「鬱病に甘えるな」と言われること、それでも寄り添うこと
昨日。
台所にいるときに、母に「持ってきて」と言われたお皿の種類の指示が、理解できなかった。
いつもと配置も、何も変わっていないのに、どのお皿のことを言っているのか、理解できなくなった。
鬱増し状態で判断能力が低下している、という以外に、理由は見当たらないのだが、自分でも、
”どうして突然わからなくなったんだ”、”どうしよう”、”母が待っている”、
と思ったら、パニックで呼吸が早くなった。
すると、
「甘えてるんじゃない?」
「鬱病に、家族に、甘えすぎなんじゃない?」
、、、、、、と、言われた。
、、、、、、、、、、どうしてだろう?
過呼吸になりかけることは、甘えているということ?
ひとによっては、そう思うひともいるのかな、、、、、、
ただ、わざと、お皿がわからないふりをいるわけではない。そんなことしたって別に何の利益もない。
何が、どう甘え?
母が、極限状態で家事とか、家のこれからの経済状況のことを考えたりしていること、睡眠にも影響していることは、知っている。
母のそういう心に寄り添って、期待に応えて動けないことは、本当に申し訳なく思っている。
母からしたら、自分だって具合悪いのに、娘だけがいつまでもこうして具合悪いといって家に居座って世話されているのは、嫌だろう。
ただ、判断できないのは、甘えとかじゃ、ないのよ、、、、、、
本当なのよ、、、、、、
直接、母に言うことができないから、ここで吐き出させてもらう。
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母には、これまで度々言われてきた。
私が、
「鬱病に甘えすぎだ」
と。
私は、”なにくそ”と思ってがんばりたいタイプだ。もともと。
ただ、そうやってがんばりすぎた結果、鬱病になってしまい、もう10年生になるところだ。
、、、、、、し、がんばっても無理そうなことは、体が動かなくなるとか、どこか具合が悪くなることで、体が私に教えてくれるようになった。
何が”甘え”で、何が”自分を大切にする”ということか、いまだにわからない。
「鬱病は甘えだ」、なんて、鬱病経験のないひとが言うぶんにはもう笑っちゃうレベルだし、SNSになんてそんな言葉があふれてる。
ただ。
母は、私より先に、もう精神科に通っているひとだ。
自分の経験をもとに、「私はこうやってきた」という話を私に伝えてくる。
もちろん、それで助かることもある。
でも、
私は、母じゃない。
鬱病の発症した背景、きっかけ、環境、症状、治療の仕方、経過や治療期間、、、、、、そのすべてが、ひとくちに”鬱病”といっても、全員違う。
何か、根拠があって甘えていると言っているのだろうけれど、私は、本当に今、判断力が低下している。
でも、わかってもらおうとするために、説明なんてするパワーは、ない。
疲れた。
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しかし、母はもっと疲れていて。
先日。
母はメンタルクリニックの通院から帰ってきて、
「外食しよう」というので、ついていった。
私はただ、お金も出せず、鶏白湯のラーメンを食べるだけ。
母は、もう、疲れ果てている。
母は、父のことや、家族のこれからのこと(経済的なことなど)でもう本当に苦しんでいて。
”診察時にそれを話してもなぁ、解決できる話じゃないし、、、”と、手短に診察を受けるつもりで出かけたようだったが、先生に、
「話してください」
と、言われたそうだ。
母は、10年以上かけてようやく、主治医の先生と信頼関係を築いてきて、少し胸の内を話せすようになってきたタイプ。どうしても、というときは真剣に相談するが、それ以外のときは、どうやら深いことを話さないらしい。診察後に自分が凹みたくないから。
それで先生も、母のそういうところをわかってか、その日、目に余るほど具合が悪そうだったのか、しびれを切らして聞いたのかもしれない。
母は、話したくなかったが、大号泣しながら先生に状況を打ち明けたみたいだ。
「今の状況だと、(母)さんが元気でいないと家族が回らない。いつでも予約を入れていいので、相談しにきてください」
と、言われたそうだ。
「私がいないと回らないんだって、、、、、、」
と、ラーメンを食べつつ突然涙ぐんだり、
「私が元気でいないといけないんだって。がんばる」
と、自分に言い聞かせたり。
、、、、、、もう、みるに堪えない。
どうして、母は元気でいないといけない?
母だけが、がんばらないといけないの?
私は?
、、、、、、無理か、、、、、、、、、、、
情けなくて、たまらない。
父。
説明できない感じの、我が家の父のポジション。
頼れない。
働いて、お金を稼いで帰ってくることはできる。
十分すごいのだが、それ以外のことが、何もできないのだ。
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そんな状況の中。
一時期、父に対して怒号を浴びせる力も失っていた母だが、最近は怒れる程度にはなってきている。
ただ、やっぱり、怒鳴り声は、聞いていて気持ちのいいものではないし、私は特に怒鳴り声が苦手で、スルーできない。どうしても、ストレートに心にきてしまうのだ。
そして、私のする行動も気になり始めてきたようで。
私が今までしていた、朝の洗濯干しの仕事を、母の思い通りの干し方でないというお咎めが入り、
ほぼ、クビを宣言された。
ああーあ。
母の言うことだし仕方がない、と諦めたらいいのか。
どこまで、今の母のメンタルに寄り添ったらいいのか。
、、、、、、こうして今書いているけれど、また、明日起きてみたら、母の掟は変わっている。こんなことしょっちゅうだ。
ころころ指示が変わるとパニックになりやすいので困るが、パニックになっていたらまた怒られる。
”臨機応変”が、いちばん苦手なんだ。今。
でも、母も母でパニックなのは、見ていて十分わかる。
、、、、、、だから、何も言えない。
不安定な私が、不安定な母の心に寄り添うことは、困難だ。でも、どんなにポンコツで役立たずな私でも、こんなに苦しむ母のことを、守りたいと思う。
きっと、不安定な母も、不安定な娘に寄り添うのは、さぞかし大変だろう。
ものすごく、生きづらい。
でも、なんとか、明日も。
こんなところに私がいるからいけない、と、何度家を出ようと思っただろう。
でも、障害年金の申請のこととかを通して、結局、今の私がひとりで生きていけるわけないと、痛感してしまった。
出て行けって、言われない限り、なんとか、この家で、少しでも、何か、できることを、できるように、、、、、、
もう、わからないけれど、もう少しがんばってみる。
明日がいい日になりますように。