私が私を大切にし、人生を楽しみ生き抜く努力をし、しっかり生きていることこそが、結果周りの人がSOSを出せる環境作りになると思う
いやーーお正月ムードが開けて、すっかり日常が戻ってきてしまいました。(悲報)
私は調子に乗って暴飲暴食を繰り返していたところ、
なんとクリスマスから今日まででリアルに3キロ太りました。
いや、中身は便と水分だしむくんでるだけだから大丈夫・・
とか言ってられないレベルで本当にやばい事が自分でもよく分かります。
良い感じにまた引き続きボディをメイクしていこうと思います。
たまに食べるひどい食事(ひどい食事ってなんだよ)は最高に美味しいが、
普段食べている体を気遣った食事も大好きなので、
そんなにストレスは無く、ああ、祭りが終わってしまったな…という切なさのみ残ります…。
そんな日々の中で、新年早々パートナーがぶっ倒れるという事件が発生しました。
朝の電車の中で気を失って顔面から倒れてしまったとのこと。
たまたま電車の中に医療従事者の方がいて救急車を呼んでくれたり、
その他数人の方がウェットティッシュで血を拭いてくれたり、
朝の通勤電車なんて気を抜いたら殺られるんじゃないか(何線乗ってんだよ)みたいな殺気に満ちているのに、
優しい人がいるもんですね、本当に本当に本当に感謝です。
私も連絡を受けて仕事用のPC2台担いで搬送先の病院に迎えに行きました。
(ものすごいアクセスの悪いところにある病院で死ぬほど汗かきました)
パートナーは目の上を3針縫って点滴を受けていました。
頭を打っちゃったので、数ヶ月経過を見ないとです…。
いやしかしながら線路に落ちるとかじゃなくてまじで良かったぜ!
生きてて良かった。
このような具合で新年早々同じように体調やメンタル面を崩す人って少なくないと思います。
会社のトイレで誰かが泣いてるとか、顔面蒼白で息切らして駅のホームでうずくまってるとか、
コロナ前、まだ私が通勤していた頃は日常茶飯事過ぎて気にも留める余裕が無かったのが今思えば怖いです。
普通にやばいですね笑、私もイカれてる。
今回のことを受けて、改めて思いました。
強くなりてえ、と。
強くなる、とは、今の自分の弱さを否定するとか、
自分の弱さを隠して無理をする、とか誰かを守れるようなマッチョになるとか、そういう意味ではなく、
「自立する」という言葉が一番近いような気がいたします。
とにかく自分の二本足で、ちゃんと立っていようと、心から思わされました。
それを、自分と、好きな人、パートナーのためにそうでありたい、と心から思わされました。
自分でしっかり立って生きることの何が他人のためになんねん、という話ですが、
例えばパートナーが仕事ができなくなった時、
「私が働いてるから大丈夫やーで!」
と言えるとか、
例えばパートナーが病気になってしまった時、
「私が健康でいるから身の回りのことサポーㇳ出来るーで!」
と言えるとか、(関西人の方に殺されそう)
そういうレベルのことです。
私が私を大切にし、人生を楽しみ生き抜く努力をし、しっかり生きていることそのものが、結果パートナーがちゃんとSOSを出せる環境作りになるな、と感じました。
もし私がパートナーに守られる側だったら、多分今日みたいな事態は起きず、後でもっと悲惨なことになっていたんじゃないかと思うのです。
(電車で倒れても心配かけまい、と私を呼んでくれなかったかもしれません)
いやー改めて生きるって、大変ですね…。
(自分も含め大変に感じない努力をしている人のことを激しくリスペクトしながら)
深夜に道端で人が泥酔して倒れていても単なる風景だし、
前述したように会社のトイレで誰かが泣いていようが、「そうだよね、泣きたくなるよね分かります」と思って去るし、
お腹減ってないのに何かを埋めたくてお菓子が止まらないし、もちろん体調は慢性的に悪くなるし、
鬱憤を一時的に晴らすためのお酒は止まらないし、
満身創痍で生きている人が沢山います。
改めて、心からお疲れ様です、とすべての頑張る人に言いたいです。
人生は色々難しいから楽しい、と私もよく思いますが、
思い返してみれば心に余裕の無い時そんなこと微塵も思えないですね。
皆スーパーマンじゃないので、いつも心に余裕が無くたって別に普通。
だけど、根暗だろうがネガティブだろうが別にユーモアが無かろうが、
自分の人生に前向きでいる、という類の努力は、
他でもない自分のために、必要だと勝手に私は思います。
また、自分はある意味他人だと思っているので、(どゆ意味)
自分を特別視するのも大切だけど、
他人様扱いするのも同じように大切だなと思う次第です。
血みどろ男爵と化したパートナーと帰宅したら、ネズミがおててを揃えてすやすや眠っていました。
ネズミの無関心さと癒やし効果すごいです。