不登校児がこの世界を信じて「対話」するまでの道のり(小3男子)
こんにちは。
不登校サークル岩手南 PLAY!です♪
今日は「不登校と対話」というテーマで本を一冊ご紹介しつつ、不登校開始から、心が回復して親子の対話ができるまでの我が家のストーリーをご紹介します。ちょっと長いのですが、サークルを立ち上げた私の体験談にお付き合いください♪(不登校歴半年、子どもの年齢小2です。)
「親子で哲学対話」のススメ
まずは、本の紹介。
著者は哲学者の父苫野一徳 (とまのいっとく)さん。娘さんとの対話を通した子どもと他者、世界への理解を綴った本。
「親子で哲学対話」~10分からはじめる「本質を考える」レッスン
2024/5/18発売
苫野一徳 (著)
著者の娘さんもある日、不登校になります。
対話から生まれる問いと考察の数々。
「そもそも〇〇って?」とか、「お父さん哲学対話しよ!」からスタートする親子の何気ない日常の中の対話。そこはさすが哲学者の父。対話は大人がリードしたり、子供の発想に大人が驚いたりしながら、大人同士でもそこまで深く考えられないな〜〜というところまで、親子で到達してゆきます。
AI時代の今こそ 「正解のない問いにどう対応するか」「自分の頭で本質を考える力を持ってどう生きるか」が必要とされています。哲学思考で高める思考力、言語力、コミュニケーション力、問題解決力。ものごとに絶対的な正解はなく、目指すところは、その対話によって真理・本質や「自分自身」の軸・コアな部分であったり、それぞれが大切にしたい唯一無二の価値観に近づいてゆく、という点が大切なポイントです。
その価値観の軸を自分の中心に持って生きること、それがこれからの時代に必要な、いわゆる「自分軸」というものなのかも。
軸があってこそ、対話がスタートできるし、また対話を重ねることによって強くしなやかな軸が形成されてゆく。
実はこういうものが子供の中にあるのですが、最初は言葉にできません。そして焦らせたり、急かしたり、脅したりしてもそのコアな部分を見せてはくれない。どうやったら子どもは本当の気持ちを話してくれるのかしら?
じっくり、ゆっくり、信頼できる人と、リラックスした時間・空間の中で何度も何度も、時間を気にせず、対話することで、だんだんと言語化できていいくのではと思います。そして自分と他者との違いや、それぞれの素晴らしさ、ひいてはこの世界の面白さにも気づいていくのではないかな。
一時期、グダグダの不良&引きこもり不登校児からどうやって我が子がやっと「対話」できるようになったか、私の経験談を綴ってみたいと思います。
うちの子が不登校になちゃった!どうしよう!?
昨年の春・桜の季節、目をキラキラさせて小学校に入学し、1年間通っていたのですが、1年生の3学期の終わり、春休みがあと数日で始まろうかというタイミングで急に「学校に行きたくない」と言い出して。
ちょっと焦りました。ずっと行かなかったらどうしよう。このまま社会不適合者になっちゃうのではないかと親も不安に。そんな親をよそに息子は、「う〜ん、学校を休む、というより学校を辞めたい」と、言いました。
理由は、
「僕は
歌は自分が歌いたい時に歌いたい
勉強は自分がしたい時にしたい
絵は描きたいときに描きたい」
という理由だというんです。不登校の理由はそれだけでなく、いろんな理由があったのかもしれません。コミュニケーションには特に問題がなさそうな息子。同級生とも問題なく仲良くしていました。でも、学校を休むようになってすぐに、「僕は、生徒が1人の学校がいい」と言っていました。マンモス校に疲れちゃった?田舎だったら大丈夫だった?なんて考えました。
後で思うと、小学校の分刻みの時間割に沿って生きることが、もう無理になってしまったことも大きいようでした。
このころ母である私の想いは、どうして学校にいけないのか?まだまだ、ゴール設定は「いかに学校に戻ってもらうか。」でした。
私は、不登校対策のYoutubeでいろんな体験者の話を見たり、不登校の本を読んだり、経験者の話を聞いたり・・・。その中で、義務教育は「子供が学校に行かないと行けない義務」ではなく、小・中学校9年間の教育環境を整えて、「子供の学ぶ機会を親や社会が奪わない」ための法律だとわかって、そこから公立学校以外の選択肢も探し始めました。不登校当事者になるまで義務教育とはなんぞやとか、意味など考えたこともなかったのですが、ようやく、人は何を学ぶべきなのか。何が子どもの育ちに必要なのか、あたらめて考えました。
公立学校以外の選択肢、岩手にある?
