セルフ冤罪が自己肯定感を殺していることに気付いた‼️😡
ごきげんよう、シマトです。
先日衝動的にこの記事↑を書ききって、それはそれは爽快な気分だったんです。フルマラソン完走直後のような晴れ晴れとした気持ちで、イマジナリーハァハァしてた時……、
ふと、浮かんできてしまった疑問。
…これ、私が悪かったんか?
新登場の「内なる自分」、自分を許す。
???「私側の反省点としては、確かに男性への接し方には問題があったと思う。男性のことを、1人の人間ではなく“男=性の対象”としてしか捉えられない認知の歪みがあった。てか、今もそれは抜けきってないと思う。。この歪みは改善していきたいから、次回カウンセリングで議題にあげようと思ってます。
でもさ?
それを差し引いてもさ?」
私「…」
???「私と付き合いたかったんなら、さっさと自分の方から決定打打てば良かったやん?私の気のある素振りがキモチヨカッタだけで、別に積極的に好きでもなんでもなかったんでしょ?」
???「大して好きでもなかったくせに、いざ他人に掠め取られたら掌返しで逆恨み??」
???「挙句の果て、それらの不平不満を私に直談判する勇気もなく、傷舐め合えるホモソの中でコソコソ悪口???」
???「そしてホモソの取り巻き連中もよぉ、二股かけたわけでもないのにビッチ呼ばわりって何?」
???「んでもって、お前らも直接言って来んのんかい!!!」
私「……」
???「総じてダッッッセーーーーーー!!!そんなダセェ男、こっちから願い下げだわーーーーー
シマト、お前も負けるな!!悪いと思ってないのに罪を背負うな!!!もっと怒りを放出しろーーーーーーーー!!!!!!」
溢れて止まない罵詈雑言に戸惑った。
私「わーーー💦誰だこれ、なんだこれ……」
↑「誰だこれ」ってアータ、紛れもなく私の心の声なんですよ。
「誰だこれ」=自分の発言だと認めたくないのは、自分で自分を擁護することに対する、強い抵抗感のせいだな、と。この抵抗感も、認知したのは今回が生まれて初めて。すごく戸惑いました。
でも、冷静に考えても…
と、思えた…のです。(ごめんなさい、客観的に見たら、100%お前が悪いやろ‼️😂と仰る方もいるかもしれません🙇♀️)(←このカッコ書きを書かずにはいられないくらい、内心は「私は悪くない」と意志表明することにとても怯えています…)
その冤罪の中身は
てな感じで、負のスパイラルに陥ってたのではら…?!と……
「自分自身の味方になる」ってこういうことか。
正当性の如何はさておき、今回の内なる声はとんでもない福音ですよ。「自分の正当性を堂々と主張する私」が、まだ死んでなかったってことだもん。君がいないと、自分で自分の味方をするって、なかなか難しかったんだよ……!😭
すぐに全快とはいかないだろうけど、せっかく目覚めた「私」、大切に育みたいと思います🤱🏻まだこんな力が眠ってたなんて。本当に私はラッキーガールだね…✌️🌟
***
しかし、この自らの正当性を主張することに対する抵抗感。なんなんだろう🤔これまで本当に無自覚・無意識にそうしてた。争うこともなく全面降伏してた。そうするのが、いちいち反論するより気持ちが楽だった……
楽というか、そうせざるを得なかった…?
“全部”私が悪いことにした、生きるために。
…あーーーー。
また子供時代に行き着くなー、この話も😂
最近は感傷に浸る必要がなくなりつつある(←これもよく考えたらすごい成長!👏)ので詳細は掘り下げないけど、私が黙って全ての罪を背負うことが、場を納める1番の最適解だった時代が、長らくあるんですよね。その時の習慣が残ってて、何事においても脊髄反射で「全部自分が悪い」ってことにしてたんだと思う。
あれもこれも全部の罪を背負うんだもん。そんな極悪人として、自分を責め続けて生きていかないといけないの、そりゃしんどいよ…………。あたしぃ〜よく耐えたねぇぇ〜〜シクシク😭ギュッ
冤罪は、ヤバい怨嗟を生む🧟
…しかし怖いのは、自分がしんどいだけじゃないところなんですよ…。冒頭の内なる自分の声から分かるように、心の底で相手のことをずーっと恨み続けてるんですよね、自ら濡れ衣を重ね着したくせに…🥶😰🫣
人を恨まない=悪人にしないためには、自分に濡れ衣着せちゃいけない。強く心に刻んで生きたいと思います…✍🏻
でも、私に限らず、「自分は悪くない!!!」って堂々と主張できる人って、特に日本ではそんなに多くない気がする…💦自分の正当性を主張する事は卑しいことでも悪いことでもない、気持ちよく生きていくために必須のことだよ……!!!😭ここまでお読みくださった優しいあなたが、不必要な罪まで背負って生き苦しくなってませんように😖🙏🏻そして、取り急ぎこの週末に、沢山いいことが起こりますようにっ🪄💖💖(笑)
ではまた!
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