no.31 そして義父が残った
午後4時から納棺の儀。
生まれて初めて、納棺に立ち会う。
葬儀社から納棺師の男性が来られる。
40代半ばくらいだろうか。
この方の手により、義母は白装束の姿になっていった。
無駄のない、美しい手捌き。義父、夫、私で見守る。
今さらながら、白装束は旅立ちの姿なのだと気づく。
化粧が施されると、義母の表情からは、病のあとが抜けたように見えた。
義母がこだわった、柔らかな長めの髪に櫛が入り、良い感じに整っている。
棺に蓋をする頃には、気持ちに区切りがついた。立ち会うことができて良かった。
ところが、ここで気づいてしまった。
白木の位牌に書かれた義母の年齢が違っている(泣)
義母は昭和3年生まれ。
亡くなるひと月前に95歳になっていたのだが、94歳と書かれていた。
納棺師さんに伝えると、年齢早見表を取り出して、早見表を目で追いながら、「昭和4年生まれではないのですね?」と最終確認。
ところが、夫と私が「そうです」と答えるより早く、義父が
「ばあちゃんは、昭和4年生まれや」と自信満々に答える。な、なんで?(泣)
戸籍謄本のコピーを持っていたので、納棺師の方と義父に見せ、納得してもらったけれど、今思えば、この辺りから義父はおかしかった。
ほどなく、葬儀社の方が正しい年齢を書いた位牌を届けてくださる。良かった。
それと一緒に、骨壷と骨壷を入れる銀色のピカピカの袋も届いた。
葬儀社の人 : 「予め(骨壷に)お名前を書いておいてください」
私 : 「えーっと、誰が(書くのかな)?」(汗)
戸惑っていると、葬儀社の方が、義母の名前、亡くなった日、亡くなった年齢などを書くのだと教えてくださる。筆ペンで書いてもよいとのこと。
う〜む。で、誰が書く?
申し訳ないが、夫の一族は、真面目に書いても「ふざけている」と叱られるぐらいの悪筆揃いである。
別にそれでも良いのだけど、ペン字検定2級(わが一族の最高位w)の私が、ここは一肌ぬぐことに。
この日の夜、骨壷に何をどう書くかをネットで調べ、フォントとレイアウトを決めた。それをWordで作って印刷。これを手本に清書をすることにする。
翌朝、早起きをして、気持ちを整えてから気合いを入れて清書にかかる。
しかし、やや頭でっかちで、下に行くほど左側にずれ、最後はまた中央に戻ってくるという、書き初めの失敗作のようになってしまったのだった(汗)
カバーがあって良かったw
9時半から告別式。10時出棺。
義姉は直接斎場へ行くとのこと。
出棺前、義母の周りにデンファレ、百合、カーネーション、菊などの花々と、施設の誕生会でいただいた色紙を納めた。
棺桶を運ぶのは、夫、私の弟、葬儀社の男性…あれ、ひとり足りない(汗)
男手の中に義兄が入っていたのかもしれない。仕方がないので、嫁の私がもう一肌ぬぐことに。
骨壺に名前を書き、今度は棺桶を運び、
「一肌」案件を一身に引き寄せている気がする。
ところで、女性が棺桶を運ぶのって、見たことないけど、大丈夫なのだろうか。今はジェンダーレスの時代だから、関係ないか。
持ってみると、棺桶は驚くほど軽かった。
義父は義母といっしょに葬儀社の車に乗り、市内の斎場へ向かった。
私と夫は自家用車で後に続いた。
秋を思わせる青い空が、どこまでも続いていた。