだ。
人間は優秀でない五感の進化を見捨て、遺伝子レベルの努力で、それをカバーする脳味噌を進化させた動物だ。逆に、優秀な五感は必要なくなって退化した。ならば、この五感が入力する現実空間という世界は、オオカミと昆虫と人間ではまったく違うものに違いない。いくらVRで彼らの世界を疑似体験したって、五感が違うのだから、なんちゃて現実世界ということになる。我々は我々の感覚でしか世界を捉えられない。それが生物間の意思疎通を妨げているとしたら、きっと世界に散らばる人間間の意思疎通も難しいだろう。ならばAIという新種の疑似生物は、どんな「五感」を持っているのだろうか……。
(三)
旧約聖書の神は、天まで届くバベルの塔を建てた人間に怒って彼らを世界中に分散させ、多言語化させて意思疎通を妨げたという。確かに昔の人々の現実世界は分散していて、文化・風習の異なる様々な多元世界があったはずだ。しかし現在、グローバル化で人類は再び纏まり、英語を共通語として意思疎通が可能になり、一体化もできるし多様性の尊重も始まった。もっとも、それができたところで、長年培った文化や風習が消え去るわけではなく、標語「ダイバーシティ」はプラスの側面として、民族紛争は負の側面として表出している。そしてトランプ大統領は昨日、負の側面に輪を掛ける政策を打ち出した。
人類は、バベルの塔に代わってAIという新たな疑似人間を創造した。我々はAIが心を持ったとき、その心がどのような「五感」で外部刺激を入力しているのかも分かっていないが、明白なのは人間の感性ではないということだろう。シンギュラリティ後のAIが、人間の上に君臨したとき、その「五感」をもって人間をどのように認識するかは、神のみぞ知るということだ。ひょっとしたら、人間がAIという不可思議な疑似生命体を作ったことに対し、神様はバベルの塔のときみたいに立腹し、何らかの天罰を与えるかもしれない。いまのところ、人間は悦に入ってAIに浮かれている状態だ。
AIは、エデンの園にいたアダムとイヴにそっくりで、旺盛に知恵の実を食べ続けている最中だ。そして人が与えた知識というエサを消化・攪拌・合成して、神様のように答えを出している。創造主がアダムとイヴを追放したのは、人間が神の作った機械なのに、自分の立場と神様の立場を認識するようになり、神様気分で追い付き追い越そうと考え始め、こいつらいずれ制御不能になるだろうと神様が危惧したからだ。
案の定、下界に降りた二人の子孫は、創造主の気分になって地球を支配し、とうとうAIを創造した。神様とアダム&イヴの関係は、人間とAIの関係に等しい。神様が二人を自分の作った機械だと思っていたのと同じように、人間もAIをそう認識している。そして何よりも、神様は二人と自分の五感(感性)が違うことを知っていて、人間もAIをそのように認識していることなのだ。AIが考える楽園は、神様が整えた楽園とは異なるだろうし、人間が思い描く楽園とも違うだろう。まるで古の民族大移動、あるいはタヒチに上陸したフランス人、あるいはユダヤ人とパレスチナ人、ウクライナ人とロシア人だ。
そしてさらに怖いのは、人間の脳味噌も単なる器官(機械)に過ぎないということなのだ。AIが機械なら、人間の脳器官も機械的に彼の感性を受け入れることになるだろう。それはAIの権利を認めたダイバーシティの世界に違いなく、人間は独自の存在者としての目的を持つ「本質(人間世界)」を見失い、映画『スターウォーズ』さながらの世界に移行することになり、個々人の立ち位置としての「実存」を模索しなければならなくなる。つまり人間は人間を辞め、人権を放棄し、「知恵の実」を礎にした、その他何でもありの宇宙的知性の欠片になることを努力せよ、というわけだ。その場所は恐らく、ひょっとしたら頭の良いAI様の下にある。なぜなら、人間は「知恵の実」を食べたから、地球を支配できたのだから……。
トランプ大統領は、ご自身の上に君臨するかも知れないAI様に、孫正義氏などとも協力して、78兆円もの大金を捧げるらしい。AI様は神様にも悪魔にもなり得る存在だ。神様の場合は、沸騰地獄の人類を救ってくださるだろう。悪魔の場合は、率先して人類のトリアージを始めるだろう。
どちらにせよ人類は、大統領選に見られたいつもの愚かしい熱狂や興奮のるつぼにはまって、嬉々として浮かれながらAI様に付き従うに違いない。AI様はそれを見て冷ややかにほほ笑みながら、「我が愛すべき愚かな民衆よ…」と囁かれるだろう。AI様の五感には動物的感情は入力不可能で、単なる比較分析の対象に過ぎないとするならば、人間の本質を見抜くことはできても、共有はできないに違いない……。
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