まげぱんだ(朱花)
マガジンの卵たち。更新は不定期。
能登半島地震が起きてからの、ふるさとのこと、身の回りの出来事など綴りました。
要介護4(→5)の義母(90代)が特養からまさかのリターン。同居の義父(90代)はアルツハイマー型認知症が進行中。再びの在宅介護は夫(60代)が中心。老後ノープランの義父母を、引いた嫁目線で観察中。
はじめまして。まげぱんだ(朱花)と申します。 昨年(2022年)、還暦を迎えました。 今も非正規でフルタイムの仕事をしています。 還暦を迎えて、つくづくと感じたことは、人生はむしろ、ここからが大変なのだということ。 どのくらい大変かというと、今ある装備で、エベレストに登る感じ? となると、このままでは遭難必須。 なぜなら、わが家は問題山積だからです。 それでも知恵をしぼり、困難な日々を乗り越えていかなくてはなりません。 2023年1月から、今日一日を乗り切るために、「まげ
一度だけ競輪場に行ったことがある。 昭和40年代の中ごろ、わたしは小学校2年生、父と母は30代半ば。 若葉が輝く、五月の日曜日のことだった。 朝起きると、父が動物園に連れて行ってくれるという。 いったい、どういう風の吹き回しか。母は弟と留守番をすると言い、弟も「僕も行く!」とは言わなかった。 なぜ、動物園なのだろう? その動物園は、どんなにゆっくり回っても一時間もかからない、入場料もとらない、散歩のついでに立ち寄るのがちょうど良いくらいの小さな動物園なのだ。 だから、行く
9月のある日曜日のこと。 朝6時半、目覚めてスマホを見ると、30分前に弟から着信。 LINEにも未読メッセージが1件。 おそるおそるLINEを開くと、 「Hさん(=父)、自力で起き上がれず、現在、座敷で横になっている状態です。意識はあり、会話もできます。一度電話もらえますか?」 「!」 っていうか、すぐに救急車呼んでくれぇぇぇ!と叫んで(心の中で)、跳ね起きる。 弟に電話をかけて様子を聞く。 おそらく、父の持病である脊椎小脳変性症が進行して、それで動けなくなったのだろう。最
能登の豪雨災害からひと月が過ぎました。特に被害を受けたわけではないのですが、共感疲労していたのでしょうか。しばらくnoteから離れて、投稿も休んでいました。 11月から、ぼちばちと投稿できたらいいなと思っています🍎
元日の地震で大きな被害の出た輪島市、珠洲市、能登町が今度は大水害に見舞われました。復興へ歩みを進み始めたところだったのに。本当に辛い。負けないでいてほしい。最近、少し安心していた私。思いを新たに、心を寄せていこうと思う。
職場近くのショッピングセンターが、老朽化のため建替えることになり、先月末に閉店した。リニューアルオープンは1年3ヶ月後とのこと。 仕事の帰りに時々立ち寄るくらいだったけれど、婦人服の店Sが店じまいになり、しかも、リニューアルオープンのテナントに入らないと聞いたときは、とても残念な気持ちになった。 私が欲しい服は、洗練されすぎてなくて、かと言って、おばちゃん臭くないもの。着心地のよい、安心感のあるもの、ユニクロを補完するもの。 だから、それら全てを満たすSは貴重なお店なのだ
コロナ発症から2週間。まだ鼻がぐしゅぐしゅで、時折り、咳き込んだりしますが、仕事に復帰しております。幸い、熱もさほど上がらず、喉の痛みや頭痛も風邪程度。ただ、腹筋が6つに割れるかと思うほどの咳が2日間続きました。いやはや。鼻詰まりのせいで、コーヒーが不味い🤧皆様もお気をつけて。
義父がコロナ発症(我が家の第1号)。デイサービスで感染した模様。義父は快方に向かっていますが、今日になって、今度は私が発熱(おそらく第2号)。のどと頭が少し痛くて、鼻水とくしゃみが出る〜🤧確認したら、ワクチン4回目接種から2年近くも経過してました。皆さまもどうぞお気をつけて😷
