ちゃん
平凡な日記
深夜テンションのセンチメンタルエッセイなあれこれ
note作家さんたちの素敵エッセイを朗読させていただいてます。
文:織田 麻(Orita Asa)様 note Twitter 音:BGM maker 様 Youtube Twitter 声:おおすかちゃん Twitter 織田さんの文章が大好きで、この文の素敵さを邪魔したくない…と思いながら声にさせていただきました。 切なく伝わりますように。ひとりぼっちの時に聞いてください。 【note企画 感傷エッセイ朗読4本目】 マイぺース製作すぎる…こりゃあかんぞ… ♦︎恋愛・人生・友情 等『感傷』をテーマにしたエッセイ、もしくは寝る前
仕事の帰り道、久しぶりに甲州街道をバーっと通った。 新宿から幡ヶ谷、初台、笹塚は、生活がいちばん苦しかったときに馴染みのあった場所だ。甲州街道をよく自転車で通ったし、よく歩いた。 20代前半当時通っていた養成所が笹塚にあって、初めて一人暮らしをしたのも笹塚の甲州街道沿いだった。 上京して12年になる。 遊びもバイトも新宿を拠点に過ごして、もうずいぶんと懐かしい風景が増えた。地元にいた期間をもあっという間に超えていくのだと思うと不思議な気持ちがする。すでにわたしは地元愛知の名
16タイプ診断は、ENFP(運動家)かINFP(仲介者)。 外向と内向のパーセンテージは僅差でほぼ50.50。人と関わる意欲があって調子のいいときは運動家、気分が落ちているときは仲介者になる。日によってどちらかに振り切れるのはよくあることでどちらの自分が本当なのか分からなくなるときがあったけれど、今はまぁそんなもんかとも思う。どちらもわたしだ。天気とか、そのとき目の前にいる相手とか、瞬間瞬間で変わったりもする。気分屋も大概にしたい。 運動家と仲介者、大きく共通しているところ
唐突に数日SNS断ちをしようと思い立った。 Twitter、threads、Instagram。SNS3つ。 そして早急な返信が必要な連絡以外、チャットは無視すると決めた。 Twitterに登録したのは16歳、高校2年生の頃だ。それから15年間Twitterを見なかった日は1度もない。 学生時代はツイ廃といっていいほどTwitterに入り浸っていた。モバゲー、GREE、mixiの全盛期だった高校時代。周りにTwitterをやっているリア友はおらず、フォロワーは専らネット上
仲のいい社員さんからLINEが来た。 どうだろう、わたしは仲良しだと思ってるけど。 まぁいいや。 「やほー!退職します!」 突然のLINEに声が出た。 ええええええええええ!!!!! 発してからそのままア行を右に5回フリック。 「えええええ」 うざがられたらやだなと思って、ちょっとだけ「え」の数を減らした。返すまで10秒くらいだったと思う。アイコン右上に点灯する赤丸バッジを即消し去りたいわたしは、仕事もプライベートも常に爆速返信なのだ。 ♦︎ 出会ったのはたしか3年前
年々お酒を好きになっている。 とはいってもそんなにたくさん飲めるわけではないので「弱いけど味が好きなんです」ということにしている。が、その実理由はそれだけではない。 20歳の頃、ウイスキーはハイボールにしても病院の味がすると思っていたし、アサヒスーパードライしか飲まない父の影響からビールは全てスーパードライの味なのだと思っていた。結果、たどり着いたのが梅酒だ。梅酒しか飲まなかった。 今は、米焼酎白岳しろのソーダ割を筆頭に、ハイボールなら白州、ビールは白穂乃果が好きだ。大衆
自分へ。 何度も何度も何度も、“なぜ自分なんだろう”が湧いてしまう。 仕事でもそう。プライベートでもそう。 わたしがわたしであることの理由を完璧に理解した上で、その役目を全うしたいからだ。 もう諦めるべきなのだろうか。職業病とか、そんなレベルではない。さすがにその域を超えている気がする。 ♦︎ IT関連の会社に勤める友人がいる。 その週は新しいシステムの立ち上がりで忙しくなると前々から薄っすら聞いていた。何の知識もないわたしは、それが一体どの程度の大変さなのか全く想像で
今回の記事は、紛れもなくただのお笑いファンとしての文字。 お笑いライブが好きだ。 推しの新ネタライブに行った。 駅に向かうまでの道中で改めて思った。 わたしはお笑いライブに1人で行くのが好きだ。 お笑いに疎い誰かとテレビスターを見にルミネに行くのも好きだけど。 でもそれ以上に、その何倍も、1人で行って、1人で見て、寄り道もせず1人で帰ってくるのが好きだ。 例え休日であろうと、誰かと出かける予定があればそれはわたしにとって休日ではなくなってしまう。 推しを1人で見に行く日
