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第6話 ショートライド

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サーフィンをやる方は共感していただけると思いますが、波乗りはビジネスにたくさんの示唆を与えてくれると思います。

一番岸から離れた、波が割れ始めるポイントからうまく乗れた人は、岸辺までのロングライドを楽しめます。アメリカ(シリコンバレー)経済はその波を、95年8月9日のNetscape上場の日から、がっしりと掴み、ライドしはじめました。

日本では、その頃、孫さんはゲーム卸事業から転換し、96年にYahoo! Japanを創業。目ざとく波を掴まえはじめます。

三木谷さんも、興銀を辞めたのは95年。M&Aアドバイザーをされつつ、楽天創業に向けて走りはじめてます。

僕らプロトレード がその波を拾ったタイミングの2000年は、ざばーんと波が白く砕け散って、残りかすのような波が、パワーなくビーチに届く、直前くらいだったのでしょう。

4月末。まさに日本のGW連休突入とともに、ドットコムバブルは砕け散りました。

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予兆に、どうして気づかなかったのか。
もっと急がせればよかったのに。
なんで他の話を進めてなかったのか。
西川さんのばか。

怒りの次は、嘆きです。僕はそんな、答えのでない問いばかりを、自分にあてて繰り返しながら、センター街をウロウロしていたと思います。

ウォークマンをしっかりと耳に突き刺して、Rage against the machineのBattle of Los Angelsをヘビロテで聴いていました。ザック・デラロチャが連発する、Fワードが、細胞の隅々まで染み渡るようでした。


ふり返りますと、2000年1月のTime WarnerによるAOLの買収(17兆円。いまだに歴史上最高額の買収)の際、健全な投資家は手仕舞いを始めていたのでしょう。その頃の渋谷はまだユーフォリアに包まれていました。

次に、3月。WOLという、何の特色もないヨーロッパのポータルサイトがオランダで、時価総額1.5兆円のIPOをかまします。

その頃から、渋谷界隈でも、流石にオカシイだろう?という雰囲気が広がっていたように思います。「チューリップ・バブルの再来か?」という記事を、日本でもいくつか目にしました。ここのタイミングでは、僕も内心、心配をしはじめていたと記憶しています。

それは運命だったとしか言えませんが、プロトレード社が創業したのは、それらの象徴的な出来事の、ちょうど中間。2月だったのです。


投資・ギャンブル・ビジネス、全てに通じると思うのですが、長い間、時間と労力を投じて準備してきて、ここだ!と思ってBetし、何らかの「ゲーム」に参戦したとします。

そのあと、旗色が悪くなったとしても、人間はえてして、都合の悪い情報やアドバイスを、無視したり、または、逆に都合のよい情報へと、脳内変換してしまう傾向があります。

「俺があれだけ考え抜いたのだから。あれだけ周到に準備したのだから」

サンクコストってやつです。それが大きくなってしまうと、自己正当化というプログラムが頭の中で走ります。


一旦、風呂敷を広げてしまうと、たたむのは大変な勇気とエネルギーと、これが大事なのですが、「恥をかく覚悟」が要るのですが、当時の僕にそんな知恵はありません。

「これは一瞬の出来事で、またすぐ良くなるだろう。まだ他に、資金の出し手はいるだろう」と、言い聞かせている自分がそこにいました。

(ちなみに、時代は飛びますが、恥をかくことを厭わない力は、僕が前澤社長に見た、彼の強みの一つです)

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