雑記49 ドストエフスキーを知りたいならば「作家の日記」を読むのが良い、という小林秀雄と河上徹太郎の意見
雑記 ドストエフスキーを知りたいならば「作家の日記」を読むのが良い、という小林秀雄と河上徹太郎の意見
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■ドストエフスキーという人をよく知りたければ、「作家の日記」を読むこと、という意見
小林秀雄と、その友人の批評家 河上徹太郎は、
「ドストエフスキーという人間を本当に理解し、把握したければ、その鍵はドストエフスキーの連載「作家の日記」にこそある」 という意見で一致しているようである。
作家の日記は、1870年代に、ドストエフスキーが自身のその時々の意見や考えを、思うがままに吐露したものと説明して良いように思う。
余談① (ちなみに、1870年代のうち、1870年は例えば、普仏戦争があり、フランスがプロイセンと交戦の末、敗北し、その後、パリではパリコミューンという勢力が発生して、フランス政府とパリコミューンとの大規模な戦闘が発生するというヨーロッパの中の混乱が盛んな時期であった。)
余談② (パリコミューンの騒動の一部始終を描いたのが大佛次郎(オサラギ ジロウ) の「パリ燃ゆ」であって、河上徹太郎は、このパリ燃ゆ を激賞していた。大佛次郎は、後に最後の作になる「天皇の世紀」を連載して、小林秀雄と河上徹太郎は共にこの「天皇の世紀」を絶賛している。)
この 作家の日記 は、自分としては入手方法はそんなに現在手頃ではないように感じている。
ドストエフスキー全集の中に、上下巻として2冊分の座を占めている。それを古本にて入手する道と、かつての文庫版のものを電子版にて入手する道とがある。
(比較すると、ドストエフスキーの罪と罰、白痴、悪霊、未成年、カラマーゾフの兄弟などは文庫版などが新品で今も容易に入手でき、また、中古でもそれらは容易に数多く出回っている。
作家の日記の中古市場の出回りの数は、それらよりずいぶん少ないのではないかと自分は思っている。)
■「作家の日記」の記述と、カラマーゾフの兄弟の描写の一致点、イヴァンの主張
作家の日記について、自分の中で正直 時系列が整理されていないが、カラマーゾフの兄弟の執筆よりも以前の段階で、ドストエフスキーは例えば、「ある種類の人々が不当に悲惨な目にあっている」ことを伝える新聞記事を読んで強い印象を受けた、と書いている。
ドストエフスキーは、世の中の片隅でなされている「ある種の人々の不遇」について、自身の感じる怒りの感情を熱烈に書いている。
ドストエフスキーは新聞雑誌を実に熱心に読んでいて、強い印象を受けた記事(特におそらくドストエフスキーをひどく不快にさせ、怒りを感じさせた記事を中心に) を スクラップブックなどにコレクションして、継続的に参照し、それに対する意見や見解を膨らませていく習慣を持っていたように思える。
そうした膨らんだ、ドストエフスキーの記事に対する見解は、熱心に彼の「作家の日記」の中で語られる。
小林秀雄と河上徹太郎は、ドストエフスキーのそうした筆の運びについて「くどくどと」という表現をしているが、「作家の日記」に読者として付き合っていくと、本当に「くどくどと」書いていることがわかる。
その後、時間が経った後に執筆されたカラマーゾフの兄弟の中で、
カラマーゾフ家の三男アリョーシャに対して、次男イヴァンは、「ある種の人々が、世の中のある場所において、不当な不遇な扱いを受けている」ことについて自分は激しい怒りと憎悪を抱いている、と伝える。
イヴァンの話は実に熱心で、「くどくどと」語られる。アリョーシャは信仰を持っているが、イヴァンの話はアリョーシャの信仰に対して疑いを投げかけるようなものであり、アリョーシャはうろたえる。
(例えばこういうところに、岡潔の言う「アリョーシャは善人ですが、ゾシマのような堅実さはありませんね」という意味の言葉が当てはまる。)
(このイヴァン対アリョーシャ の対話のシーンを、例えば、チャプター XX において記述されている、などと指し示して言えるともっと良い。)
この時のイヴァンの話す内容や論旨は、確かめると、基本的に、「作家の日記」において、かつてドストエフスキーが熱心に自身の日記的連載に書いていたことと「ほとんど同じもの」なのである。
おそらく、「作家の日記」の時よりも、イヴァンの言葉として語られる時の方が意見はブラッシュアップ・洗練され、肉付きは豊富になっているが、基本的な性質は同じものといっていいのである。
自分はあまり手厚く「作家の日記」とまだ付き合いを持てていないので、手早くサッと挙げられるエピソードというとこれくらいなのであるが、おそらくもっと時間をかけて親しむと、「作家の日記」の中に、あれこれと他の作品の具体的な記述との一致点・つながりを発見する余地は多くあると思う。
ドストエフスキーの、特にカラマーゾフの兄弟など後期作品( 「作家の日記」連載の盛んになった1973年以降の作品) の 各部の源泉は、「作家の日記」の中に散りばめられているのではないか、と思っている。
■自分のほのかな願望、同じ方向を向いた学習仲間を得られたら嬉しいと思っていること
筆の気まぐれで脈絡のないようなことを言うようだが、自分には、一つの ほのかな願望がある。
自分の歩んでいる(つもりの) 過去のすぐれた文学作品群に対する愛読、熟読、沈潜、ひらたく言えば「気長な研究の道」は、自分一人だと宝物が多すぎてどうにも消化不良の感じが強くなる。
自分一人の可処分時間で消化できる分量を超えた分量の「是非読みたい本」が待ち構えている。
こうした状況は、嬉しいことでもあるが、困ったことでもある。
桑原武夫は、何人かで共同して、ルソーという「大きな」著作者の作品群を研究していたように思う。
そうした話を聞くと、一人で作品の探求を続けるのも良いが、それと並行して、真に気の合う学習仲間・探求仲間を得られたら、何かと都合が良く、また面白く楽しいであろうと思うことがある。
何人かの、熱意や好奇心のある、自分と "割と" 同じ方向を向いている探求者(それはかなりゆるいつながりでも良い) を持てたらいいな、という願望を持っている。
自分の手の回らない文献の探索を好んで行い、その中の栄養になりそうなものを互いに共有などができる探求仲間を幾人か得られれば、心強いし、刺激をもらえるし、にぎやかで、何かと血行も(肉体の血行もだが、心の血行も)良くなって 良いのではないか、などと思っている。
「作家の日記」にしても、分量が多く、自分一人では、手が回らない。
網羅的に読み尽くしていくばかりが文学探求の全てではないだろうが、やはり人手があって、作品内を協力して散策することができたら、何かとさらにはかどって、もっと面白いのではないか、などと空想している。