しなやかな

いつだってとれかけのウェービーヘアー

しなやかな

いつだってとれかけのウェービーヘアー

最近の記事

takerでは雇ってもらえないと思う話

おかざき麻里さんの作品「サプリ」での1コマに、こんなシーンがある。 広告代理店で、新入社員の質問に対して先輩社員である主人公が答えるシーンだ。 就活をしていく中で大事な視点だと考える。 雇われるということはビジネスだと思う。 慈善じゃない。 具体的にどういう人がその企業に「ほしい」と思われるのか。 何があれば企業の利益に貢献できると期待されるのか。 giveできることを考える必要がある。 企業にとって、その人の「実現したいこと」は自社の利益のために必要なだけではないか。(

    • 人が留まる理由を作れなかった

      居場所というものがたとえ個人の思い込みだったとしても、私にとっては居場所が大事だ。 私しか居場所だと思っていなかったとしても(ちょっと寂しいけど)大事なんだ。 だから、居場所から人が抜けることは私にとっては辛い。 喪失感が強い。 ショックが大きい。 けれど、そのショックの正体は喪失感だけじゃない。 その人が留まりたいと思える組織にできなかったことが、 その人が留まる理由になれなかったことが悔しいのだ。 卒業おめでとうなんて言葉、私には言えない。 (その人にとってやりたい

      • 健全に家族から離れたい

        健全に家族から離れたい。 家庭にはそれぞれの物語があって、家族はお互い良くも悪くも影響を受けるのだと考えているのだけれど、 健全に家族から離れたい。 まず、依存し合うのは良くない。 様々な確執を超え(切れてないところもあるが)、私が社会人になった後、ある時期に家族の1人から言われた「好きなことをしていいんだよ」という言葉は私をかなり変えた。 自由になった。 自分でもぎょっとするくらい、色々なことに飛び込んでみたり外交的になったりした。 家族とのつながりが友好になった私は

        • 嫌なことへの挑戦癖ってやーね

          嫌なこと、苦手なことがあると「避けてはいけない」という義務感に駆られること、ないですか? 私はあります。 例えば、私にとっては、あまり知らない人たちが多い・かつ知らない人たち同士は仲良しのオフライン会への参加とか。 ちょっと苦手な人がいる任意参加のミーティングとか。 そんな場面に出くわすと、なんか「挑戦しなきゃいけない」って気になっちゃうんです。 「逃げちゃダメだ 逃げちゃダメだ 逃げちゃダメだ…!」って思っちゃうんです。 それで、挑戦して気疲れしちゃうんです。分かってま

        takerでは雇ってもらえないと思う話

          シェアマンションに住み始めた(びっくり)

          よく遊ぶ仲間内の1人が会社から辞めて寂しかった私(前記事「カツ丼を届けられる人になりたい」)は、その後同じ仲間内の先輩に別件で仕事の相談をしていた。 会話の途中、 「XX(辞める人の名前)、辞めるよね〜寂しいね〜」 と切り出された。 そうですよ、寂しすぎますよ。 そんな話をしながら、いつもの集まりだっていつまで続けられるか分からないんだよな〜〜と改めて悲しくなった。 帰宅した私は案の定眠れず、X(旧Twitter)のタイムラインをうろうろしていた。 そこで見つけた、シェア

          シェアマンションに住み始めた(びっくり)

          カツ丼を届けられるような人になりたい

          4月になった。 SNSは新社会人や学生に向けたメッセージで溢れかえった。 説教めいた言葉に眉を顰めつつ、自分はその話しかけられる対象ではないのだということに寂しさを感じつつ、心にぽっかり穴が空いた気持ちで画面をスクロールしていた。 数日前、会社で仲の良い集まりの中の1人の方が会社を辞めることを聞いた。 転職先はその方の希望に合っているようで、本当なら喜んでお祝いの言葉をかけるべきだったのに、なんだかいなくなってほしくなくて嫌だな嫌だなと冗談を交えながら言い続けてしまった。

          カツ丼を届けられるような人になりたい

          睡眠不足って怪我してるのと一緒だよね

          睡眠不足って怪我してるのと一緒だよね

          大人になってから本の内容を必要なところだけかいつまんで飛ばして読む癖がついてしまったので子どもの頃の自分に「どうしてそんな一文一文を大事に読めるんですか?」って聞きたい

          大人になってから本の内容を必要なところだけかいつまんで飛ばして読む癖がついてしまったので子どもの頃の自分に「どうしてそんな一文一文を大事に読めるんですか?」って聞きたい

          「これになりたい」って私も思うけど対象がもの扱いだよな

          「これになりたい」って私も思うけど対象がもの扱いだよな

          決断の時に損しないかで決める自分はなんかやだな

          決断の時に損しないかで決める自分はなんかやだな

          絶対に忘れないだろうなと思った出来事を気づいたら忘れていた時から私は私を信用していない

          絶対に忘れないだろうなと思った出来事を気づいたら忘れていた時から私は私を信用していない

          生きづらさに辛くなることはあるけど生きづらさに囚われたくはないよねえ

          生きづらさに辛くなることはあるけど生きづらさに囚われたくはないよねえ

          上手いこと言おうとしなくていいし目瞑って笑わなくていいんだよ

          上手いこと言おうとしなくていいし目瞑って笑わなくていいんだよ

          あいまいで避けてきた言葉

          自分の中で意味がまとまっていなかったり、簡単に発したくなかったりして、使うのを極力避けている言葉がある。 「頑張る」「考える」「向き合う」「本質」…とか。 「寄り添う」もその一つ。 その言葉が示すものは何だか不確かで、相手によって行動が違うもので、軽々しくこの言葉を当てはめたくない。 だから使うのに慎重になってしまって避けていた。 でも最近、友達がこの「寄り添う」って言葉をすごく素敵に使っていたからはっとした。 彼女は手話を学ぼうと思っていると言っていた。 理由を聞くと、

          あいまいで避けてきた言葉

          「こうなりたい」って思う人

          強そうな女の人が好きだった。 いつも椎名林檎を聴き続け、失恋した時はYUKIとJUDY AND MARYだったし、気合を入れたい時はSuperfly。 長らくエナジードリンクは東京事変だったのだけれど、最近私の中で新たなスターが出現した。 弘中ちゃんだ。 書店でフォトエッセイが彼女のサインと共に飾られているのを見て、心惹かれて購入した。「弘中綾香の純度100%」。 どこか可愛いだけでなく芯の強さを感じさせる人だと思っていたので、エッセイはとても興味をそそられるものだった

          「こうなりたい」って思う人

          過去を咀嚼して消化したい(2)

          「自分はうまくいかなかった経験からその事柄ができない人の気持ちがわかる」という話を聞いたのだけれど、それは危ういんじゃないかと感じた。 過去の自分と重ねて自分が求められてきたことを強要してしまいかねないと思うから。 受験の時、自分にとって必死で勉強していたつもりだった私は結果を出せなかったことから、教師に「頑張らなかったからだよ」と言われた。 そう言われた時、放課後、休日、休み時間、図書館や自習室で勉強していた風景が全部崩れていくような感覚がした。 それと同時にそれまで自

          過去を咀嚼して消化したい(2)