今さら自覚する、鬱病pizzaの人間としての欠点
メンタル不調だし背中の痛みもしぶといので、手短な記事が目標。
記事として残しておこうと思った考え。
鬱病になってから私は、
・『困ったときに誰かに助けを求める』という発想が脳みそに搭載されていない
・自分のそのとき感じた正直な反論、怒り、苦しみを言語化してタイムリーに相手に直接伝えられない
・そのために、過去の怒りや悲しみの感情を永遠に持ち続ける
などという、困った自分の特性に気づかされてきた。
もうひとつ、見つけてしまった。
”それが自分にとってストレスになっているよ”
ということに、早めに自分で気づくことができない。
”なんだか、心が重いな、体がおかしいな、どうしてかな?”
と心身がかわりに教えてくれるまで、
”これによって苦しんでいる”ということに気づけない。
今、苦しんでいる、ストレスになっている事柄に関しては、
記事として言語化すると長くなりそうだし、
脳みそがまとまらないので詳細は今は書かないでおく。
Xに書いてしまうと、場合によってはひとの気分を害したり、自分が傷つくことにもなりそうなので、やめておく。
争ったり、”そうじゃないんだよな”というすれ違いに返信したりする力は全くない。ややこしいことには対応できない。
独り言アカウントではあるが、何が誰の目に着くかわからない。
だから、ここにメモ程度に書いておきたい。
なんなら、前回の記事の後編を書きたいところだったが、
とにかくこの気づきを残しておく。
苦しい、んだと思う。
でも、どうしていいのかわからないし、
逃げられない。
背中も痛めているし、
ひとりで外出するには鬱がひどい。
ストレスに気づかないうちに重くなっていた、というのは、
鬱病になる前の自分じゃん。
12年前じゃん。
何も変わってないじゃん。
こんなことに気づいたってことをわざわざ記事にしている私は、
今もう37じゃん。
信じられない。
今まで何やってた?
自分に呆れる。
最近、
子どもも孫もつくれず、
歳ばかりおばあちゃんになっていく未来しか想像できない。
こんな人生、誰が想像した?
、、、、、、って、ことも定期的に書いているので、
もうやめよう。
とにかく、
ひとりの時間は推しのインスタライブをずっと部屋で流していないと、
気持ちが持たない。
推しは尊いし、食欲はあるのに、
鬱病は治らない。
今日、背中回復してきたしそろそろ歩こうと散歩してみたら、
帰ってから背中が、、、、、、
情けない。
おばあちゃんみたい。
歳だけとっていくのが虚しい。
内容は、そのうち書きたくなったら書こうと思う。
とりあえず、KP記事の後編はがんばろう。
書きたいから。
背中とは要相談。
とにかく、情けなくても明日はくるから、とにかく落ち着いて寝て、起きて、朝のパンが食べられますように。