父コロナ
9月のある日曜日のこと。
朝6時半、目覚めてスマホを見ると、30分前に弟から着信。
LINEにも未読メッセージが1件。
おそるおそるLINEを開くと、
「Hさん(=父)、自力で起き上がれず、現在、座敷で横になっている状態です。意識はあり、会話もできます。一度電話もらえますか?」
「!」
っていうか、すぐに救急車呼んでくれぇぇぇ!と叫んで(心の中で)、跳ね起きる。
弟に電話をかけて様子を聞く。
おそらく、父の持病である脊椎小脳変性症が進行して、それで動けなくなったのだろう。最近は体のふらつきが一段と進んでいたから。
脳梗塞の可能性もあるかもしれない。
ともかく、早く救急車を呼んだ方がいい、私もすぐに行くからと言って電話を切った。
この日は夫と南砺(なんと)市の「城端(じょうはな)むぎや祭」に出かける予定だったのだけど、この感じでは無理だろう。残念だけど、致し方ない。
そして、「すぐに行く」と言った私だが、どうしたことか体にエンジンがかからない。のろのろと支度をし、朝8時どうにか実家に到着。
すると、父はまだ家にいた(!)
父は倒れているというか、目を開いたまま、仰向けに寝ている・・・
かれこれ2時間このままなのか。
なんでだよ(泣)
弟が言うには、かかりつけのZ医院に電話しても誰も出ないので、救急医療電話相談(#7119)に電話をしていたとのこと。なかなか繋がらなかったらしい。で、これから救急車を呼ぶという・・・
今このときに、信じられないスピードである。一体何を考えているのか、弟よ(泣)
ようやく、弟が119番に電話をかけ、状況を説明し始めたので、私は父の保険証、お薬手帳、障害者手帳を探す。
認知症の母はというと、立ったまま父の顔を覗き込んで、
「お父さん、保険証どこね?」
「財布どこね?」
と聞いている。
父は天井を見たまま、聞こえてはいるのだろうけど、反応できない。それなのに、母は再び
「お父さん、保険証は?」
「財布はどこね?」
と聞く。
この光景を弟と私は、無言で見つめていたのだった。
ほどなく救急隊が到着し、父は担架に乗せられて救急車へ。
弟夫婦は前の週にコロナに感染し、職場復帰したばかり。で、私が救急車に同乗することになった。
救急車に乗るのは生まれて初めて。
救急車って、乗ったらすぐに出発するのかと思ったら、そうではなかった。
搬送される人のバイタルチェックをし、一方では同乗の家族からも状況を聞き取る、という具合。
父の持病のことを伝えようとして、「脊椎小脳変性症」が出てこなくて焦っていたとき、救急隊員の方が「体温38.9℃」と言った。
車内が一瞬、しーんとなった。
(ざわざわざわ…)
救急車を呼ぶとき、弟は自分たちがコロナに感染していたことを伝えてなかったのだ。さらに、弟も私も誰も、父の体温を測っていなかった(!)
父の持病に気を取られすぎたためで、体温を測ろうとは誰も思わなかった。
救急医療電話相談でも、弟はコロナの可能性を除外していたと思う。
私たちは、先入観のせいで重要なことを見落としてしまっていたのだった(泣)
病院に到着するなり検査。
看護師さんが医師に小さく「先生、コビット」と告げた。
看護師さんは防護服だったけど、先生はどうだったかな(汗)
家での療養は無理なので、入院させてほしいとお願いする。
それから父は防護服の看護師さんとともに処置室へと消え、私は様々な入院手続きの書類に手が痛くなるほどサインをした。
サインをしながら、自分が8月にコロナに感染していて、免疫があって良かったと思った、本当に。
父は治るのだろうか。
明日から母は日中ひとりでいられるだろうか。これからどうしたら良いのだろう。何も思いつかなかった。
そして、その日をその後どのように過ごしたかも、まるで思い出せないのであった。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。来年こそは「城端むぎや祭」も「五箇山麦屋まつり」も、両方行きたいと思います。