皆さま、お変わりなくお過ごしでしょうか? 私はというと、心身の不調に見舞われ、このところ「読み専」になっています。まったく、どうなってしまったのでしょう。 * * * * これまで大病をすることもなく、更年期の不調とも無縁だった私。 ところが、62歳を境に何やら調子が上がらない。 たった一つ、年を重ねただけなのに!である。 まず、眠りが浅くなった。 体力も落ちたと思う。それだから、とても疲れやすい。 眠りが浅いから、疲れが解消できない。そのまま、じわじわ蓄積し
出禁の娘というのは、私のことである。 その娘(=私)がアルツハイマー型認知症で要介護1の実母(以下、母)の機嫌を損ね、母から実家への出入り禁止を申し渡されてしまった。 母は86歳。同い年の夫(以下、父)と、弟夫婦との四人暮らし。 弟夫婦は共働きで、日中は老夫婦だけで過ごしている。ちなみに嫁姑の中はこの上(下?)なく悪いw。 母に認知症の症状が見られるようになったのは、2018年のこと。 弟から「母さんの様子がおかしい」と連絡があった。母の知り合いから「お母さん、ひょっとし
能登半島地震から4か月。 桜の季節も過ぎ、風薫る五月である。 私の周辺では、まだ少し地震の痕跡が残っているけれど、それを含めての新たな日常が始まっている。 例えば、気になっていたアスファルトのひび割れは、 補修を待つ間に、草が生えて、緑のラインになっていたり、 補修をして、パッチワークようになっていたり。 ゆっくりとした歩みだけど、少しずつ前へと進んでいる。 軒を連ねた家が地盤沈下をした場所。ここはあまり変わりがない、改修はこれからという。 その中に、玄関の戸がガ
がんばろう北陸[番外編] TOMORROW 2 地盤沈下の町の片隅で見つけました 🌱
元日の地震から3か月。 今、私が住んでいる町はどうなっているか?というと、 どうにかできるところは、どうにかしてあり、どうにもならないところは、最低限の手当てだけしてある…といった状況。 最近気になっているのが、アスファルトのひび割れ。 地殻変動がここにも及んでいるのかな。 例えば、職場の駐車場。 まるでジグソーパズルのようなひびが、ここそこに入っている。 だ、大丈夫か(汗) この頃は、ひび割れてできたピースが、さらに細かい網の目状になり、(←毎日車が出入りしているし
能登半島地震のことを書きます。辛くなる方は読むのを控えてください。 1/6(土) 早朝、大きな横揺れ。 続いて小刻みな揺れが、次第に大きくなる。 こわいぃぃ…(泣) 地震速報を見ると震度3。こればっかりは、慣れるということはない。 午後から夫と買い物へ。 ユニクロで夫はフリース、私は暖パンを購入。 次に、食料品購入のため、ユニクロ隣のスーパーへ。 昨日までは、商品の補充が止まっている感じだったが、今日はあふれんばかりに商品が並んでいる。そして、大勢の買い物客でごった返し
午後4時から納棺の儀。 生まれて初めて、納棺に立ち会う。 葬儀社から納棺師の男性が来られる。 40代半ばくらいだろうか。 この方の手により、義母は白装束の姿になっていった。 無駄のない、美しい手捌き。義父、夫、私で見守る。 今さらながら、白装束は旅立ちの姿なのだと気づく。 化粧が施されると、義母の表情からは、病のあとが抜けたように見えた。 義母がこだわった、柔らかな長めの髪に櫛が入り、良い感じに整っている。 棺に蓋をする頃には、気持ちに区切りがついた。立ち会うことができて
能登半島地震のことを書きます。辛くなる方は読むのを控えてください。 職場には地震の爪痕が残っている。 駐車場のアスファルトのひび割れ、陥没。図書館は危険があるため、まだ手がつけられない。 それでも、仕事はできるのだし、「よし」としなければなるまい。 ただ、傷ついた光景というのは、じわじわとメンタルに来るようで、二日目にして、気持ちがどんよりしている。 仕事帰りに車のラジオを入れたら、中島みゆきの「時代」が流れていた。 「わ、なつかしい…」 曲はすでに終わりのほう。間もなく