マガジンのカバー画像

ドットコム起業物語~蹉跌と回生のリアルストーリー

39
90年代終わり。いまや伝説となったビットバレーに飛び込み起業した20代の青年がバブルの波に翻弄されながらも楽天へと企業売却するまでの、蹉跌と回生のリアルストーリー。 起業におい…
運営しているクリエイター

記事一覧

第1話 俺は懲りていないのだろうか

46歳の誕生日に、人生で二つ目の会社を設立しました。So Good Groupといいます。 我ながら、懲りない男だと思います。一度やって、もうこういうのは、やめよう。って思ったのに。 どういう訳か、中学生ごろから、早く東京に行って、社会人になって、仕事がしたいな。こんな学校の勉強とか、意味ないしって。周りに対して、「俺は先に行くぜ」って。妙な対抗意識のようなものを抱えて生きてました。 事業に成功して、お金を稼いで、かっこいい男になって、自由に生きるんだって、どこかで思っ

第2話 ジャックには勝てるはず

← 第1話 事業計画なんて、書いては捨て。書いては捨て。その繰り返しです。NetAgeの西川さんは、軽く100以上ビジネスプランを書いたと言っていました。(それはちょっと病的ですのでオススメしません) 僕らが最初に考えた、フードデリバリーの注文サービスで起業する計画は、外食業界を営業開拓していくのはしんどそう。という、とても真面目な理由から、見送りにしました。 松涛のNetAgeオフィスにたむろさせていただくようになり、1-2ヶ月ほど経ったでしょうか。あっさりと会社を辞

第3話 GEとオラクルと俺

←第2話 2000年2月。日経新聞の朝刊に記事が出た途端に、僕らの会社はモテ期に突入します。メディア関係、ベンチャーキャピタル、人材紹介や派遣関係者、リクルート。それからリクルート。あとはリクルート。色んな方々からのメールや訪問が舞い込みます。 「うちと組みませんか。講演してくれませんか。会に参加してくれませんか。」このタイプの甘美な誘惑は、なりたてホヤホヤで目立ちたがり屋の若手社長(オレ)から「時間」と「謙虚」さを徐々に奪っていきました。 流石にちょっと経験すると、講

第4話 それはノイズか、シグナルなのか

← 第3話 その年の、ゴールデンウィークをどう過ごしていたかは、あまり覚えていません。 連休突入前、我がプロトレード社内は、GEとオラクルからの2億円ゲットのニュースに沸き立っていました。創業メンバー4人と、社員1人。あとはアルバイト2人ほどでしたでしょうか。それぞれが、次のステージへと進めることに、安堵感と期待感を持って、連休に入ったと思います。 Protrade.ne.jpは、ネット上で簡単に相見積もりがとれて、地域の離れた企業同士でもビジネスができる、会社と会社の

第5話 光と音の残像

←第4話 その時の会話は、ほとんど記憶に残っていません。 いや、むしろ人間が持っている、心の防御本能が作動して、「強制的忘却」というプログラムが走ったのではないか。とも思います。 しっかりと覚えているのは、その時の光景と、その方の声です。心に負荷がかかると、光と音を、僕は記憶するタイプなのかもしれません。 光 - プロトレード 社は「ピジョン松涛」(鳩さんかよ)という、渋谷bunkamuraを、少しすぎた先。松涛のお屋敷街の入り口にあるビルの、3Fに小さなオフィスを構

第6話 ショートライド

← 第5話 サーフィンをやる方は共感していただけると思いますが、波乗りはビジネスにたくさんの示唆を与えてくれると思います。 一番岸から離れた、波が割れ始めるポイントからうまく乗れた人は、岸辺までのロングライドを楽しめます。アメリカ(シリコンバレー)経済はその波を、95年8月9日のNetscape上場の日から、がっしりと掴み、ライドしはじめました。 日本では、その頃、孫さんはゲーム卸事業から転換し、96年にYahoo! Japanを創業。目ざとく波を掴まえはじめます。

第7話 超せない夏

← 第6話  陸上の5000メートル競技で、トップを走っていたランナーが、残り1周あったのにゴールだと勘違い。ガッツポーズでウィニングランに入ったが、間違いに気づきトラックに戻るも時遅し... この動画が僕に語りかけてくるポイントは、「五輪メダリストでもこんなミスをするんだ」ではなく、彼が間違いに気づいてから、走り直した後のスピードです。 身体は向かおうとするのですが、脳が切り替わっていないのです。 「あと一周残っていると気づいて、走り直したとしても、ゴールに到達した

