
「男性だから」「女性だから」そんな枠なんか飛び越えて自由になりたい
3年遠距離恋愛で付き合って4カ月同棲した3歳年下の彼と別れた。
彼は新社会人。ちゃんとしたお付き合いはお互いに初めてだった。
今私は実家に戻っている。
昨年は凄い経験をした一年だった。
もうその彼とはSNSでも一切繋がっていないし、お互いの知り合いもいないからそれだけが救いかもしれない。
とてつもなく長い長い文章になるが、どうか読んでくれる貴方にこの体験が何か役立って欲しい。
今回のテーマソングです。
風のように今までの価値観から自由になりたい。
少々生々しい話もあるけれど、結婚前の貴方なら真剣に目を見開いて確認して欲しいことも書いています。
読んだ感想、コメントなども待ってます。
元恋人とその家族の話
1.「祖父母の家で同棲」か「別れる」か究極の2択
今後の進路に迷いがあり退職して実家に帰ってきた。その2ヶ月後に転職、引っ越しをしようと考えていた矢先、彼から「空き家になったから良かったら二人で同棲をここで始めないか?」と提案された。
けれど私は最初、以下のような理由で断った。
①春から彼は新卒で生活環境が変わる中で同棲は大変だから一年間は待ってほしい。
②私は余り貯金がないから実家から通えるところで働きながら貯めたい。
③同棲でお祖母さんの家は重い。 阪神・淡路大震災も経験している築40年だから、寝る時は二階で寝て欲しいと言われているのも少し不安。
④仏壇の管理をどこまでどうすればいいか分からない。
そう話したが2年半付き合ってこれ以上遠距離恋愛が続くなら別れたいと言われた。
どうしたら別れずにいられるか二人で考えて、結婚前提で同棲することに決めた。
仏壇の管理は基本的に彼がすると言うのでその言葉を信じた。
彼と居たい、その一心で腹をくくった。
一人暮らしより貯金も出きるし家賃もかからない、結婚に向けての貯金もできる、私もそう考えたのだ。
2.お仏壇のこと
ただその時一番引っ掛かったのは、その亡くなったおばあさんのお仏壇があったこと。
普段お仏壇のお世話はもちろん、初盆や一回忌、三回忌などの法事はこの家である。
もちろん親戚の方もその時に来る。
手伝わないわけにはいかなくなると思った。
(私はどの立場で出れば良いのか分からないから、その時は出席を断ろうと思っていたが、彼のお義父さんは「そんな固く考えなくていい。ただ居るだけでいいから住んでいる人としてぜひ参加して欲しい。」と言っていた。)
これが後々大きく影響してくることをこの時は知る由もなかった。
3.生活費について
そして貯金があまりないから、食費、光熱費などの生活費に関しては私が就職するまで彼が出してくれると言ってくれた。
最初は就職がそちらで決まるまでは実家で過ごしたいと言ったが、早く一緒に暮らしたいし生活費は出すからこちらに来てから就職活動をしたらいいと言ってくれた。
私はそこまで言ってくれるなら、と思い有りがたく受け入れた。
今考えると私の考えがとてつもなく甘かった。
そこまでは彼は頼もしかった。
しかしこれも後々悲劇を生むきっかけとなる。
4.住む前に聞いていた話と違った
住む前に彼のお父さん曰く「空き家になるので、私達がいずれ引っ越しして住むまで、人が住まないと家は傷むからぜひ暮らして欲しい。固定資産税分だけ払ってくれたらいいから。」とのことで、それなら私たちにも有り難いねといい、住むことになった。
けれど実際に住むことになると「初っ端から生活水準が上がっていたらお前たちのためにならないから、やっぱり家賃を払って貰う」と話をされ、彼はその要望をすんなりと受け入れた。
彼としては大学時代に住んでいたアパートからの引っ越しを父親に手伝ってもらったこと、またヨーロッパへの卒業旅行のための資金50万円程を両親に借りたという借りがあるため強く出られなかったようだ。
(私自身は自費で引っ越しをしている。)
私としては、正直住む前に「固定資産税だけ」と聞いていたので、話が違うと彼と口論になった。
家賃の内訳について書類として見せて欲しいと彼に頼んでも彼の父親にその話をしてくれない。
すると彼はそれまでの態度とは一変して、「タダで住むつもりでいるのは甘いと思う」と言ってきた。
「色々とうちの両親にしてもらったことに感謝の気持ちを持たないのか」とも言われた。
