“汲み取り”の相手頼みは罪深い

16タイプ診断は、ENFP(運動家)かINFP(仲介者)。
外向と内向のパーセンテージは僅差でほぼ50.50。人と関わる意欲があって調子のいいときは運動家、気分が落ちているときは仲介者になる。日によってどちらかに振り切れるのはよくあることでどちらの自分が本当なのか分からなくなるときがあったけれど、今はまぁそんなもんかとも思う。どちらもわたしだ。天気とか、そのとき目の前にいる相手とか、瞬間瞬間で変わったりもする。気分屋も大概にしたい。

運動家と仲介者、大きく共通しているところは他人への共感だ。他人の感情を読み取り要望を汲み取る能力に長けている。これはもう前々から自負していたことでその通りだと思った。

わたしの仕事はまさにこの能力の集大成で、この構造がとてもシンプルで分かりやすい。「こうしてください」「やります」「OKです」。感覚でしかないニュアンスを汲み取って音声化する。この上なく分かりやすいこの仕組みは、わたしが仕事としてのナレーションを好きな理由のひとつだ。なるべくしてなったと胸を張って言える。


自主制作についての投稿に書いたけれど、ますます強く思ったので今回もそれに関連することを。言いたいことは表題の通り。
『“汲み取り”の相手頼みは罪深い』

これまでずっと「こうしてください」を言われる側であることがほとんどで、仕事だけではなくプライベートにおいても「こうしてほしい」を強く言う機会がなかった。
もちろん自我はあるにはあるので、根底には“こうしてほしい”が渦巻いてはいる。それを言わずして独りよがりな“察してほしい”が心に積もっていく。
とんだ甘ちゃんである。

先述の自主制作を通して、ディレクションを分かりやすく伝えられないことは罪だと感じた。無駄なラリーが増えてしまうので、自分の要望は出来る限り相手にとって分かりやすく明確に端的に言語化できた方がいい。というか、自発しないことは相手に迷惑をかける。
「あなたがいいのがいい」は一見優しく聞こえるけれど、それは全てを相手に丸投げしているだけだ。わたしにはきちんと希望や意思を投げる義務がある。戒めようね。
意思を伝えるのは義務です。自発も義務。したいことをしたいと言って、したくないことをしたくないと言う。こうした方がより良いと思いますを自発しないといけない。


これは仕事にもプライベートの人間関係にも、個人の自主制作にも繋がっている。

大抵の人は、人を喜ばせることが好きだと思う。
わたしが喜ぶことを相手にさせることで、相手はわたしが喜んでいることに安堵するだろう。すなわち、こちらが自発することお願いすることは相手にとってのプラスでもある。これを肝に銘じて、ちゃんと言う。

まだまだ難しいんですが。
わたしが相手を喜ばせたいと思っているのと同じように、相手もまたわたしを喜ばせたいと思っているはずだ。


わたしがどうされると嬉しいのか。
伝えることをサボるなよ。自分へ。

おおすかちゃんを!あなたの力で!生かしてたもれ!✌︎