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【勉学に遅いはない】呉の呂蒙から学ぶ読書の大切さ


ツイッターなどのSNSを見ていると、若い世代がノビノビしていて押されている感がありますよね。


わたしなんかが発言しても この人たちに比べれば発言してもなぁ


と思いがちな人へ今回は、「本を読むことで人生が変わった」武将である『呂蒙』のエピソードを紹介していきます。


呂蒙とは

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※コーエーより引用「呂蒙」


三国志に登場する呉の国の武将です。


若いころは猪武者でしたが、あるとき呉の国主(孫権)に本を読んで視野を広くしないさいと勧められます。


呂蒙は、「いそがしいからなぁ」とやんわり答えると

孫権から「主君である私でも忙しい中勉強できたのだ。絶対に出来る。」


と勧められ勉強をし始めました。


こうして呂蒙は、国を背負うことのできる文武両道の将軍へ成長し、三国志の超名将である関羽を破ることができたのです。

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※コーエーより引用「関羽」


この呂蒙の成長に関するエピソードが2点ありますので合わせて紹介していきます。


呉下の阿蒙に非ず

あるとき呉の総帥である魯粛が、呂蒙の軍営の前を通りました。


呂蒙に対し、魯粛があれこれ質問してみると、勉学に励んでいた呂蒙は何でもすらすらと答えてしまったのです。


魯粛は敵である関羽対策について、逆に呂蒙から5つの策略を与えられる事になりました。



魯粛は感心し、呂蒙を「呉下の阿蒙に非ず」と評したのでした。



「阿」は日本語で言えば子供に呼びかける時の“〜ちゃん”といったニュアンスで、「呉にいた頃の蒙ちゃんではない」の意となります。


士別れて三日すれば、即ち更に刮目して相待すべし


魯粛に対して呂蒙は「士別れて三日すれば、即ち更に刮目して相待すべし」と答えました。


意味:日々鍛錬している者は三日も会わなければ見違えるほど変わっているという事。


いつまでも同じ先入観で物事を見ずに常に新しいものとして見よという意味で答えたのです。


このエピソードで分かるように信頼を獲得した呂蒙は、魯粛の死後に総帥となります。


中華人民共和国を建国した毛沢東が心酔する人物


呂蒙は、中華人民共和国を建国した毛沢東からも尊敬された人物でもあります。


毛沢東は、大の読書好きで邸宅には約70万冊の本が収集されておりました。


毛沢東は、部屋中に『呂蒙勇而有謀』と書きまくるくらい夢中で、部下にも呂蒙の話をよくしていました。


なんだか中学生がアイドルのポスターを貼っているみたいですよね。


毛沢東が成功したのは、読書によって呂蒙の勉学に対する姿勢を学んだからでしょう。


最後に


今回は、「本を読むことで人生が変わった」武将である『呂蒙』のエピソードを紹介しました。


若いころはただの猪武者であった呂蒙ですが、主君の勧めで読書を始め、呉の総帥になり超名将である関羽を倒すほど成長しました。


呂蒙が成功した理由は、受け入れる素直さ勉学を継続できたところだと思います。


わたしたちも、日々鍛錬している者は三日も会わなければ見違えるほど変わっているという呂蒙の言葉を抱きしめて、若い世代の台頭にビクビクするのではなく、学びを始めて続けてみましょう♪

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沼ペンギン
80歳まで生きるとすると、人生の残り日数は3万日です。 40歳だと1万5千日、仕事・睡眠・プライベートの3つで分けると5,000日 プライベートタイムを家事・風呂食事・趣味の3つで分けると1,666日しかありません。 そんな貴重な時間を使って読んで頂き嬉しいです!

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