確かに住むにあたり、彼のお父さんは古い畳を新しくしてくれたり、二階の一部屋を畳からフローリングに変更してくれたり、エアコンを新しくしてくれたりした。かなりのお金はかかっている。
けれどそれは後々この先彼の両親が住むことが決まっているからその為にしたのだと私は思っていた。
彼にそこまで言われる必要はある?と頭が真っ白になった。
最初に提示された家賃は7万円(2階建て、2LDK、築40年、地方都市)だった。
それは余りにも高すぎると私が主張したことで、5万円に下げてもらった。 何も言わなければ毎月7万円を彼の両親に支払うことになるところだった。
ちなみに書類についても、あまり細かいことは気にしなくていいと言われうやむやにされていた。
(番外編1)虫が多すぎる家
家自体は築40年くらいでカーテンがなく窓の内側は障子なので夜は蛍光灯に寄ってくるような家だった。
ゴキブリ、羽アリ、カメムシ、ダンゴムシなど虫が毎日のように部屋に出てきて、多いのが悩みだった。
ドアが震災の時に歪んだ影響で立て付けが悪く、朝起きて居間に行くと何処からか入ってきた羽アリの死体でいっぱいになってた時は思わず泣きそうになった。
さすがに寝ている時に顔に羽アリが何匹も落ちてきた時は泣いた。
恐らくカーテンがないせいで虫が家に寄ってきて、隙間から入ってきていたのだろう。
カメムシは毎日部屋に出てきた。
夜になるとカメムシが15匹くらい窓にいた。
そのためカーテンを設置しようと彼に言っても「虫が嫌いって子供っぽい、虫程度で騒ぐな、カーテンを設置するなら自分でしろ」と言われていた。
こんな環境だとはつゆ知らず、住んでから初めて気がつくことばかりだった。
虫が多いのを彼の両親に相談しても「そうね、ここは虫が多いね、大きな山ゴキブリが家の中にいたことあるしね」と言われていた。
お隣のお婆さんにも「あんたが虫に抵抗ないだけだわ、もっと強くなりなさい」と言われ落ち込む日々。
私は田舎育ちだけど、家の中に虫がいる環境で育っていないから免疫がなかった。
5.仏壇に関して「約束と違う」
お仏壇のお世話に関して、お水の交換、お供え、お線香を炊く(お花は造花です)等の日常のことは殆ど私がして、彼は気が向いた時しかしてくれなかった。
同棲前は「僕が仏壇に関することはするから大丈夫」と言っていたのにいざとなると何もしない彼に不信感を募らせた。
仏壇のお世話をして欲しいと何度も言ったが、基本的に気が向いた時しかしてくれなかった。
彼曰く仕事で忙しいから気が回らない、時間のある君にして欲しいと言っていた。
(番外編2)衛生観念の違い
学生時代一人暮らしの経験はあったものの、基本掃除しない人なのは知っていた。
ペットボトルの飲み終わったやつがベッドの下から転がり出てくるようなこともあった。
しかし同棲を始めても夏場に3ヶ月も洗わず放置されたペットボトルが彼の部屋には何本も転がっていた。
さすがにこれには注意した。
靴下は机の下に足で脱いで脱ぎっぱなし。
靴は玄関で揃えない。
外で着た服を洗濯かごに入れずベッドに放置。
夜にお風呂に入らずそのままベッドで寝て朝入る。
真夏に使い終わったバスマットも1日敷きっぱなし。
衛生観念の違いは日々少しずつストレスとなって積み重なる。
それでも彼もなるべくかごに入れようとしたり、靴を揃えたり、バスマットを所定の位置に戻したり、お風呂も夜入ろうと頑張っていてくれたことから、彼は頑張ってくれていた。
だけど心の狭い私は許せなかった。
6.家事分担したいのにできない
同棲する時に家事を一緒にして共働きで頑張っていこうと話をしていた。
けれど家事は私がまとめておいたごみをゴミ出し場に持っていくことと、夕御飯のあとの皿洗いを時々だった。
私の手料理にも味付けが不味い、とかこれ美味しい思ってる?などと言われる。
味覚に関しては基本的に料理はしない家庭で育ったみたいだったので、それの影響も少なからずあると思った。
「君は料理が下手なんだから、ちゃんとレシピを検索してその通りに作るべきだよ」と言われて、確かにそうだなと思ってなるべくレシピを見て毎日作っていた。
家事分担はもう諦めていて、最低限の洗濯物をかごに入れることと、ゴミ出しだけはしてくれればいいと思っていた。
しかし就職活動をするには彼に家事の面で甘えたい気持ちも大きかった。
