いのちあるかぎり、触れて、生きて
爽やかな風が吹く黄昏どきだった。
6月2日夕、LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)。色とりどりのファッションに身を包んだ人たちがローソンで発券したチケットを手に会場へと入っていく。午後6時半を回り、自転車で現れた行天と合流して会場へと足を踏み入れた。
これから行われるのは音楽ライブ、中村佳穂(以降、親しみを込めて「佳穂ちゃん」と表記させてもらう)の「うたのげんざいち2021」だ。久しぶりのライブに胸が高鳴った。会場でグッズを買って準備を整えた。
午後7時を過ぎると暗転し、佳穂ちゃんがトコトコと舞台袖から中央へと登場した。スポットライトが灯る。佳穂ちゃんはコードのついたマイクをもち、歌うことよりもまずは客席に向かって言葉を発した。
「16ヶ月ぶりのライブです」
佳穂ちゃんの言葉に鳥肌が立つ。
新型コロナウイルスの感染拡大を受けライブがどんどんと中止になり、最後のライブから1年を超える歳月が経っているということだ。
ライブ(仕事)が1年以上無いというのは、生活においてどんな意味を持つのだろう。佳穂ちゃんはアーティストだから、会社員の私とは訳が違う。それでも、ライブをやらずに音楽を作るだけで、時には配信ライブをやっていたとはいえ、なかなか採算も見込めず苦しいものがあっただろう。そのことを想像するだけで涙が出そうだった。
そしてアーティストは、お金を稼ぐためだけに活動を行なっているわけでも無いはずだ。そこは大丈夫だったのか…。 佳穂ちゃんは表情を柔らかくしながら言った。「私は音楽がないと死んでしまうとかでは幸いなかったです。楽しい時に歌ったり、踊ったりしたい人だったので、家でピアノを弾きながら歌ったりしていました。あと初めて、ピアノに励まされたりもしました。そんな日々でした」
彼女の中に溜まった感情がこのライブで発露するのだろうと直感めいたものがあった。
ライブが始まるとそれは予想通り、歌声から感情が溢れ出してくるようだった。
バンドセットで奏でたアップテンポな「GUM」では一言一言が瑞々しかった。「アイアム主人公」では、佳穂ちゃんが”アイアム主人公!”と歌いながら拳を握る姿に、彼女の生きる力を感じた。
バンドセットの後、グランドピアノの弾き語りでは「忘れっぽい天使」を朗読のように歌いきり、切なさややるせなさ、寂しさを大切に抱擁している姿が見て取れて、目頭が熱くなった。
最後には”あぁもう!”という歌詞から始まる「そのいのち」を、4人のコーラスを交えて歌い、多幸感を会場に充満させて笑顔で舞台袖へと消えていった。 私の耳には「そのいのち」の歌詞である”いけいけ いきとし go go!”が、生への肯定として響き続けていた。
ルーティンだけをこなしているような日々に少し亀裂が入った気がした。 佳穂ちゃんが私と同じように楽しさや寂しさを感じながら歌っている姿にカタルシスを感じた。私の中にある 新しい仕事に慣れてきたが、一方で日々感じていたモヤモヤというものが少し晴れた気がした。 佳穂ちゃんから活力をもらい、明日からまた頑張っていこうと素直に思えたライブだった。
「めちゃくちゃ良かったわ〜本当に」
「だな。俺はめちゃくちゃトイレ行きてぇ」
私と行天はそんな会話をしながら会場を後にした。 緊急事態宣言中のため飲食店は空いていないから、コンビニでカップの焼きそばを買って、人のいない場所を見計らって腰を下ろした。
話題はコロコロと流れ、新型コロナウイルスの話になった。 私たちの生活は、マスクをしたり大人数での会合を避けたりする新しい生活様式へと変わり、海外には簡単にいけなくなった。 行天はその新しい生活様式に抑圧されているとはそこまで感じていないようだ。
「くだらない飲み会がなくなったのは本当にいいことだと思っているんだよね。無駄な時間を過ごしたり、変に金がなくなったりすることもないしな。コロナ対策はバッチリするけど、会いたい人にはあえるし、そこまで生活を制限されているわけではないじゃん」
反対の気持ちはなかった。だけど言う。
「だけどさ、好きな人にも会えなくなる瞬間があるじゃん。緊急事態宣言出ているからちょっと今回はやめておこうとか」
「緊急事態宣言とか気にするの?だって普段からめちゃくちゃ気を付けているでしょ?マスクするとか手洗いとか消毒とか」
「それはそう。だけど一緒に暮らしているパートナーが不安がったり、そもそも店が空いていなくてなかなか集まれなかったりさ、そういうことがあるからだよ。緊急事態宣言がどうのこうのより、めちゃくちゃ感染者増えているからリスク上がるし今日会うのは辞めておこうかなとか」
「まあ、それはそうか。立場によっても違うな」
行天の意見に反論のような形になってしまったが、行天の意見には賛成なのだ。
私も対策はちゃんと行なっているほか、会いたいと思う大好きな人たちは私と同じくらいかそれ以上に気を付けている。 頭に浮かんでいるのは行天のほかいつもの2人で、美香はそもそも潔癖症だから手が荒れるくらい消毒しているし、桃香は自分の消毒液をカバンから出すタイミングが一緒なほどだ。会いたい人たちはみんな完璧な対策をしている。
