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過去を咀嚼して消化したい(2)

「自分はうまくいかなかった経験からその事柄ができない人の気持ちがわかる」という話を聞いたのだけれど、それは危ういんじゃないかと感じた。
過去の自分と重ねて自分が求められてきたことを強要してしまいかねないと思うから。

受験の時、自分にとって必死で勉強していたつもりだった私は結果を出せなかったことから、教師に「頑張らなかったからだよ」と言われた。

そう言われた時、放課後、休日、休み時間、図書館や自習室で勉強していた風景が全部崩れていくような感覚がした。
それと同時にそれまで自分を保っていた「最後は最上を勝ち取れる自分」が崩れていって、何も無くなったような気がした。
すごい喪失感だった。自分のアイデンティティが無くなって「『私』ってなんだ?」と感じた記憶がある。
因果関係を考えず、無計画にとりあえず目の前のものをがむしゃらに勉強していた私が悪いのだけれど。

そこから「成果を出さないとどんなに頑張っても意味がない」と思うようになった。そして、「頑張っている行動に自己満足している人」にひどく嫌悪感を感じるようになった。例えば、自習室に入ってすぐ外に出ていく人とか、教科書の丸写しをしている人とか。許せなかった。

それは大人になってからも一緒で、そういう場面に出逢うと「いやなんでだよ」と炎のような苛立ちを必死で押さえつける。押さえつけてその相手と話終わった後は大きな疲労感に襲われる。

「なんで私は許されなかったのにこの人は甘えて許されるのよ」

ずっとそんな気持ちが根底にあるのだと思う。
今目の前の人を許したら、昔の私はどうなるの?可哀想。あんまりだ!みたいな。被害者面だ。被害者ぶってると自覚しながらも、しょうもないと思いながらも、瞬間的に、湯沸ポットのように感情は湧き上がってしまう。

だから「自分はうまくいかなかった経験からその事柄ができない人の気持ちがわかる」は、もし過去を消化しきれていなかったら危ういと思う。昔求められていたことを相手に強要してしまうかもしれないから。
過去の自分を咀嚼して消化し切りたい。

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