今となっては、食費と光熱費の負担をさせてしまっているのだから、頑張って家事は全てすればよかったと思う。
洗濯機が屋外にあって、蜂やカメムシなどの虫がその周りにも多かったのもストレスだった。
それも我慢するべきだったんだろうけれど、虫が本当に苦手な私にはとても辛かった。
7.ついに事件発生、脛を蹴られる
別れた原因は複数あるけれど、私の中で心が離れた大きなきっかけは家事分担の話を出したら蹴られたことと暴言だった。
家事分担の相談を友人にすると約束事を紙に書くのがいいよとアドバイスを貰ったので、そういう風にして仕事帰りの彼に見せた。
そして食費と光熱費は出して貰っているけれど、就活をする上で家事が私一人の負担だと難しいから、家事を頼んだ。
しかし「無職なら家事は全てして当たり前、僕の会社の人もそう言ってる」と言われ、つい私も熱が入り「私は家事において搾取されている状況」と言ってしまった。
すると搾取という言葉が彼にとっては怒るポイントだったようで、「出てけや!」とその場の勢いで足の脛を蹴られた。
蹴られた夜、涙が三時間くらい止まらずその次の日は近くにいる友達の家に一晩泊まらせてもらった。
本当にあの時助けてくれた友人には感謝している。
脛の痛みはそんなになかったが、私は心が痛かった。
私は少しだけ両親の反対を押して同棲開始したので、その時両親にも彼の親にも話すことができなかった。
蹴られた次の日、今日は家に帰りません、私は友達といて大丈夫だからと言うと、分かりましたと言われ次の日に家に帰ってもちゃんと謝ってくれなかった。
謝ってほしいというと、「謝らせなくしているのはどっち?」と言われてしまった。
確かに私は「謝られてもしばらくは信用できません」と言ってしまっていたから。
帰って家でご飯を作って待っていたが、今日は買ってきた弁当食べるからとその一言だけ。
蹴られたその時に別れて同棲解消したら良かったのかもしれない。
でも待ちに待った同棲で2ヶ月しか経ってない、おまけに親にも張り切って同棲しますと言った手前すぐには帰れなかった。
8.決定的なお盆のこと
最後に決定的なことが起こったのはお盆の事だった。
お盆の前々日に「やっぱり私は生前のおばあさんと面識がないし、ハッキリと結婚していないから出る立場ではないから今回はお断りしたい」と彼に相談したことがきっかけだ。
お盆の間、お供え物の食事を3日間は作ってお供えして欲しいと彼の母親に託されたのも正直重い、と感じていた。
白米を炊いてお供えだけでいいからと言われたが、親族の他に彼のお祖母さんのご友人も来られるからそういうわけにはいかないと思った。
相談すると彼は「何故2日前になってそれを言う。周りの大人振り回してるの分からんのんか。お前がおってもおらんでもどっちでもええ。お前がいることで色々めんどくさいことになってるんや。」 と言ってきて、私の中で何かがプツンと切れた。
とりあえずそのことを彼の父親に相談したら「申し訳ない。息子が悪いことを言った。とりあえず大事なものは持って実家に一旦帰ったらええから。」と言ってくれて、一旦実家に帰った。
その時はもうそうするしかなかった。
彼には「就職の目処がたつまで実家にいます」と言って帰った。
実際に何とか環境にも慣れてきて、本格的に始めようと思っていたから。
だが、帰省した直後に祖母が緊急入院することになり、母親のメンタルを支えたり、家事をしたりして上手く就職活動に時間が割けなかった。
1ヶ月後に就職の目処がたっていないのに話をしたいと帰ろうとしたのが良くなかった。
彼は「引っ越しはいつですか?お盆が終わったから帰ってくるんですか?もう前みたいに帰ってきて普通に暮らすのは無理ですよ。」と言ってきた。
9.そして暴言のオンパレード
「悪びれずに僕や環境のせいにしてくる他責思考な所と自分の決めたことに責任を持たない甘えた所、適応能力や柔軟性のない部分に嫌気がさした」
「本当は会って話すべきだけど、もう別れてください。」
そう言われて私は、突然帰るなんて言ってごめん。話し合いがしたくて帰るって言ったんだ。
とにかく就職が決まったら必ずまたそっちで暮らすから、しばらく決まるまで待ってください。そう言ったがもう遅かった。
彼は「お前世の中舐めとんかワレエ!」と電話越しで怒鳴ってきた。
聞いたことのない怒り方だった。
