文章を、書いてしまう
時間を溶かしていた休日の夕方、Yahoo!知恵袋で遭遇した質問。
『小説家になりたいのですが、自分で書いたものを恥ずかしく思ってしまいます』。なるほどそういう人もいるんですね。
そういえばわたしは自分で書いたものに対して恥ずかしいと思ったことは一度もない。わりかし、というよりも常人の域を超えて、クサい言葉で何でもかんでも文字に起こしてしまう自覚はあって、恥ずかしいやつだなと周りに思われることはもちろん分かっている。
それでも自分の書いた文字に対して恥ずかしさは全くない。
それどころか自分が書いたものは宝物のように思っている。
自分自身が創作物だと思うことがままある。ここに書いているもの自体も創作だったりするので。
全く恥ずかしくない理由として、常々自分で思っていることや信念のようなものは基本的に“いいでしょ?”と思っているからかもしれない。
自分に自信はないくせに思考には自信あるんかい。我ながらおかしな話だ。
誰が見ているか分からない場所で文字に起こすことは、それなりにリスクのある行為だと思う。
わたしは様々なSNSをやっているけれど、そのどれもが本当のわたしであってどれもが別人のような気がしている。Twitterもインスタも、スレッズもnoteも。適材適所とTPOを大切にしたいというのは常々あって、感情が浮かんだ時“これはどの自分なのか“無意識に判断している。
最も綺麗な日常共有ならTwitter。できれば写真付き。きっとその方が見てる人が楽しいから。
最近はめちゃくちゃにサボってるけど、水族館でいい写真が撮れたらインスタに上げる。写真は山のようにあるのに、インスタに最も適したサイズに変更して、どれを上げてどれを上げてないのか管理するのがめんどくさい。もうお手上げ。誰かに見せたくて撮るわけでもないから、RAWデータを編集する作業はちょっと苦手かも。まぁ納得するまでやるんだけど。
Twitterに書くほどでもない日常はストーリーかな。東京が好きだなぁシリーズは見て欲しいかも。わたしは東京が大好きなので。
誰の得にもならない根暗なわたしの戯言はスレッズに。
そして140字に収まらない本心はここに書く。極小範囲の本心は一体誰にバレているんだろう。
文字は読むことも書くことも好きだ。
好きというよりも、日常の一部。それが好きってやつか。これからも続けようとせずともしてしまうだろう。
書く人が書かない人と同じでいられるわけがないよ。
わたしは恥ずかしいどころか、書かずにはいられないんですよね。出さずにはいられない。「そんなことわざわざ言わなくてもいい」って言われたりもするんだけど。
わざわざというより、息をしてるみたいな感じ。誰も傷つけないことは誓うから、許してもらえないだろうか。
文章を書いてしまうことへの言い訳。でした。
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