第8話 大志満とジェントルマン

←第7話 ネットバブルはパーンと破裂したのですが、実際には、瞬時にリセットが起きたという訳ではありませんでした。事業活動の現場と、株式市場の動きには、やはりタイムラグがあるようです。 どうしてそうなるか、ということを振り返りますと、 タイプA  祭りの終わりを察し、さっと引き揚げる人 タイプB  祭りが終わって、片付けに時間がかかる人 タイプC  祭りが終わったことに、気づかない人 大まかには、この3タイプの事業プレイヤーが世の中に存在して、レイヤーのように重なってい

第9話 ビンテージデニムの男

← 第8話 当時の、日本のベンチャーキャピタル(VC)業界は、昨今の姿に比べれば、少し滑稽な状況だったのかもしれません。 普通に考えれば、VCも金融サービスなので、行動原理はおおかた同じ。であるはずなのですが、まだ業界が勃興期で経験不足だったということもあったのでしょう、誰もかれもが外資ファンドのように手仕舞い。または、賢く引き締めをした訳ではありませんでした。 実際には、投資といいつつ、融資のような感覚(と、手法)で業務にあたられていた、オールドスクール派のVCも多か

第10話 遥かなるバレー

← 第9話 そんなこんなで、後ろ髪を軽く引かれつつ、アイシーピーさんからの出資オファーはお断りしました。 こうなると、いよいよタイプCの投資家を巡ることになります。 タイプA 祭りの終わりを察し、さっと引き揚げる人 タイプB 祭りが終わっても、片付けに時間がかかる人 タイプC 祭りが終わったことに、気づかない人 お会いしていたのは、地方関係、銀行関係、公的資金関係の投資機関だったと思います。 徐々に訪問先のオフィスは狭く、汚くなり、やれたスーツ姿の担当者が増え、我々

第11話 センター街の亡霊

← 第10話 2000年8月。全取締役の給与はゼロになりました。 この給料支払いストップの現実が、持ち前の闘志に火を注いだのか、創業メンバーの佐藤さんが、がぜん動きだします。 おっのぽーん、こうなったら、死ぬ気で営業っすよー。 ガシガシ広告で売上つくるしかないですわよー 彼女は、別に帰国子女でもないのに、言葉遣いとリアクションが日本人離れした長身ビジネスウーマンです。 「ちゃんと俺のことを社長と呼べ」と心の中で思いながらも、言い出せないほどの圧(失礼、熱量)を持つ女

第12話  将軍との邂逅

← 第11話 ふと、オフィスで顔を上げると、高めのヒールを履いて、さらに長身となった、戦闘モード全開の佐藤さんが目の前を塞いでいました。 おっのぽーん。広告、売れましたですわよー。 ぬほほほ。 プロトレード 社に、はじめて売上が立った瞬間でした。どうやって売ったのかは今もって謎ですが、できたてのウェブサイトのバナー広告が、いい値段で売れたのです。インプレッションとか、クリック単価とか、ちゃんと割り出したら、ありえない金額で。 ここで、「優秀な部下が成果をあげ、してやっ

第13話 君は狂人になれるのか

← 第12話 日本最大のB2Bサイトを目指して出航した矢先に、大海原で羅針盤が故障してしまったProTrade号。景気の「なめらかな下り坂」のもと、奮闘は続いていきます。 足もとの、新規登録はぼちぼち、取引成約もぼちぼち。なんというか、ブレークしない売れない漫画家状態でした。毎日のように「いきなりバズって大化けしますように」と祈っていたと思います。 さて、8月末。いよいよガソリン(運転資金)が足りなくなってきました。 当時の僕のメモには、メンバーとの個別ミーティングの

第14話 沖からのうねり

← 第13話 2000年9月初旬の、とある日、新宿パークタワーの高層階。巨大な会議室の、やたらと対面との距離が遠い、幅広の長テーブルの真ん中で、僕はある男と向き合っていました。 彼の背後、一面のガラスには、広大な関東平野と、くっきりと縁が浮かぶ富士山。なんとも雄大な景色が広がっていました。 その男は、その景色を、まるで我が物のように支配しているかのようにも見えるし、でもなぜか、支配されているようにも見えるのでした。 それは、山脈の陰に落ちてゆく夕陽が綺麗な、夏の終わり