「君がここまで適応能力がないのは見損なった」
「僕が一緒に暮らそうって言ったけど、最終的に暮らそうと決めたのは君。」
「君が掃除して綺麗な家にいたい自己満足に付き合えない」
そして別れ際には
「僕の会社の人もヒモなの?ダメ女だねと言ってた、僕もそう思う。」
「同棲はじめて横で寝てる姿見て魅力を感じなくなった」
「僕は自分で振っておきながら、君に捨てられたと思ってる」
「もっと早く好きって言ってくれて、受ける会社を教えてくれたら別れることはなかった」
付き合っていた人、ましてや愛していた人にそこまでのことを言うだろうか。
それらの言葉を耳にした時、信じられなさと恐怖で笑いがこみ上げてきた。
人は想像を越える恐怖を感じると笑ってしまうらしい。
言われたことなのに、どこか他人を見ているような感覚になった。
そう言われて、本当に別れる決心がついた。
10.発言の端々に男尊女卑を感じた
彼は県内一の進学校から有名大出身だったが、結婚するには勉強だけでなく基本的な生活習慣も大切だ。
二十歳過ぎた大人を変えるのは難しい。
彼の父親には「こいつの生活面を教育してやってくれ!君は働かなくていいから。」と言われ違和感を感じたことを思い出した。
別れ際に言われたのは「僕は大黒柱だから、君が家事をやれって僕に言わなけば仕事を辞めてくれても良かった」とも言われ愕然とした。
まだ20代で仕事もしっかりしたいのに私のキャリアは彼にも彼の父親にも軽んじられて当然なのか、と衝撃だった。
彼は自分は仕事に全てを集中させて働いて私には家事と子育てをして欲しい、仕事はパートでいいよってことだったんだと思う。
私がそれで良ければ家庭経営は全て私が行うことを受け入れて、そのまま約束通り結婚できたのかもしれない。
けれど彼には
「君はこの先稼げる見込みなんてないんだから」
「自分の仕事に対する能力の無さを認めるべき」
「プライベートの時間の大半を家事に取られてどうする?仕事の勉強の方が家事なんかより大事じゃない?」
と言われ、反射的に違和感を感じていた。
彼は三歳下で新卒で大企業勤めの企画職。
自分は子供の頃から好きだった洋服の小売りのEC運営をしていた。
しかし私は新しくキャリアを再構築しようと自分の適性も鑑みて販売職を目指していた。
そんな私を見て
「君は自分の能力を考えた方がいい。今後稼げる見込みはないんだから。」
「子供欲しいって言ってるのに、自分一人の稼ぎで子供を育てることもできる程稼げないのになんで子供が欲しいって簡単に言えるの?」
と言ってきた。
確かに冷静に考えると大企業で今後順調に勤めれば給料も増えていく彼と、販売職で細々と大きくは増えて行かない給料。
私が現実を見てなかっただけなのか。
彼の言葉を現実として受け止めて、悔しいと重いながらもこつこつと行動すれば良かったのか。
自分の立場をわきまえて、自分の仕事のことよりも彼のサポートに回る方が良かったのかもしれない、そういう気持ちにもなった。
けれど生理痛で苦しんでいる時も「病院に行かない人の心配なんてできひんわ」と言われ、それなら低用量ピルを飲もうと思うと相談すると、飲まないで欲しいと言われた。
そして「妊娠した時のホルモンの変化に関してよく言ってはるけど、仕方ないものなんだの一点張りで、悪いけどとか言わずに君の不機嫌を受ける僕の気持ちは考えないですよねどういう認識? 」
「将来妊娠したらって話を何でよくするのかもわからないけど、その時は不機嫌になっても仕方ないからねって言って来ることが嫌。」
と言われていた。
私はPMSにも悩んでいたのだ。
慣れない環境で新しい生活を始めると、どうしても一時的にPMSは酷くなる。確かに病院に行くべきだった。
そのような私の体調の不安定さと、彼の不安定さが重なってしまった。
そして、
「子供生んだら君は思うように仕事できない 。」
「僕は出張が多くて、仕事を頑張りたいから家事と子供に関することは全て任せたい。 だから君にはパートやアルバイトでいて欲しい。そんなに仕事を頑張らないで欲しい。」
「子供はペットではないのは分かってる? 子供が欲しいというのは君なんだから。」
ここまで言われた。
なぜ子供は私が中心に見ることが前提なんだろう。
私は仕事もしたい。
けれど彼より稼げないのは分かりきっている。
稼げることが偉いのか?
