いい加減にしろ

自分へ。

何度も何度も何度も、“なぜ自分なんだろう”が湧いてしまう。
仕事でもそう。プライベートでもそう。
わたしがわたしであることの理由を完璧に理解した上で、その役目を全うしたいからだ。
もう諦めるべきなのだろうか。職業病とか、そんなレベルではない。さすがにその域を超えている気がする。


♦︎

IT関連の会社に勤める友人がいる。
その週は新しいシステムの立ち上がりで忙しくなると前々から薄っすら聞いていた。何の知識もないわたしは、それが一体どの程度の大変さなのか全く想像できなかった。

たまたま電話をしていたら、イヤホンの向こうでけたたましい電子音が鳴った。突然の音に恐怖すら感じた。
それに遭遇するまで、わたしは「アラートで何度叩き起こされるかな」と笑いながら言っていたその人の言葉を半ば信じていなかった。
いつも朝から夜まで出社して働いているはずだ。業後、家にいる時間に、夜に、夜中に、そんな大きな音で社用ケータイの恐ろしくも聞こえる着信音が鳴り響くなんて、わたしの人生には無い。世の中とはそういうものなのだろうか。ものすごく衝撃を受けた。

♦︎

“なぜわたしなんだろう”というのは、周りにいる関わってくれている人ほとんど全てに対して抱く疑問だ。
なぜわたしが飲み会に呼ばれたのか、なぜその映画をわたしと一緒に見たいと思ったのか、なぜわたしとご飯を食べたいのか、なぜ今LINEが来たのか、電話が来たのか。
相手に聞かない限り分かるわけもなく、さらには分かったところで仕方ないこともあるだろう。それでもなお答えが欲しくなってしまう。理由通りの行動をしてあげたい。求める通りに動きたい。

わたしがわたしである理由が必ずあるはずなのだ。わたしはずっと探している。誰かに自分の価値を求めている。


その人はわたしに言った。
「今いちばん気を抜いて話せてる」

どうあるべきかは相変わらず分からない。
けどとりあえず分からないなりにここにいようと思う。
倒れずにひとりで、きちんと立っていようと思う。

おおすかちゃんを!あなたの力で!生かしてたもれ!✌︎