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言霊よもやま話 Vol.14 〈百味の飲食(おんじき)〉其の三

原典:『世界維新への進発』(小笠原孝次 著)
編集:新谷 喜輪子 / 監修:杉山 彰

神道布斗麻邇は、個人の生命と社会の調和と
平和を楽しむための永劫不変の全人類の種智である

圭(あらたま)(荒玉)を卜(うら)なうと書く「卦」、すなわち万物の相の八変化を西洋哲学式な単純な陰陽の弁証法をもって律しようとすることは無理である。四母音八父韻の交流産霊が生み出す三十二子音は、哲学的には実相の単元、実在の中核質点であって、これ以下に要約するとき、抽象的概念としてだけ存在するものとなって現象事実ではなくなる。

三十二子音は更にわかれて六十四卦、八十音、九十六音となる。実相である子音を食物として見るとき、すなわちこれが大根、胡羅(こら)(にんじん)、葱、芋、密柑、林檎、鯛、鰮(いわし)などの個々の具体的な食物である。父母子音の総合的な全体数は五十の二倍の百数となる。この百数を食物と考えるとき、古くから「百味の飲食(おんじき)」という言葉がある。言霊は耳がすなわち心が聞し召し、食物は口すなわち肉体が聞し召す。百味の飲食として個々の代表的、典型的、標準的な食物を配列して表にしたならばいかようなるか、この完成された表が食養法の原典をなすものでなければならない。

漢法医の薬局の薬戸棚の引き出しの数は丁度百個ある。これに百種類の薬石が納められてあって、その百種の組み合わせによってあらゆる病気に対する処法が得られる。百種類の薬石は神代の布斗麻邇に則った少名彦神の医法の原理の片鱗を今に伝えているものと考えてよかろう。人間の食物もこの薬餌の法と同じく、父母子音の原則に則って、その上さらに科学的に整理して、その百種類の食物を気候、風土、性別、年齢、体質、職業などに応じて適宜に塩梅して食膳に供することが、来るべき新しい時代の食養法の原理でなければならない。百種の薬は病を得たときの非常手段であって、百味の飲食はいわゆる日常の茶飯事であるわけだが、実はこれこそが薬餌より以上に生命に密接なものである。

布斗麻邇言霊学はこれを基礎として、その上に人類の文明のすべてが正しく整理される基盤であって、人間の食物を粗雑な陰陽の法のみをもって処理しようとすると、研究者の経験主観に従って陽に傾き、陰に流れ、母である穀物のみに拘泥したり、父である副食に溺れたり、あるいは研究者の間の意見が対立矛盾する。これをただ学説として楽しんでいる間は害がないが、実際の食膳に用いるとき、気の毒な犠牲者が出ないことを保証し得ない。過去三千年間の隠没時代から封印を開いて新たに世界に現出した神道布斗麻邇はこの布斗麻邇という根底(下津磐根)から湧き上がって、世界のあらゆる未完成な文明を迎えに出て、ともにその根底へ連れ帰って、個人の生命と社会の調和と平和を楽しむための永劫不変の全人類の種智である。

以上、少名彦神の医術、言霊百神、百味の飲食と並べて説いてきた基本の原理をいかに実際の薬餌食餌の上に具現するか、これこそが今後の医家ならびに食養法研究家にとって来るべき輝かしい生命の時代を迎えるための出発点でなければならない。

この課題を広く世界に提出するために、今は未だほんのサジェスチョン程度に過ぎない紹介ではあるが、あえて本編の筆を執った。布斗麻邇が世界に顕現して来た以上は、従来の食養研究家たちが自家の信念信仰主張に対する執着から脱却して、そうした形而下の事とは全く無関係のごとくに従来思われていた古代の精神文明の原理が、実は食物の塩梅(あんばい)配置の上にも基礎となる原理であることに眼醒めていただきたい。

(つづく)

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【小笠原孝次(おがさわらこうじ)略歴】
1903年 東京都にて生誕。
1922年 東京商科大学(現在の一橋大学)にて、
吹田順助氏よりドイツ文学、ドイツ哲学を学ぶ。
1924年 一灯園の西田天香氏に師事し托鉢奉仕を学ぶ。
1932年 元海軍大佐、矢野祐太郎氏および矢野シン氏と共に
『神霊密書』(神霊正典)を編纂。
1933年 大本教の行者、西原敬昌氏の下、テレパシー、鎮魂の修業を行う。
1936年 陸軍少佐、山越明將氏が主催する秘密結社「明生会」の門下生となる。明治天皇、昭憲皇太后が宮中で研究していた「言霊学」について学ぶ。
1954年 「皇学研究所」を設立。
1961年 「日本開顕同盟」(発起人:葦津珍彦氏、岡本天明氏ほか)のメンバーとして活動。
1963年 「ヘブライ研究会」を設立。
1965年 「ヘブライ研究会」を「第三文明会」に発展。
1975年 「言霊学」の継承者となる七沢賢治(当時、大学院生)と出会う。
1981年 「布斗麻邇の法」を封印するため七沢賢治に「言霊神社」創設を命ずる。
七沢賢治との連盟で山梨県甲府市に「言霊神社」創設する。
1982年 79歳にて他界。

【著書】
『第三文明への通路』(第三文明会 1964年)
『無門関解義』(第三文明会 1967年)
『歎異抄講義』(第三文明会 1968年)
『言霊百神』(東洋館出版社 1969年)
『大祓祝詞講義』(第三文明会 1970年)
『世界維新への進発』(第三文明会 1975年)
『言霊精義』(第三文明会 1977年)
『言霊開眼』(第三文明会 1980年)


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