色々な疑問が湧き出てきて、絶望的だった。
11.私は彼の夢を阻害したのかもしれない
しかしながら、私も私で罪悪感を持っていた。
それは彼は大学の頃から、自分がかねてより興味のあった画廊で新卒として働くことに反対してしまったこと。
無理やりその道を私のせいで閉ざしてしまったのかもしれない。
新卒で手取り12万円と聞いて、それでは生活できないだろうと心配になってしまったから。
あと、画廊の人はとても素敵な方ばかりだったと私も何度かお会いして思うこともあったけれど、ここでは説明できない「よくないこと」もあったと聞いていたので色々と私も不安になっていた。
私は将来のことを考えると厳しい生活をしなくてはいけなくなるのではないか、だから一旦就活をして企業を受けてみて欲しいと説得をして就活をしてもらった。
最初は彼はそれでも画廊で働きたいと言っていたけれど、かなり話し合いをして、「〇〇くんならきっといい企業に入れるから受けてみて」と言ってしまった。
別れ際に「君のおかげでいい所に就職できたからそれに関しては感謝している」と言われたけれど、それは皮肉だったのかなとも思ってしまう。
かなり恨まれているかもしれない。
美術関係の人は、自分にはこの道しかないという強い使命感とそれを失うことへの恐怖と闘いながら生きていると聞いたことがある。
そういう意味でも私は取り返しのつかないことをしてしまったのではないか。
給料に関係なく彼の夢を素直に応援できていれば、はたまた私に稼ぐ能力があれば、こんな罪悪感を抱かずに済んだのかなと思う。
12.元カレの父親に軽いセクハラを受けた
自分の両親に話せていないが、こんなこともあった。
「光熱費を少しでも押さえるには、ガス代を浮かすために、(彼氏と)二人一緒に風呂に入るとか工夫すればええやんか」
こんなことを彼の父親に面と向かって言われた。
彼にも相談したが、まあ普通じゃない?的な感じであまりなんとも思ってないようで流された。
それから「付き合ってた時から二人泊まっていた?ああ、そうかそうか、どうぞやっちゃって下さい」と言われ何がやっちゃって下さいなのか、と思った。
そして彼の父親がご飯を食べているとき床に落としてしまった際に私がティッシュを渡したら、手をがっつり触られたこと、私が手に持ったゴミを捨ててあげるよと言ってそのときもゴミを取りながら私の手をがっつり触ってきたこと。
違和感を感じ、モヤモヤしていた。
13.男尊女卑だと感じたこと
言うまでもなく彼の父親から受けたセクハラは勿論、全体的に男尊女卑の精神が根底にあるように感じていた。
私自身の立場の話を多くしたが、これは裏を返すと彼自身もまた「男だからこうあるべき」に囚われていたのではないかと今なら感じる。
「男だから彼女より仕事を頑張って稼がなきゃ」
「男だから年下でも威厳を保たなきゃ」
このようなこともプレッシャーになっていたのかなとも思う。
そして彼女である私に対しても
「こういう服装であってほしい」
(現にオフィスカジュアルのような服装を求められていた)
「ショートヘアでなく、もっと伸ばして欲しい」
など「理想のあるべき女性像」に私をはめようとしてきていた。
(私は最後まで華麗にかわしていたが)
そういえば付き合い始めた時にも、「女子はちょっとバカな方が可愛い」とか言ってた。
その時は聞き流したがあれは聞き逃してはいけないことだった。
社会人になってほとんど初めての彼氏だったから、違和感を違和感として認識できていなかった。
彼の父親も彼の母親に対して会話の中で冗談で「俺をバカにしてんのか?」という発言をしていた。
彼の両親も、男の子だから勉強第一で基本的な生活習慣などを身に付けさせることはしていなかった。
彼の母親に彼の生活態度を相談しても、彼は片付けができなくても仕事では優秀だからと取り合ってくれなかった。
男尊女卑の差は家庭によってまちまちだと思うが、とにかく私の経験では地方の政令都市でもこのような状況だったし、特に彼の家ではジェンダー・バイアスが強かったんだと思う。
地方を去る女性たち
元カレとの経験から、私はネットで検索しているとある記事とそこに寄せられたコメントにたどり着いた。
印象的だったものを引用したい。
地方からずっと脱出したくて、大学進学のタイミングで東京に行こうと思ったのに親に止められて進学できず、就職でなんとか東京の会社の内定をとって地方から脱出して東京に引っ越せた。
東京は家賃も物価も高いけれど、結婚しない女性も子育てしない女性も仕事を頑張る女性も当たり前に存在していて、とても生きやすい。
地方を脱出して東京に引っ越して、本当に良かった!
