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読書 | 悪文の構造


 千早耿一郎(ちはや・こういちろう)(著)「悪文の構造」(ちくま学芸文庫)を読みました。
 この本では、さまざまな「悪文」の用例を挙げて、著者の具体的な改善案が示されています。
 著者の千早さんは、機能的な文章を書くことを提唱しています。
 この記事では、著者の考え方を要約したあとに、具体的な例を検討してみます。




(1) 文章のもつ2つの働き


 文章には大別すると、2つの働きがあります。
 1つ目の役割は、事実や意思を伝達する働き。たとえば「二点間の最短距離は二点を結ぶ直線の長さである」「来週の水曜日にあなたのもとを訪れます」など、相手に内容を伝えるような働きのことです。

 2つ目の役割は、感情を表す働き。たとえば「あいつはバカだ」「君は希望の光だ」など、事実の内容というよりも、相手の気持ちに訴えるような働きのことです。著者は「感化の働き」とも言っています。

 言葉のもつ「伝達の働き」と「考えるの働き」を基本として、著者は、文章を読んで「分かる」とはどういうことかなのかを考察しています。


(2) 「分かる」の3段階


 第1段階は、書かれている事実が「分かる」という段階。ここでは、言葉のもつ「伝達の働き」が機能します。

 第2段階は、筆者の意図したことが「分かる」という段階。著者がどのような気持ちをこめたのかを理解する段階で、ここでは、言葉のもつ「感化の働き」が機能します。

 第3段階は、著者が意図しなかったこた(潜在的には意図していたこと)が「分かる」という段階。
 この段階では「伝達の働き」と「感化の働き」の両方が機能しています。

 小説やエッセイ、詩などの文学作品においては、第3の段階まで到達しなければ、「理解できた」とは言えませんね。


(3) 機能的な文章とは?


 文学作品の読者は、(2)で書いた「第3段階の理解」まで到達しなければ、「作品を理解できた」とは言えません。
 しかし、読者が第3段階の理解まで到達できるように作者が努力して書いているのか?、という問題があります。

 読者が第3段階の理解まで到ることができるようにするためには、作者はまず、自分が書いた事実が読者に伝わるように書かなければなりません。第1段階を飛ばしておきながら、読者が第3段階まで分かることを期待することはできません。
 
 著者の千早さんは、機能的な文章が望ましいと考えています。機能的な文章とは、具体的には次の5つの条件を満たした文章のことです。

①意味が分かること。
②曖昧でないこと。
③誤解されないこと。
④読者に負担をかけないこと。
⑤読者に対する親切心に基づくこと。


 千早さんは、工学的な文章が良いと考えています。
 どんな人が読んでも、書いてあることに従えば組み立てられる工業製品の取扱い説明書のような文章が理想です。

 もっと具体的には、基本的には主語と述語がハッキリしている短い文章が良いということです。


(4) 具体例を少し。。。


 この本では、文豪の書いたいわゆる名文と呼ばれる作品もたくさん取り上げられていますが、この記事では、比較的理解しやすい例を引用してみます。


例10

大雪の中で出産して守口の里へ伝介がお国を担ぎこんだのは、今から十四年も昔のことだった。
(有吉佐和子『出雲の阿国』)


 意味は分かるのですが、一読したとき、この書き方だと、大雪の中で出産したのが伝介であるかのように読めてしまいます。
 男である伝介が出産するはずがないので、一応理解はできますが、次のように書き換えたほうが読者に親切でしょうね。

大雪の中で出産したお国を、伝介が守口の里へ担ぎこんだのは、今から十四年も昔のことだった


例82

彼女は私のように昆虫が好きではない。
(石井象二郎『昆虫学への招待』)


 この文章を前後の文脈なしに読むと、「彼女も私も二人とも、昆虫が好きではない」と解釈する人が多いのではないでしょうか?
 この文章は、昆虫が好きな昆虫学者が書いた文章だから、「私」は昆虫が好きなのです。

 どうして誤解されるのかと言えば、「私のように」という言葉が「好き」にかかっているのか、それとも「ない」にかかっているのか曖昧だからです。

 千早さんは、次のような文章に改めたほうが良いと提案しています。

彼女は、私とちがい昆虫が好きではない。
あるいは、
「私のように」のあとに「は」を加えて、
彼女は、私のようには昆虫が好きではない。

 2つ提案していますが、前者のほうがよいとしています。

 ちなみに私(山根)だったら、鉤括弧『』を使って、

彼女は、私のように『昆虫が好き』ではない。」と書くかもしれません。


例96

窯場は、静山の住居から、徒歩でわずか、十四、五メートルの所にあった。

(邦光史郎『炎の旅路』)


 徒歩で行こうが、駆け足で行こうが、自転車で行こうが、十四、五メートルは十四、五メートルだ。「徒歩で」は要らない表現だ。
 おそらく、「徒歩で◯分」という表現と混同したと思われる。不必要な言葉は要らない。

 「馬から落ちて落馬して」「電車に乗車して」はおかしいだろう。
 それぞれ、「落馬して」(あるいは「馬から落ちて」)、「電車に乗って」でよい。


むすび


 「悪文の構造」には、具体的な「悪文」と、その書き換えの例が全部で117個書かれています。
 
 誰もが知る有名な文豪の文章も俎上に載せられています。なかには名文の誉れが高い作品も含まれています。

 文学的な効果を狙った文章もあるかもしれませんが、千早さんの添削した文章のほうが、私にはわかりやすかったですし、添削によって文学的価値が損なわれたと思った箇所はありませんでした。
 この本は、「読む」というより「考えながら読む」と、よい文章トレーニングになるのではないかと思います。

 この本を考えながら読んで、「名文を書こう!」ではなく、「悪文を書かないようにしよう!」と思いました。
 おそらくですが、多くの文豪といえども、名文を書こうとして書いているわけではなく、読者に思いを届けることができる文章を綴った結果として名文になったのでしょう。

 伝達がいちばん先にあり、その上に感情を書き込む。そしてそこに言外の意味が生まれる。文学の名文とは、「機能美の光る文体」なのでしょうね。
 小説を書く人だけでなく、エッセイや詩を書く人にも読んでいただきたい一冊です。


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