しばらく、学校に行かず、家にいたんですが、私の負担も増えてきて。ありとあらゆる選択肢について調べてみました。
がありました。しかし子供が安心して毎日通いたいと思える場所。なかなか近くで見つかりませんでした・・。
公立学校のスクールカウンセラーさんともお話したら、市の運営する不登校支援施設を紹介いただいて見学に行ってみました。ここでは、スタッフの方が一生懸命に子どもたちに向き合われていましたが、学校という社会に戻すことが目標となっているのか、不登校児は、「不適応」と称されてグループ化されていて・・・。これでは子どもたちは行きづらくなるのではと。
「不登校支援」という分野で国から運営費のお金がもらえるとか、そういう仕組みから生まれる問題なのかもしれませんが。今は、だんだんと文科省の方でも不登校支援は、不登校児を学校に戻すことをゴールとしない政策方針になってきているそうです。早くそのような実装が進むことを願います。
盛岡発・動物園の中にフリースクールができた!
公立学校以外の選択肢を探している時、とある大学の大学生向けのキャリア形成授業に小学生の息子と一緒に参加させてもらいました。テーマがソーシャルデザインや、不登校、フリースクールの立ち上げに関する授業だったのです。
岩手県盛岡市の盛岡市動物公園 ZOOMOの中にフリースクールを作ったという山内まどかさんにお話をじっくりうかがえました。山内さんは、様々な事業を立ち上げる主婦起業家であると同時に、不登校からの自殺で身内を無くした経験から目標だったフリースクール(https://guruguruno.com/) を作られたそうです。
不登校児を学校に戻すためではなく、不登校に限らず、子供や若い人たちのキャリア形成の場として様々な切り口の学びを提供する場としてフリースクールを運営されています。
学校に行っても行かなくても、立ち寄れて、自分の好きなこと、将来の仕事のことや、夢の実現について話せる場。大人向けの仕事場(コワーキングスペース)も兼ねて行くそうです。「ティール組織」の組織形態をみんなで実践的に学ぶ場とするため「ティールエッセンススクール」という裏テーマも。ティール組織とは、権力を集中させたリーダーは存在せず、現場においてメンバーが必要に応じて意志決定をおこなう有機的な組織のこと。ピラミッド型の階級組織構造=ヒエラルキーのない次世代型組織として注目されています。なんだかそこから新たなローカルビジネスのチャンスも生まれたりしそうですね。
集まってきた!岩手の不登校情報
当事者になってみていろいろ集まってきた情報。実態話として聞こえてきたのは、フリースクールなど、公立学校以外の選択肢が意外に地域にないことでした。不登校になったらいきなり行き先がなくなるのです。自宅で子供を見ていらっしゃる親御さんも多いだろうと思います。
家庭でオンライン高校に通う人、また農家や漁師の手伝いをして、実践的な仕事を学んでいる中学生までもいると聞きました。現在はオンラインのタブレット学習なども選択肢がありますが、どこかに毎日通ったり、行ったりする選択肢は多くありません。他の県や地域には「児童館」という、年齢問わず誰でもいつでもいける公共施設があるんですが、岩手の市町村にはない地域も・・・
また、学校の勉強どころではなく金銭面や、精神面で大変な状態にある人の話も聞きました。中には母子家庭で不登校をきっかけに親子ともに引きこもりになって、生活保護を受けるかどうかの話になっている方がいるという話や、不登校がきっかけて子どもが対人恐怖症となり、精神疾患になったりも。
今はまだ何も答えなくていい、考えなくていい
子供が小学校を休み始めた期間は、学校に行けない自分への自己嫌悪や、何が快不快か自分でもわからない状態で混乱していたのか、こちらからの問いかけにもあまり反応がありませんでした。
このタイミングで、「あなたはどうしたいの?!」「Aなの?Bなの?選んで!」「学校に行きたいの?」「行きたくないの」と質問するのはNGなんだなと感じました。ここで子供を追い詰めるとさらにパニックです。今振り返ると少しこのころの子どもは「鬱っぽい時期」というか、いわゆる「心が回復していない」時期。
[子どもの心のエネルギーの変化]
社会人、大人が仕事が嫌になるのと同じかもしれませんが・・・不登校スタート時にはよくあることのようです。ここで、怒ったり、否定したり、無理やり学校に行かせたら、後でこじれるかもしれない・・・。
そう思って、子どものありたい状態を優先して、私も試行錯誤!いろんな取り組みをしてみました。
不登校の息子が不良になっちゃった!?