軽い気持ちで地方を脱出なんかしてない。
幼少期からの「女なんだからこうしなさい」という縛りのしんどさの積み重ねで、超強い意志で脱出してる。
私は数年前にある本を読んだことがきっかけで、それまで透明で見えなかった男尊女卑の世の中が少しずつ見えるようになりました。
腰の痛いはずなのにずっと台所で料理する祖母と何もしない祖父、女性のタレントになれなれしく「ちゃん」づけする男性芸人、ニュースで夫婦の名前が映し出されるときはなぜか夫のみがフルネームなど、気をつけてみるとなんでこんなにも男性優位な社会なのだろうと思うことがたくさんありました。
今回の番組の内容も、あの時読んだ本のように私には今まで透明で見えなかったものを見えるようにしてくれるものでした。
私は来年から地元の地方で働く予定の若者です。
コメントにある皆さんの嘆きが少しでもなくなるように社会の中でもがいてみます。
時間はかかるかもしれませんが、誰もが住みやすい地方の実現に向けて頑張っていきましょう。
地域の子育て制度や働く機会創出の充実も分かりますが、いくら制度を充実させたとしても人はそれよりも自由を選ぶと思います。
自分を否定される様な場所に人は居続けられません。
これは女性が変われるよう取り計らうの問題ではなく、父母、祖父母世代こそ変わる社会にして行く、番組内では行政、企業の協力も必要とのことでしたが
時間はかかりますが個々人への啓蒙を地道に行っていかないと未来が無いように感じました。
一時期、甲信越地方に数年ほど移住してました。
余所者目線でもジェンダー意識の低さは随所で感じました。
衝撃的だったのは、ファミレスで遭遇したセクハラです。
平日日中から飲んでる初老の男性2人が若い女性のスタッフさんに平気で「お姉さん子供何人いるの?」「へえ?4人も!結構"好き"なんだね?笑」と大声で酷い絡み方をしていて、耳を疑いました。
自分自身も消滅可能性都市に生まれた20代女性ですが、地元に愛着が無いわけではないですが、地元には医療系、介護職、役場くらしか仕事がなく、そこそこの学歴がある人が就く仕事がありません。魅力的な仕事があり、保育施設の第一子無償化、無痛分娩など子育て支援にも力をいれている東京に人が集まるのは必然だと思います。
男女ともに大卒など学歴があり、キャリアを築きたい人は地元に残っても宝の持ち腐れなので、残るのは田舎のマイルドヤンキー的な人に限られると思います。
女性の本来の役割は家事育児、男性の心身を支えることであり、社会で仕事をするというのはいわばわがままである。働いてもよいが、あくまで本来の役割を忘れないように。そして、いろいろなことはあるが結局はそれが女性にとって最も自然で幸せなことなのである。 そういう思いこみは今でも根強い。女性も男性と同じ人間であり特に若い時は、自分の力をためしたい、自分に合ったことを選択したい、社会の中で力いっぱいはばたきたいという希望を持っている。人のサポートという仕事は魅力がない。大事な人を支えるというのは喜びではないか、という向きもあるだろうが、それなら男性で、自分のキャリアは諦め優秀な女性の心身を支え生活を守ることを何よりの幸せと思う人がどのくらいいるだろうか?男と女は違う、というのも幻想である。地方ほど、夫や家庭や地域に奉仕することを「喜びとしない」態度を見せる女性はバッシングをうけるように見受けられる。
私の母親の考え
私の母親は男尊女卑に従う傾向はあったように思う。
お盆やお正月の時は台所で手伝いなさいと言ったり、女の子なんだから就職を地元でして親の近くにいて欲しいなど。
1.女の子だから手伝いなさい
台所での手伝いに関しては「女性だから」手伝うのではなくて、祖母や母親にだけさせるのは申し訳ないから、少しでも協力したくて手伝っているからあまり拒否感は感じてなかった。
あくまでも一人の人間として、純粋に大変そうだから手伝っているだけ。
当然従兄弟の男の子は何も言われていないが、その従兄弟の彼も時々手伝っている。
時代は令和だ。
2.就職や結婚は地元でして欲しい
しかしながら大学時代の就職活動の時には母親と喧嘩をした。
55歳の母親曰く女性は結婚を実家の近くの人と結婚して実家の近くで子育てするのが一番幸せだと言っている。
何ならあれから5年も経った今もそういっている。
自分がそうだったからといって、私にもその価値観を押し付けてこないでとも思う。
けれど果たして本当に幸せなのだろうか?