作家の千早茜さんが好きすぎる。 確かインスタで知ったんじゃなかったかな。 新刊で揃えるべきところ中古ばかりで後ろめたくもあるのだけれど、古本屋を覗くたび千早さんの本がないか探している。あれば1冊づつ買うと決めている。 これを繰り返して1年は経ったと思う。 今読んでいるのは今年発売されたエッセイだ。 これまで千早さんの小説しか読んでこなかったから、エッセイ本…どうだろう…と思いながら手に取った。 その人の創作物が好きという純粋な気持ちは、イコール中の人の日常を知りたい、では
ここのところ、自主創作が楽しい。 ようやく心の安定を自分で図れるようになったのだろう。元々はずっとこうだったのにね。 今回の制作を通して思ったことを残しておきたくて。書くね。あんまりまとまらないかも。 これまでずっと自分で何かを作ろうとするとき、なんでもひとりでやりたいと思ってきた。けれどその中で絶対にひとりではできないことがあったりもして。最近はできない解消にあたり、その道の知識を持った能力のある人を頼るべきだと思えるようになった。 今回初めて「こうしてください」を伝え
後輩と長電話をした。 知り合って8年になる。もうそんな経ったのか。今書きながらびっくりした。 彼女はいつもわたしに急に連絡をしてくる。 「週末ご飯行けませんか?」「今電話できますか?」 会う日時の約束とどこに行くかしかやりとりしない。 わたしは雑談LINEの無意味なやりとりがとてつもなく苦手だ。決めたいことが一向に決まらず返信が遅いとなるともう苦手も苦手。必要なやりとりを必要な瞬間にだけしたい。通知のバッジが画面上に出ていると延々終わらないタスクが残り続けているような気さ
している。 疲れたからここに逃げてきた。 わたしの中で本の種類は大きく分けていくつかある。下記の通り。 ①読み終わったもの、好きなもの、また読みたいもの ②読み終わったもの、好きなもの、でもきっとしばらく読まないもの ③読み終わったもの、もう読まないもの ④今読んでるもの ⑤今読んでるものが落ち着いたら読みたいもの ⑥読みたいけど当分読まなさそうなもの、もらいもの ⑦読み終わった漫画、また読みたい漫画 ⑧連載中で今読んでいる漫画 ⑨読みたいけど途中までしか買えていない漫画
時間を溶かしていた休日の夕方、Yahoo!知恵袋で遭遇した質問。 『小説家になりたいのですが、自分で書いたものを恥ずかしく思ってしまいます』。なるほどそういう人もいるんですね。 そういえばわたしは自分で書いたものに対して恥ずかしいと思ったことは一度もない。わりかし、というよりも常人の域を超えて、クサい言葉で何でもかんでも文字に起こしてしまう自覚はあって、恥ずかしいやつだなと周りに思われることはもちろん分かっている。 それでも自分の書いた文字に対して恥ずかしさは全くない。 そ
特別好きだと思う人がいる。 好きなものが似ていたり合う部分もあれば、根本からして正反対の違う価値観を持っていたりもする。 ただ流れる空気感が穏やかで、何より話していて楽しい。直感というのは概ね信じていいものだと思えてならない。 世間一般よりもはるかに人を好きになりやすい自覚があるけれど、それを差し置いてもなおわたしはその人のことを好きになっていたと思う。 好きな理由はたくさんあるが、思うことをまずひとつ。 わたしは、その人みたいになりたい。 一言で言えば太陽みたいな人。
「夜眠れない」が口癖だ。 もちろん「朝が苦手」はお察しの通り。 3時4時に眠るのがいつものこと。 なぜか昨日は23時頃に眠くなりそのまま布団に入って全てを点けた状態で寝落ちした。 1時に起きてこたつと暖房と電気を消した。 やっちまったなと思うのも、まぁ、いつものこと。 今朝は7時に起きた。こんなことは滅多にない。 わたしは、朝が苦手ということよりもそもそも眠ることが苦手だ。もっと言うと、眠るまでの時間がとにかく苦痛で仕方ないのだ。 敬愛してやまないボカロP、葵木ゴウさん
先日3月2日、31歳になった。 童顔ゆえに舐められることに敏感で、25の時には28歳ですと公言していた。28の時には30ですと言っていて、30になったばかりから31ですと言っていた。 そしていよいよ、本当に31歳になった。 今は31で妥当って感じがするなぁ。 しばらくは本当の年齢で自己紹介していくことにしよう。 上京した18歳の頃、わたしは30歳で死ぬと思っていた。 “30”は18の自分にとって、想像し得ないほど遠くにあったからだ。もう少し生きようと思えたのはいつからだろう