そこから、不登校の息子が不良になっていきました。朝からパジャマのまま漫画、TV、YouTubeざんまい。朝起きたら「母ちゃん、コンビニでアイスと漫画買ってくるから金くれ」みたいなこと、言うんですw ご飯だよ〜と言ってもこない、食べない、ゆうこときかないw
不登校の息子が不良になっちゃった!?
親として最初の大変な期間でした。
こんな風に泣いたり、怒ったり、甘えたり…「感情が噴出する時期」が、誰しも不登校児にはあるそうです。まだ、感情を出せる元気はあるということで、出せない子もきっといるでしょう。
ここで、親としてこの不良息子をどう扱うかが重要だと感じました。不良である状態を、どう親が受け入れるか。グッと目をつぶって耐えました。「こんな僕を世界は受け入れてくれるか」。子どもなりに試しているんでしょうね。親として子供の心に寄り添おう!って思いつつ、家に二人でいたら小言や喧嘩も増えるしw
ストレスMAXでした。
不登校になってすぐやったことリスト!
いや〜〜なかなかこれが難しい!ww
「正しさ」からの脱却
「正しさ」ってなんでしょうか?
親として、子どもが不登校になったら最初にすること。それは学校で習う教科書と正反対でした。
学校に絶対行かないといけない。
人は、逃げちゃいけない。
嫌なことも我慢してやらないといけない。
親が思う世の中の「正しさ」や、長年教え込まれた「正しさ」からの脱却を、何度も何度も体験しては、親子で思い込みを壊して、乗り越えていった時期です。
今は
近所に、いっぱい逃げ場所作ろうぜ!
逃げてOK、失敗してもOKだよ。
学校行けなくてもOK、逃げたければ逃げてもOK。
逃げ場所が最初からあったり、
失敗してもいい社会や仕組みのデザインが大切。
と考えています。
「家で漫画ばっかり読んでないで!」、とか親に注意されたら、すぐに子供は逃げるんです。隣の実家の祖父母の家とか。最初は、おいおいすぐ逃げるなよ〜と最初は思ってましたが、核家族化で子供達って、逃げ場所もないんだなと気づきました。学校にも、家にも、地域にも逃げ場がない子どもたち。逃げ場って実は重要なんじゃないかな?
ある日、近所の子が、お兄ちゃんと喧嘩したとうちに来て、愚痴ってかえって行きました。たくさん、悪口を聞いてやりました。そしたらスッキリしてけろっとして帰って行きました。子供達の逃げ場がたくさんあったら、皆、うまいこと生きていけるんじゃないか。これは、大人にも言えるかも。
今思うのは、嫌なことも逃げないで、ちょっとぐらい我慢してやらないといけないのは、その先に子ども本人が望むキャリアデザインが、たとえぼんやりとでも描けている場合のみだと思います。それ無しに強制をさせることは危険だと考えました。
不登校を理由に実際に自死を選ぶ子もいます。逃げ場所、癒される場所はいっぱい地域に必要だと思いました。それは子供だけでなく、大人や高齢者にも言えること。この時期に、子供に伝えたこと。人は失敗する生き物。出来るだけ失敗しないように計画・設計デザインしておきつつ、失敗しても大丈夫な世界を作っておくことが大切。それでも失敗したら落ち着いて対応したらいいし、きっと誰かが助けてくれてちゃんとなおせる。
自分の常識を積極的に壊すこと、我が子が不登校になって母が新たに得た能力の一つです。
締め切りも時間割もない、子ども時間
締め切りも時間割もない、宿題もない。さあて、今日も一日、何するのかな?そんな日が毎日続きました。
この当時の息子の心を代弁すると、、
「学校にこのまま行くのか、行かないのか、学校への未練、ないこともない。親からも色々言われるし、今は、何も考えたくないな〜〜現実から逃げたくって、まずは漫画読んでSwitchのゲームして・・・・。」
こんな感じかな。
学校や保育施設では自己理解、自己対話をじっくりする前に、「他者を受け入れる」こと、「社会」「集団生活」を教え込まれる。早い子は0歳からそれがスタートする。それが「普通」だと思っていたのだけど、今思えば、自分以外の情報や構成要素がとても多く、複雑。
自分って何?どうしたい?どうありたい?自分の求めるもの、やりたい?やりたくない?興味ある?心動く?動かない?こうありたいという姿にむかっている?今、心地いいのか、よくないのかまで、自己対話を犠牲にしてまで、社会に合わせざるを得ないことも多い・・・。その自己対話の集大成が、人をつくるし、そういう対話を重ねた人同士がようやく、他者と対話ができるのではないかと思います。