人の幸せの価値観は人それぞれだから、母親にとっては今の環境は恵まれているのかもしれない。
私の母親は私を産んだ時に専業主婦になり、母親自身の実家も車で15分くらいで行ける場所だ。
そのお陰といっては言い方が良くないかもしれないが、体が不自由になった祖父母の家に2日に1回行き、買い物をして持っていったり、家のことを手伝ったりしている。
ただ、急激に足腰が悪くなった祖母は介護認定で要支援が認定されているが、福祉にしてもらえることは僅からしく、母親が本当に頻繁に行き、色々としている。
それについて、母親は今は看護師を離職している兄の妻にもっと手伝って欲しいと嘆いている。一人では体力が持たないと言っている。
ちなみに母親の兄は現役世代でフルタイム勤務をしている。
兄の家族も車で20分ほどの所に住んでいるから、同じように手伝って欲しいらしい。
けれど全くノータッチらしい。
もし、母親が若い頃から今にかけて働いていたら、どういう風に違ったのだろう。
遠くに住んでいたらどう違ったのだろう。
しんどい思いをしながら、娘がサポートしてあげるのは、双方にとって本当に幸せなんだろうか。
母親が産後働けなかったのは、「甲状腺機能亢進症」を発症したこともある。だから仕方ない面もある。
私が遠くに住むことは、遠回しに親不孝だと母親には言われる。
けれど大学時代は反対を押しきって、
「私は県外に出て、自分の視野を広げたいしもっと知らない世界を知りたい」
そういって地元の企業は全く受けなかった。
そのまま就職すると自分の未来が見えてしまって、可能性を狭めてしまうように感じていた。
本当にあの時は県外に出て良かったと思う。
おかけで県内にいたら出来ない経験を色々とできた。自信も昔よりついた。
3.地元の企業を受けなかった理由
地元の企業を受けなかった理由は他にもある。
営業のインターンシップに参加した時、軽いセクハラを受けたこと、そして営業職で入った女性はゆくゆく営業事務になることが決まっていたことが理由だ。
本当にセクハラなんかあるんだと衝撃だった。
そんな狭い世界で入社して嫌な気持ちになるのが目に見えているのに、ここで働こうなんて微塵も思えなかった。
私の父親と祖父母の考え
父親や祖父母は女性だからこうしなさいとか言わない人達だから、まだ地方にしては先進的な考えで接してくれていると思う。
父親も女性だからといって言い意味で育て方を容赦しなかったし、祖父母も内心では結婚について心配しているかもしれないけれど、特に祖母は20代はしっかり仕事やプライベートで自分のしたいことをしなさいと言ってくれる。
祖父母は皆若い時は大阪や神戸や岡山市など都会に住んでいた。
その経験も少なからず影響しているのかもしれない。
それから、結婚は地元に拘らないでいいとも。
結婚したら遠くへ行く人もいるんだから、と言ってくれる。
田舎だけど祖父母は理解があると思う。
田舎特有の不思議な「しきたり」
ただ田舎特有の文化は祖父母や両親の行動に影響を与えていると思う。
1.「おかんき」という風習
例えば地域のことで言うと、実家の地域では「おかんき」と言って毎月ある日に地区の人がお寺に集まり、そこでお経を唱えて和尚さんの話を聞くというトータル30分くらいの集まりがある。
コロナ禍にようやくお寺で開催されるようになったが、それまでは地区の人一件一件が毎月当番制で、個人の自宅に地域の人が集まっていた。
私の実家の当番の時は、近くの同じ地区に住む祖父母の家を借りてそこに地域の人に集まってもらって、和尚さんも招いていた。
そこでのお茶出しはその家の担当の女性が行う。
私も小学生の時は毎回手伝わされた。
当時はあまり疑問に思わずに行っていたが、中学生になってからは何故女性だけにさせるのだろうと思うようになった。
毎月それに必ず参加するというしきたりがあるので、母親は毎月その日の夜は必ずその為に予定を空けている。
