第2話 ジャックには勝てるはず
事業計画なんて、書いては捨て。書いては捨て。その繰り返しです。NetAgeの西川さんは、軽く100以上ビジネスプランを書いたと言っていました。(それはちょっと病的ですのでオススメしません)
僕らが最初に考えた、フードデリバリーの注文サービスで起業する計画は、外食業界を営業開拓していくのはしんどそう。という、とても真面目な理由から、見送りにしました。
松涛のNetAgeオフィスにたむろさせていただくようになり、1-2ヶ月ほど経ったでしょうか。あっさりと会社を辞めてしまった僕は、早く起業をしなきゃと焦りながら、日々思考を巡らせていました。
当時、Red Herringというアメリカのテクノロジー雑誌がありました。(当時、起業志望者がそれ読んでないとモグリっていわれてたやつです)
急に編集のトレンドが変わり、これからはB2B の時代。企業間取引市場、eMarketplaceなどの、お洒落なキーワードが生まれていました。
素直に、僕がやりたいのはこっちだ!って思いましたね。店長さんを口説くより、スーツ着ている人を口説く方がイメージが湧きました。
時を同じくして、中国ではジャックってやつが、頭角をあらわしはじめていました。僕は、こんなルックスの、ただの英語教師だった奴には勝てるな。って思ってました。あのジャックに対して。はい、本気で。
とにもかくも、勢いが出てきました。いよいよ念願の起業です。会社の名前は、プロと、プロをつなぐ取引所。という意味を込めて、ProTradeとしました。当時のトップページはこんな感じでした。
かねてより声をかけてきていた、前職の仲間たちが3名、一緒にやると言ってくれまして、嬉しかったです。
決起集会というか、顔合わせの飲み会が、渋谷センター街近くの店で開かれました。僕の乾杯の挨拶は、正確には覚えていませんが、
「3年で上場する!みんなもフェラーリが買えるぞ!」だったと思います。
この時期のことを振り返ると、反抗期の写真がダンボールの奥から出てきた時のような、独特の痛みが胸に迫ってきます。
僕らの創業ニュースは、日経新聞の朝刊にガッツリと記事になりました。今でもアーカイブが残っていますが、こんなことが書かれてます。
インターネットの力を活用して「エクセレント・スモール・カンパニーの創出」を目指し、3年後(2003年3月)に10万社のセラー加盟、年商約53億円を見込んでおります。オープン記念として、「ご利用料一切無料」のキャンペーンを実施いたします。
会社を創っただけで、日経朝刊の記事になるんですよ。このリリースのまま、53億円を見込み、早期上場を目指す。と書かれていました。当時のネットバブルがいかに異様だったかが分かるエピソードではないでしょうか。
僕らの快進撃?は、ここからスタートします。ただし、それはとても短かったのですが。
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