女性の社会進出とともに幼い子の保育が外注され、団塊の世代、働く母に育てられ、大人になった昭和後半生まれにもそんな自己対話、他者対話が苦手な人が多いように感じます。いま、自己対話・他者対話が苦手な人が、また子を育てている令和時代です。
穏やかに「引きこもれる」部屋づくり
私は、他者を受け入れる前に、自己対話の時間・空間を大切に。そう思い当時、プチ鬱状態の不登校児の我が子に対してやってみたことは、まさかの「引きこもれる部屋」づくり。
緩やかにリビングとつながっているけれど、カーテンで仕切るなどして少し自分だけの時間が過ごせる居心地の良い「引き篭もれる小部屋」をあえて作りました。こんな時に引きこもり部屋を作るなんて、もっとひきこもちゃったらどうするの!?って祖父母にも言われたのですが、なんとなく、私は、「今は一人で自分の内側とお話しする時間が大切なのじゃないか」と思って。親はそれを暖かく、気長にサポートしてあげるだけでいいんじゃないかなって。
光の入る暗くない部屋で、絵を飾ったり。ゆったりできるような1人がけのミニソファを置いたり。自分の生活のことは自分でできるよう、生活習慣が乱れすぎない工夫も。息子は、よく静かに本を読んだり、何かしていました。まだまだ、小言を言ってましたが、できるだけ必要以上に声かけもしないよう心がけました。
息子にとって、締め切りも時間割もない、親にも誰にも邪魔されない、大切な大切な自己理解、自己対話の時間でした。
親の人生と、子の人生
親子の思う人生デザインは違う
子どもを自由にさせてやりたい気持ちとは裏腹に、連日連日、母子が一緒に家にいたらついつい小言が増えて辛かった時期です。
そこで、知人にアドバイスをもらい、我が子と私、(母)の人生を切り離して考えるということに取り組みました。
「あなたのことを愛しているし、大好き。サポートは全力でする。でも、母ちゃんも母ちゃんの人生を楽しみたい。だから、母の行きたいところに行くし、やりたいことはやる。」
と言って、「母の私がやりたいことをやる」を実行し、母の背中を見せ、いろんなところにしばらく付き合わせました。
たくさんの大人にあわせ、特に息子の今の生き方の選択を「いいね!」と言ってくれる大人にひきあわせました。「学校は別に行かなくてもいい」と、私の周りの大人がたくさん言ってくれて。
失敗してもいいし、自分が心地よくないこと、嫌なことは嫌と言ってもいい。公立学校を離れて見ていろんな考え方の人がいるんだと、息子は学んでいました。
だんだん、「この世と大人は信頼できる、学校行けなくたって世界は捨てたもんじゃない。」と思ったのではないかと思います。安心安全が確保されると、子どもは世界を信用して、だんだん落ち着いて会話できるようになりました。
乗り越えるのはなかなか大変でしたが、振り返れば親子で進化成長し、学びの大きかった宝物のような時間です。
〜進化する子どもの対話力〜
オンライン対話クラスに出会う
不登校になり間もないころ、友人が「いいオンライン対話クラスがあるよ、大人も通いたい!」と、オンラインクラス(https://aristoteles.jp/)を教えてくれました。うちは、それまでやっていた習い事を整理して、そちらをやめて申し込みました。
1時間のオンラインZOOMの授業で、少人数クラスに先生1人。おやつを食べながら、ジュースを飲みながら、パジャマでリラックスして参加してOK。東京や関西や、たまには海外から・・・いろんな場所に住んでいる同年代の子たちと、ゲームやキャラクラー、漫画、趣味、料理など好きなものについて話したり。この世界のハテナについて話したり。
大事だけどいつもはわざわざ話さない話題や、リベラルアーツや今興味がある話題のネタなど。
1時間の授業の中で大きな設問が一つだけ。先生は教えるというより、質問を投げかけて、ひたすらそれについて、子供達でしゃべっている。
先生が子供のどんな意見や、アウトプットも拾って受け取ってくれる。子供達が「自分の意見は、どんなことでも、どんどん言っていいんだ!」とアウトプットに抵抗がなくなっていきます。
入り口は簡単なテーマで、最後はけっこう哲学的な話になったりします。授業中に途中で関係ない話題話してもOK。先生には無駄話ダメとも言われず。誰かが、関係ないこと言ってもクラスメイトも適当に流したり、キャッチしたり、お互い様。
子どもは好き勝手しているようで、最後は真理に近づいてゆき、大事なテーマで対話が盛り上がる。これからの時代、子どもたちが自分の頭で考え、自律して生きていくために必要なことがぎゅっと授業につまっている。