おかんきはそのお寺に関係のあるご先祖様を毎月弔う意味、そしてそのご先祖様がいたことで私たちは日々平和に暮らせているのだという感謝の気持ちを表すために行われている行事でもある。
そして、その行事を通して地域間で人々のコミュニケーションを図り、繋がりを保っていこうという意図もあるのだと思う。
しかし、毎月は負担が大きいように思う。
それになんの疑問も思わずに参加している母親。
母親世代の人で私の同級生の母親の中には、途中からもうこのような行事には参加しませんと宣言した人もいた。
2.結婚の時の「挨拶回り」
そしてもう一つ。
この地区で生まれ育った女性が結婚をする時には「挨拶回り」と言って、20件以上ある家に一件一件回って結婚の挨拶をする風習があるのだ。
つい先日同じ地区の34歳の女性が結婚をしたので挨拶回りをしにうちに来た。
挨拶の時には夫婦揃って回るのが普通らしく、夫となる人も一緒に挨拶に来たらしい。
近所ではやっと結婚した、いつ結婚するのかと思ってたわ、旦那は26歳で6歳も下の人らしいと噂になっていた。
正直噂されて可哀想だと思った。
自分がその立場なら本当に嫌だ。
本当に何なんだろう、余計なお世話すぎる。
既に今から挨拶回りなんてしたくないと思う。
都会では30代での結婚は当たり前だし、いちいちそこに話を広げたりしないだろう。人はそれぞれ結婚においてタイミングや事情があるのに、一つの価値観に当てはめて考えるのは何て視野が狭いのだろうとうんざりしてしまう。
同世代の感覚
上記について、驚く人もいるだろうが2025年の令和でも未だにこんなことが地方で風習として残っているのだ。
信じられるだろうか?
私は正直こんなこと信じたくない。
以前の会社の同世代の人たちに話すと、
「今の時代にそんなことをまだしてる地域あるんですか?ヤバイですね。関西に出てきて正解ですね。そんなところ住めませんよ。」と数人から言われた。
私たちの世代からするとその感覚が当たり前だと思う。
私も「おかんき」、そして結婚の為に地区の人々に挨拶するというのは正直理解出来ない。
特に結婚の時に何故地域の人に挨拶をして回らないと行けないのか理解が出来ず、何度か母親と喧嘩をしている。
もう27歳の私は、あと5~6年もすればこの地域での噂になるのかと思うと本当に嫌だ。
まあ、住むのはきっとこの地区ではないからいいのかなとは思うが、果たして将来のパートナーにその風習を理解してもらえるのだろうか。
こんなことでギスギスしたくない。
22歳の妹は既に関白宣言ならぬ「生涯独身宣言」を両親にしている。
(だから妹は「姉ちゃん、孫は頼んだ」と言ってくる。それもそれで余計なお世話だと思う。)
私やっぱり上京したいかも
我ながら書いていて「いつの時代の話をしてるんだよ」と可笑しくなってきた。
やはり結婚は都会でするのがいいんじゃないか。
自分の両親は何とかなっても、結婚相手の両親が上記の価値観だとしんどい。
中途半端な地方都市ではなく東京で。
できれば東京都出身の人がいい。
地方の人との結婚は出来ない気がする。
もっと見える世界を広げたい。
地方にも理解がある人や視野が広い人もいるだろうけど、相対的には少なくなるような気がする。
私たちは「ジェンダー・バイアス」から自由になりたいだけなんだ
2025年のこの時代においても、なぜこんなに男だから、女だからという考えに支配されなければいけない場面が多いのだろう。
Z世代と言われる私たちでも、この問題に苦しまないといけないのが悲しい。
意識せず、流されるように居られる人は楽なのかもしれない。
けれど義務教育から男女平等の中で育ってきた世代の私たちが本格的に社会に投げ込まれると、様々なジェンダー・バイアスに支配されていることが多すぎる。
どうしたらたくましく世の中を渡れるのか。
環境を自分で選択することで、自分自身が生きやすくなるんだろうか。
リベラルな生き方を選択したいと思ったら、そのような環境を自ら選び取ることが必要なのかもしれない。