ナチュラルこそ、いちばん難しいのだ
ごきげんよ〜シマト ネリコです🦭
下書きはすごい溜まってるんだけど、なんか文章も思考も散らかってて、投稿するほどのレベルにまとめられないこんにち。(じゃあいつもの投稿はご立派にまとまってるって言うのかよ!?なんて、言・わ・な・い・で😉🌟)
というわけで(?)今日もとりとめのない独り言のような文章ですが、読んでいただけたら嬉しいです☺️🧁
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先日、急遽コンセプトを練り直したんですけど。
実際やってみて分かったのですが、私ねぇ、ほどほど・そこそこ・曖昧グレーが、もんのすんごーーく、苦手…。
仕事もおしゃれも❣️
全力キラキラ頑張るっ😤✨
か、
仕事ダリー手抜きーサボりー
服テキトー楽チンさ優先、
というかもう隠居したい…
のどっちかに、意識や言動がぐわんっぐわん揺れる。まるでメトロノームの針のように……。
中庸を意識してなお、こんなに揺れてるんだもん。。以前の私がどれだけ双極的だったか、想像に難くない。
これね最近読んでる「パーソナリティ障害が分かる本ー「障害」を「個性」に変えるためにー」という本からの引用なんだけどさ〜〜、も〜〜〜とっても耳が痛いyo〜〜〜〜🙉ページの8割、心当たりがありすぎて、読んでて耳もげそう。今年イチかもしれない、とってもおすすめの本です(とんだドM)。
話が逸れた。
つまりね、頑張って出力50%を保とうと思っても、肝心の出力50%のグレーな私というものが、一体どんな姿形をしているのか全く分からないわけよ。
他人に合わせすぎて自我がない
↓
ありのままの自分が分からない
ってとこからいくと、このグレーな私こそ、ありのままの私に近付く超有力な一歩だと思うんだよね。何としても掴みたい✊グレーな自分。
もう、これね!図星すぎで苦しい!!
しかしここで、我々がなぜ自ら型にハマろうとするのか?を解説させてほしい!
まず、正解(=ありのままの自分)が分からない、っていうのが一番にある。で、「いやいや、ありのままってのはね、なーんも考えてない自然体のことだよ」と言われましてもね。自然体の状態のことを、頑張ってない・サボってる状態だと思ってる節があるのね。だから、既存の型にハマる。良い娘、良い生徒、良い友人、良い恋人…。もうこのnoteでは何の隠し事もないのでぶっちゃけますが、私の場合は、
娘、生徒役の時は芦田愛菜さんや鈴木光さん、
女友達役の時はゆりやんレトリバァさん、
恋人役の時は西野七瀬さんや唐田えりかさん
を目指してキャラ作りしてました(爆)(吐血)
でもね、それもよーし演じるぞー!!と思ってるわけじゃないのよ。キャラ作りがデフォルト設定、オートメーションなの。逆に、発言や振る舞いを何のフィルターも通さずにアウトプットする方が、意識して手動切替しないとできないの。だから、ありのままっていうのは、私にとってすごーーくソワソワするのです。。毎日きちんとメイクが習慣化している人は、すっぴんで外出するのに強い抵抗があると聞くけど、それと似た感覚だと思う。
というか、「なーんも考えなくて良いんだよ〜」が正解だとも思えなくて。
自然体=頑張らなくて良い
…ではないよね?頑張る方向性の問題なのか??🤔
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まだ答えは出ないけど、これからもゆるゆる考えていきます🚶
とりあえず最近じわじわと、自分が美人ではないことを、ポジティブに受け入れつつある感覚があって、それは良い傾向だなぁって思ってる。
…美人ではないこと、
これまで受け入れてなかったんかい!(笑)
って感じよね🤣🤣🤣例えば集合写真を撮った時に、この中で私は何番目だろう?二番か、せめて三番だろうか……って無意識に考えちゃってたの。私の中のルッキズム、ほんとすごいのよ…😵💫💦
今もそれが完全になくなったわけじゃないけど、順位じゃなくて、それぞれの個を捉えられてる感じがある。Aさん、Bさん、私、Cさん……ってな感じで「人は人、私は私」っていう感覚が芽生え始めてる感じ🌱
さてさて、今日もここまでお読みいただきありがとうございました☕️やっと金曜日だね!もうひと踏ん張り、のんべんだらりと頑張りましょうね🌞🌷