子供達は、どんどん自分の内側にあるものを見せてゆく。子供の内側を育てる、子供の内側の世界が育まれ広がってゆくイメージ。こうやって子供は、自分と他者、世界を理解していくのかな、というプロセスをいつも授業で見せてもらっていて、親も大変勉強になります。
子どもたちは小学校、中学校とこの対話を続けていくと、対立をも乗り越え、想いを人に伝え、共感を呼び、自分の理想に近づくことができるようになる。思いやりや、ファシリテーション力、リーダーシップ力も自然と養われていくのだとか。
学校には行けないけど、ネットで世界中の人と繋がれるし、対話ができる。息子が学校に行けなくても好奇心の火を失わず、大きく自信をなくさずにすんだのは、このオンラインクラスのおかげかもしれません。
全く初めてのオンライン対話クラスを受けて、息子の感想は、
「ギフトのような授業をありがとう」
「これは、僕は一生やると思う」。
そう、8歳は直感で感じたようです。
「人は優しい・・・!」
不登校児、大きな収穫を得る。
自分の好きなことができて、好きな発言もできて、対話もできた。安心、安全も確保されている。
人は優しい。
息子は学校をやめてから、そんな体験をたくさんしました。優しさや、愛をたくさんもらったら、子どもが「自分ももっと優しくなろう」としてくれたんです。ちょっと感動した瞬間でした。「自分も愛を与える人になろう」としてくれた。これって勉強とか学校とか関係なく、理想の子供の姿だな〜と思いました。ここをすっとばっしていたら、いくら勉強ができても幸せにはなれないんじゃないかって。その後、家族への気遣いやお手伝いも増えて。嫌なことをお友達にされても嫌だったな、と一旦受け止めて。冷静に対処できるようになってきた。そんな、がっつり不良期間を経て、息子はすっかり落ち着いて対話ができることが増えましたとさ。不登校のケガの巧妙か!?
まだまだ、毎日、ほぼ予定のない不登校児は、思う存分ぼ〜っとしたり、
たくさん対話をしたり、好きなことをして過ごしました。
自分に合うフリースクールを見つけた!
何箇所か見学に行って、隣町のフリースクールに通うことにしました。そこは、子供達の貧困問題、不登校、キャリア形成、進学など子供達の育ちのサポートを包括的に取り組まれています。
子どものキャリア形成の一つとして、たくさんある未来の選択肢の中で、フリースクールを選べると言う視点があるのが良いと思いました。ゴール設定はあくまでその子自身のキャリア形成が目的であって、不登校児を学校に戻すことが全てではない。小学生や中学生、大学生アルバイト、大人、受験する子も、学校に行かない子も様々なタイプがいるから、「不登校」という切り口だけで考えられていません。先生方は、子どもがやりたいことを飽きるまでやらせてくださいます。(親は意外とそれができないw)
地域の子供達の人生設計をみんなで応援するような場所が、フリースクール、公立学校関係なく、「学びたいことを学べる場所」「自分のやりたいことを実現できる場所」「思ったこと、感じたことを対話できる場所」が地域にたくさんできたらいいなと思いました!
学校以外にも生き方の選択肢はある
紆余曲折を経て、ようやく母である私自身も親として「ゴール設定を公立学校でなくてもいい。子どものキャリアデザインの場は学校以外にもある!」と心底思えたのでした。(公立学校行ってみる?とたまには声かけしたりもしています。)
「あなたには選択肢があるよ」「自由に未来を選んでいいよ」「生きる世界はこんな場所もあるよ」と言われただけで、落ち着いて自分を見つめ、未来を選択して設計できる。子供も大人も他人軸の「あるべき姿」から、それぞれの自分が「ありたい姿」へ。自分軸へ。価値観の基準や、エネルギーのベクトルがちゃんと自分の内側にできて、言葉にできて。対話することでまた、「自分」というものが強いものになるのではと、不登校児の対話に期待しています。
アンサー(答え)は、みんな違うし、それは子どもの中にある。不登校児は、まだまだ本人も整理できないし、言語化できない。それを親が、まわりが慌てず、焦らず、あたたかく、時には厳しく、サポートしてあげれたらいいですね。
不登校児がこの世界と人を信じて「対話」できるようになるまでの道のり。
我が家の体験を綴ってみました。
さて、一旦落ち着いたように見える我が家の不登校日記ですが、まあ不登校は一筋縄ではいきません・・・。ただ、今、フリースクールに通う息子は「明日が楽しみ」と思っているようです。それならオールOKかな!?と思う今日この頃です。
子どものキャリアデザイン、未来の選択肢は無限大!不登校の生き方も千差万別。またいろんな体験談を取材して書きますね。
お楽しみに!