好きな人には会える。
だけど、ライブとか飲食店とか、生活を豊かにし、支えてくれていたものがどんどんと縮小されていっていることが辛いのだ。
健康ではあるが、文化的な最低限度の生活ができているかと考えたとき、今は限りなくNoに近いと思う。
佳穂ちゃんのライブがこの日なかったとしても、きっと私は生きていける。
だけど、日々感じていたモヤモヤや退屈さは消えずに残るだろう。それは心の澱となって積もりに積もったとき、取り返しのつかないくらいに心は壊れ、体力も気力も活力も0となってしまう気がする。
現に友達と電話していてもそんな相談をされることがある。 「私、結構無理だわ。縁もゆかりもない遠方に住むのも結構限界。もうそろそろ会わないと、気持ちがもたないよ」と。
新型コロナウイルスへの感染が拡大し、その状況をうまく生きる方法がたくさん生み出された。
ZOOMで飲み会をする。
リモートでの音楽ライブ。
デリバリーが活況。
オンラインゲームが大盛り上がり。
サブスクで映画を楽しむ。
おうち時間を充実させる家具や美容品が発売される。
私もそれらを楽しんではいる。
遠くに離れた友達とオンライン飲み会をして、好きなアーティストのオンラインライブに課金し(佳穂ちゃんのオンラインライブも見た)、ウーバーイーツでお気に入りの韓国料理屋さんにヤンニョムチキンを注文し、Netflixで「ヤクザと家族」を見て社会問題を考え、出かける予定のない休日にも好きな香水をつけて、ちょっと高いパックを顔にはる。
全部好きだ。
だけど本当は、そこで生きている人たちに直接会って、楽しい時間を一緒に過ごしたい。
たとえそれが衝突でも、軋轢でも、悲しみでも、そこにある人の生の感情に接して、自分も喜怒哀楽を表現したいのだ。
私は行天にいう。
「この前桃香と会ってね。うちら4人が集まった時、くだらない話とか内輪の話、いわゆる『無』の時間を過ごしたいよねって話になったわ」
「は?『無』?」
「え、うん」
「周りから見たら意味もわからず『無』かもしれないけど、俺らの会話は自分たちにとって限りなく『有』だろ。『無』なんて思ったことないぞ」
「でもほら、桃香の意味しているところはさ…」
私は行天に色々と説明しながら、心の中ではぼろぼろと泣いていた。
そうなんだよな、一緒に会って話すことが俺らにとっては大きな「有」で、日々の活力になっているんだよな。
本当、行天はいいな。大好きだ。
活力をもらえることは、人によって違うだろう。
私と同じように友達と話すこと、好きなアーティストのライブに行くことな人もいれば、好きなお店に買い物や飲食をしに行くこと、大好きな家族に会うこと、スポーツをすることが活力になっている人がいるかもしれない。もちろん、一人でできる本を読むことやぼーっとすることかもしれない。
行動は違うものだったとしても、共通して言えるのはそこに感情があるということだ。
やりたい、挑戦したい、話を聞いてみたい、勝負をしてみたい、みたことのないものを見ていたい、問題を解消したい……自分の偽らざる感情を出発点として起こる行動だと思う。
それらを制限される日常を、私は打破したいと思っている。
新しい生活様式という言葉は捉え方によって色々な状態に化ける。 みんなで対策をしてコロナを最小に抑えるという意味から、ワクチン接種が進まない現状を見えなくする効果だってある。
私はコロナの感染を最小限に抑えるために、社会に向けて行動をする。ただ、ワクチン接種の遅さとか余計な制限(たとえば映画館が万全な対策をしているが故にクラスターが起こっていないのに少ない補償で営業停止を強制させるなど。佳穂ちゃんのライブも手指消毒や混雑を避ける動線などかなり整備されていた)に対しては真っ向から抗っていこうと思う。
佳穂ちゃんのライブに励まされ、行天に気づきをもらえた。
それはやっぱり画面越しではなく顔を見合わせ、生の感情に触れたから、ここまで心を揺さぶったのだろう。
社会のための行動をしながら、過剰に私権を制限するものたちへは毅然とノーといいながら生きていこうと思う。
新しい生活様式という言葉を隠れ蓑にせず、全員がいきいきと生きられるように。
「いけいけ いきとし go go!」
<環プロフィール> Twitterアカウント:@slowheights_oli
▽東京生まれ東京育ち。都立高校、私大を経て新聞社に入社。その後シェアハウスの運営会社に転職。
▽9月生まれの乙女座。しいたけ占いはチェック済。
▽身長170㌢、体重60㌔という標準オブ標準の体型。小学校で野球、中学高校大学でバレーボール。友人らに試合を見に来てもらうことが苦手だった。「獲物を捕らえるみたいな顔しているし、一人だけ動きが機敏すぎて本当に怖い」(友人談)という自覚があったから。
▽太は、私が死ぬほど尖って友達ができなかった大学時代に初めて心の底から仲良くなれた友達。一緒に人の気持ちを揺さぶる活動がしたいと思っている。
▽将来の夢はシェアハウスの管理人。好きな作家は辻村深月
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