ホメる先生、ケナす先生 (エッセイ)
昨日、《芸風》がまったく異なる《物語》を投稿しました。
それもそのはず、「こま犬物語」は、私が中学に入学間もない頃に書いた(というか、書かされた)ものなのです。
私の人生の中で、中学生活は結構、暗い時代でした。
クラスの女子にビートルズのレコード(Let It Be)を借りて夢中になったり、浴衣姿の女の子と花火見物に行ったり、フォークギターを弾き始めたり、友人関連はそれなりに楽しかったのですが、先生たちがひどかった。
中学の先生というのはどこもそんなものなのか、たまたま運が悪かったのか、とにかく、欠点を指摘されたり、叱られることが多かった。
叱られる、と言っても、たいして悪事を働いたわけでなく、授業中に寝ているとか、上履きの一部が壊れていて歩くと奇妙な音がするとか(自分ではむしろ気に入っていた)、その程度のことに文句をつけてくる。
塀を乗り越えラーメン屋に通っていたのを言いつけられて、職員室で正座を命じられ、高校入試の内申書に《素行不良》と書くぞ、そしたらテストでどんな点を取ろうが不合格だぞ、と脅されたこともありました。
そんな中、ふたりの国語の先生だけは、いい意味で今も《#忘れられない先生》です。
「こま犬物語」投稿は、実はそのうちひとりの先生に関する話の《マクラ》にあたります。
中学1年の国語の担任は、当時30代前半ぐらいの女性でした。
入学後に受け取った真新しい教科書の、最初か2番目の教材が、もう内容は忘れましたが、どこかの地方の《民話》でした。つまり、「かさ地蔵」のような。
その民話を読み終え、感想などをひととおり話し合った後、次の授業のはじめに、先生は恐ろしいことを言い出しました。
「じゃあ、今日は、みんながひとりひとり《民話》を書いてみようよ」
(ええっ、どういうこと?)
国語の授業は、読むこと、(特に《漢字》を)書くこと、《表現方法》を理解すること、感想文を書くこと ── だいたいそんなパターンだと思っていたので、生徒たちは驚きました。
「そんなの、できないよ!」
という声も方々で上がりました。
「どんな話でもいいの。自分が読んでみたい、と思うような物語を考えて、書いてみてよ。頭の中に浮かんだことを書けばいいの」
先生は、原稿用紙を配りながら言いました。
要は、《小説》を書いてみろ、というわけです。
突然の《無理難題》に、私を含め、おそらくクラス全員が困惑しました。
その時間の最後に、私が提出した原稿が、「こま犬物語」です。
紋切り型の《賢兄愚弟》的な話で書き出し、《展開》について大いに悩み、途中で《神社の狛犬》に結びつける《アイディア》を思いつきました。
この時、おそらく、《オリジナル・アイディアを着想する》という《喜び》を感じたことと思います。
《空き地》で新しい《遊び》を《考案》した時、友人にぴったりした《あだ名》を考え付いた時などと、同じ類の《喜び》です。
ただ、こうした《喜び》は、一過性のものが多い。熱が冷めると忘れていきます。
次の国語の授業で、先生は、生徒それぞれが書いた《民話》の原稿を返却しました。
「この話、面白かったわ。途中で時間がなくなったみたいだけど、家で完成させてごらんなさいよ」
「最後のところでどんでん返しがあって、びっくりした。先生、続きが読みたいわ」
ひとりひとり、Encouragingなひとことを添えて返却した、その原稿にもコメントが書かれていました。
何人かには、《自作》の《朗読》もさせました。
その授業の後、私は教壇に呼ばれました。
「この話、先生、とっても好き。少し直して、今年の《文集》に出そうよ」
その中学に《文集》なるものがあることを私は知りませんでしたが、先生が、《表現が気になった》と指摘した部分を修正し、原稿を再提出しました。
その学年の終わりに、全校生徒にその年の《文集》が配布されました。
中身の多くは、部活や生徒会の活動報告、修学旅行や遠足の紀行文、随想的な作文、卒業生のひとこと集などでした。
「こま犬物語」は、《創作民話》として掲載されました。文集中、ただひとつの《創作モノ》でした。
ネットもワープロもない時代です。自分の書いた《オリジナル物語》が《活字》になって印刷されていることに、途方もない《喜び》を感じました。そして、この《喜び》は一過性でなく、
(自分の考えた物語が活字になるって、素晴らしい)
と意識の中に《固定化》されたのです。
今回投稿した「こま犬物語」は、縦書きを横書きに変えるにあたり、漢数字をアラビア数字に変えたこと、パラグラフに分けたこと以外は、その時の掲載バージョンです。
ただ、「12歳の作」といっても、上記のように、《編集者》役だった先生との合作でもあります。
幼い頃から本を読むのが好きで、漠然と、自分も《物語》を書きたい、と思い、マンガや絵本のようなものを描いてはいましたが、具体的に、
《小説家になりたい》
と憧れるようになったのは、この先生に《ホメられ》、かつ、《編集者》としての先生が、《創作》を《喜び》に《固定化》する仕掛けをしてくれて以来のことです。
子供を/生徒を/学生を《ホメる》って、とっても大事なこと。
自分の経験から、《アタマでは》そう信じているものの、なかなかこの先生のようにはできません。学生を指導する時も、つい欠点を指摘したりする。
たぶん、《ホメる》より《ケナす》方が楽、なのでしょう。
さらに言えば、《相手をケナす》のは、相対的に《自分の方が優れている》ことを確認する、《自慰行為》なのではないか、と思うこともあります。
── 日暮れて、道遠し。